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(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

メドレーI(三共、一般電役)

2014-07-19 00:57:06 | アレパチ、電役、普通機




1991年(平成3年)に三共から登場した一般電役「メドレーI」




★賞球:オール15
★一発台タイプ(4000発以上獲得可)
★メインヤクモノは、スーパーコンビ型の三つ穴クルーン
★但し、大当り中の手順がやや複雑
★大同「ミサイル7-7-6D」(普通機)より5年も前に出た「先輩格」
★現役時の実戦店
・向ヶ丘遊園「ニューギンザ」
・高田馬場「国際センター」
・高田馬場「東陽会館」
・巣鴨「三益球殿」
・自由が丘「三星本店」


(C)フジテレビ
1992年放映の名作ドラマ「愛という名のもとに」(第10話)より。中野英雄演ずるダメ証券マンのチョロが、憂さ晴らしにパチンコを打つシーンで、チョロの背後にメドレーⅠがチラッと映る。

この場面では、新米店員の時男(江口洋介)が、チョロが打っていた一般電役「アニバーサリー2」(大一)のガラスを開けて、手入れでV入賞させて大当りをプレゼントする(時男「俺からの結婚祝いだ!」)。なお、ロケ地はJR大崎駅前「オリンピア」(現存)。






(ゲーム性)

三共の大ヒット一発台「スーパーコンビ」を思わせる、「三つ穴クルーン」が本機の肝である。

命釘を抜けた玉が、クルーンを回って手前穴に落ちれば大当り、というシンプルかつアツいゲーム性。台のネカセで手前の入賞率が変わるのも、本家と同じだ(ネカセが弱いと手前に入り易い)。旧・一発台が当時の規則改正で消滅しつつあった当時、このテの「一発台もどき」は大いに重宝した。

個人的には、三共の「三つ穴クルーン」というと、コンビよりも「スターライト」の世代だ。ただ、スターライトの場合、右奥穴を当りにする店が大半で、「手前がV」というコンビのゲーム性とは、やや(というか大いに)趣が異なっていた。その為、スターライトで大当りしても、「ホールでコンビを当てたい…」という漠然とした願望が常にあった。

もちろん、手前穴で大当りのタイプ(ビッグポーターサーカスキャンプなどの一発台や、一般電役のアニバーサリーIなど)は多く打ったのだが、いずれも三共以外の台であり、本家・三共「コンビクルーン」への憧れは消えなかった(旧要件時代、三共から「スーパーリミット」(1990年)というコンビクルーンの権利物が出たが、アレはどの穴に入ってもデジタルが回るだけ、という、コンビとは似て非なるモノだった…)。

そんな訳で、本機で初めて手前の穴に決まった時は、元祖コンビクルーンをようやく「現場」で制覇した達成感というか、ちょっとした感動を覚えた(まぁ、風車上のゲージが異なる等、元祖コンビとの違いは少なからずあったが…)。

※その数か月後、マッタリタイプのチューリップ台「トリプルパワー3」(1992年、普通機)と新宿で遭遇(西口「ニューミヤコセンター」にて)。こちらも三つ穴のコンビクルーンが特徴だった。出玉面では大きく劣ったもの、手前穴入賞で全チューリップが開く仕様で、それなりにアツかった。






但し、本機がコンビのように「シンプル」なのは大当り獲得までで、大当り中のゲーム性は少々複雑になっていた。

その理由は、当時の新要件移行の際の「規則改正」にある。

旧・一発台の多くは、大当りして即・右打ちすれば、予定終了まで延々と出玉が増えた。この単純明快なゲーム性が、一発台の魅力の一つでもあった。

だが、新要件機では、ヤクモノやチューリップに玉を当てて、玉の流れ(ルート)を変化させることが禁止された。つまり、V穴入賞でチューリップが開放して、新たな出玉のルートが出来上がるという、一発台独特の香ばしいゲーム性が「アウト」となってしまったのだ。

また、電チューの連動に特徴がある「一般電役」でも、バージョンアップ、フルーツパンチ、アメリカンドリーム、アニバーサリー等、それまでの旧要件で認められていた「メモリー機能」(電チュ-入賞個数を複数記憶して、入賞回数分だけ電チューが開放する)が、新要件機では不可※とされた。

※ミニデジタル用のメモリーランプは搭載可。よって、「電チュー入賞⇒入賞分のミニデジ用メモリー点灯⇒ミニデジ変動⇒ミニデジ当選⇒電チュー開放(ミニデジハズレなら開放せず)⇒メモリー消化⇒…」というゲーム性はOKとされた。西陣の新要件初期・一般電役「メタルドーム」(1991年)などは、このメモリー方式による連動を早々に取り入れていた筈だ(アレは、大当り動作開始までの待ち時間が長かったが…)。


そこで、メモリーなしの電チューの連動でも大量獲得できるように、盤面左サイドに複数の権利用「2回開きチューリップ」を設けるなどして、電チューの連動を繰り返す方式が「考案」された。


こうした新要件機の「制約」により、メドレーⅠの大当り中の遊技方法は、一般的な新要件権利物などと比べて、複雑なものになった。

かつての一発台や旧・一般電役のように、「右打ちオンリー予定終了」とはいかなかったのだ。




では、その「複雑」とされた大当り中の流れを、ざっと振り返る。

(1)三つ穴クルーン手前入賞で、クルーン下の2回開きチューリップ「A」が開放。

(2)「A」に玉を1個入れると、左下の2回開きチューリップ「B」が開放。但し、「A」に2個入れると「A」が閉じて出玉が半減するので、ブッコミ狙いの「単発打ち」で慎重に狙う。

(3)「B」が開放したら、チョロ打ち(弱め打ち)に切り替えて、単発打ちで「B」に玉を1個だけ入れる(2個入れると、「B」が閉じて連動1回分の出玉が減る)。チョロ打ちするのは、開放中の「A」に玉を入れない為だ。

(4)「B」に入賞したら、盤面右サイドの電チュー(右上・右下・右オトシの3つ)が連動を開始するので、すぐ右打ちに切り替える。右打ち時は普通に打てばよいが、3つの電チューはいずれも「メモリー」が付いていない為、1回の連動で出玉は1000発程度と少ない。

(5)電チューの連動が終わったらチョロ打ちに戻して、再び左下の「B」に玉を入れる。但し、単発打ちではなく、「連続打ち」にする。なぜなら、「B」に2個入れば再び「B」が開き、ダブルが狙えるから。まぁ、普通は1個しか入らないので、ここでBは閉じる。やはり、開放中の「A」に入れないよう、チョロ打ちにする。右打ち時と違って、盤面左に玉を流す時は、常に慎重さが要求される。

(6)「B」入賞後は右打ちに切り替えて、3つの電チューの連動で出玉を増やす。

(7)連動終了後は通常打ち(チョロ打ちではなくブッコミ狙い)に戻して、今度はクルーン下の「A」に玉を入れる。ここでも、ダブル狙いの連続打ちが有効だ。まぁ、通常は1個しか入らないので、ここで「A」は閉じる。

(8)「A」入賞で「B」が開放。その後は、上記(3)⇒(4)⇒(5)⇒(6)の要領で出玉を増やす。

(9)以上の手順により、大当り1回につき、盤面右にある3つの電チューが計4セット(ダブルがあればそれ以上)の連動を行う。よって、大当り時の出玉は約4000発となる(電チュー周りの釘調整で変化)。


※店によっては、ダブル以上を認めたり、無制限営業にしたり、出玉に拘らず大当り後は交換としたり、常に「4000発定量」でダブル不可にしたり、逆に出玉が少なくても4000発を保障してくれたりと、様々な営業方法がとられていた。



上述した大当り中の手順は、小難しいゲーム性を嫌う者にとっては不評だった。だが、その反面、クルーンの魅力に取りつかれたり、複雑な手順を却って「味わい深い」と感じるファンも少なくなかった。21世紀に入っても本機を置く、レトロファン垂涎のホールも存在した(都内では、高田馬場「東陽会館」、自由が丘「三星」、新秋津「ニュー秋津」など)。


早稲田通り沿い「東陽会館」…パールセブン(マルホン)やラッキーボーイ(大一)、CRビッキーチャンスI(三共)も長く設置。


※追記(2014.7.21)
コメント有難うございます。大一の一般電役3機種(アニバーサリーI、アニバーサリーII、フルーツパンチ)と豊丸の一般電役「アメリカンドリーム(P1、P2)」は、いずれも平成2年(1990年)10月の規則改正よりも前に保通協に持ち込まれており、すべて同年10月~11月に検定通過しています。よって、カテゴリー上は「旧要件機」となりますが、これらが実際ホールに登場したのは、旧・一発台の撤去が始まった平成3年(1991年)春の旧要件末期~新要件初期でした(「ポスト一発台」扱い)。一方のメドレーIは、平成2年10月の規則改正後に保通協への申請が行われた為、アニバやフルパンのようなメモリー機能が認められなかった訳です。なお、マルホンの一発台「ビッグポーター」は、平成2年10月より前(同年9月)にホールデビューした旧要件機ですね。
(追記、ここまで)