ここ数年、少なくとも21世紀になってから、
我が業界では「日本針灸」というキーワードが頻繁に用いられるようになっています。
中国で発生し、主に中国、朝鮮、日本などで伝承されてきた針灸療法ですが、
針灸療法が欧米を代表とした世界各国に注目され、広まった結果、
標準的な針灸治療のスタイルというものが模索されるようになりました。
まず、科学的な研究が進むようになり、
研究の土台としてふさわしい標準的なパターンが必要だというニーズから
そのような流れになったのかもしれません。
その一例として経穴(ツボ)の国際標準化という大きな動きがありました。
ほんの数年前のことです。
伝統的な針灸治療を続けていた日本・韓国・中国では、
全身に分布する約360個の主なツボの約1/4で、
その位置が微妙に異なっていたのです。
これでは、例えば国際的な学術会議の場で発表する際に、
たとえばですが「足三里」というツボを使ったと述べても、
中国、韓国、日本、それぞれの聞き手の解釈に違いが生じてしまう可能性があったのです。
まずは各国の意見をすり合わせて、その辺を統一していこうということになったのです。
また、針灸治療の科学的解明に終わりが見えないことも、
針灸治療の国際標準化が模索されている要因の1つかもしれません。
これは研究者の怠慢と言うより、
針灸医学、そして人間そのものの複雑さが深く関係しているのでしょう。
つまり、まずは科学的な根拠は置いといて、
標準的な針灸治療のパターンを優先的に構築してしまおうと言うことなのか、
古来より「実践医学」として発展してきた針灸療法にとっては当然と言える流れなのかもしれません。
ちなみに、私がこの業界の門を叩いた90年代初頭は
針灸の科学的解明という言葉はよく聞かれましたが、
国際的な標準化というのは世紀が変わってから聞かれはじめたように思います。
ところが、ここ数年、「日本針灸」という言葉が
日本の針灸関係者から頻繁に発せられるようになったように思います。
その理由として、1つは、前述した国際的な流れの中で、
日本人が以前より大事にしてきた(と思われる)
「いやし」というキーワードが置き去りにされてきたためではないかと思います。
つまり、針灸治療の受益者である「患者」不在の流れになりつつあるのではないかという
警戒感が表面化してきたのかもしれません。
また、国際標準化とはいえ、その主流が「中国式」になりつつあるという現実もあると思います。
元々針灸や、それを運用するための経絡・ツボなどの理論は中国で発明されたものですし、
現代でも中国では針灸は医療の一部として盛んに行われ、
教育機関も充実し、海外からの研修生もたくさん受け入れていますので、
中国が主導権を握りたいと考えるのは当然のことだろうと思います。
しかし、その中で、日本でも脈々と受け継がれ、独自の発展を遂げた針灸療法が、
国際標準化からはじき出され、国際的に非主流派のレッテルを貼られてしまうのは
とても残念なことであるという思いもあるのでしょう。
実際的に「中国式」が主流を占めつつある世界の針灸市場のなかでも、
「日本針灸」は、その繊細さ、ソフトさ、いやし効果の高さなどから、
各国で高い評価を受けているようです。
しかしながら、教育システムの未構築、国家的戦略の欠如などによって
世界的スタンダードとなるにはほど遠い現実もあるようです。
ただ、、日本国内においても様々な流派、治療者個々によるバリエーションが存在し、
現実的には「日本鍼灸」と統一させることなどはほぼ不可能でしょう。
つまり、技術面を超えた「鍼灸治療」という大枠において
『日本鍼灸』というカテゴリーが構成されていくべきなのかもしれません。
やはり個々が腕を磨き、実績を一つ一つ積み重ねていく以外に近道はないと思っています。
我が業界では「日本針灸」というキーワードが頻繁に用いられるようになっています。
中国で発生し、主に中国、朝鮮、日本などで伝承されてきた針灸療法ですが、
針灸療法が欧米を代表とした世界各国に注目され、広まった結果、
標準的な針灸治療のスタイルというものが模索されるようになりました。
まず、科学的な研究が進むようになり、
研究の土台としてふさわしい標準的なパターンが必要だというニーズから
そのような流れになったのかもしれません。
その一例として経穴(ツボ)の国際標準化という大きな動きがありました。
ほんの数年前のことです。
伝統的な針灸治療を続けていた日本・韓国・中国では、
全身に分布する約360個の主なツボの約1/4で、
その位置が微妙に異なっていたのです。
これでは、例えば国際的な学術会議の場で発表する際に、
たとえばですが「足三里」というツボを使ったと述べても、
中国、韓国、日本、それぞれの聞き手の解釈に違いが生じてしまう可能性があったのです。
まずは各国の意見をすり合わせて、その辺を統一していこうということになったのです。
また、針灸治療の科学的解明に終わりが見えないことも、
針灸治療の国際標準化が模索されている要因の1つかもしれません。
これは研究者の怠慢と言うより、
針灸医学、そして人間そのものの複雑さが深く関係しているのでしょう。
つまり、まずは科学的な根拠は置いといて、
標準的な針灸治療のパターンを優先的に構築してしまおうと言うことなのか、
古来より「実践医学」として発展してきた針灸療法にとっては当然と言える流れなのかもしれません。
ちなみに、私がこの業界の門を叩いた90年代初頭は
針灸の科学的解明という言葉はよく聞かれましたが、
国際的な標準化というのは世紀が変わってから聞かれはじめたように思います。
ところが、ここ数年、「日本針灸」という言葉が
日本の針灸関係者から頻繁に発せられるようになったように思います。
その理由として、1つは、前述した国際的な流れの中で、
日本人が以前より大事にしてきた(と思われる)
「いやし」というキーワードが置き去りにされてきたためではないかと思います。
つまり、針灸治療の受益者である「患者」不在の流れになりつつあるのではないかという
警戒感が表面化してきたのかもしれません。
また、国際標準化とはいえ、その主流が「中国式」になりつつあるという現実もあると思います。
元々針灸や、それを運用するための経絡・ツボなどの理論は中国で発明されたものですし、
現代でも中国では針灸は医療の一部として盛んに行われ、
教育機関も充実し、海外からの研修生もたくさん受け入れていますので、
中国が主導権を握りたいと考えるのは当然のことだろうと思います。
しかし、その中で、日本でも脈々と受け継がれ、独自の発展を遂げた針灸療法が、
国際標準化からはじき出され、国際的に非主流派のレッテルを貼られてしまうのは
とても残念なことであるという思いもあるのでしょう。
実際的に「中国式」が主流を占めつつある世界の針灸市場のなかでも、
「日本針灸」は、その繊細さ、ソフトさ、いやし効果の高さなどから、
各国で高い評価を受けているようです。
しかしながら、教育システムの未構築、国家的戦略の欠如などによって
世界的スタンダードとなるにはほど遠い現実もあるようです。
ただ、、日本国内においても様々な流派、治療者個々によるバリエーションが存在し、
現実的には「日本鍼灸」と統一させることなどはほぼ不可能でしょう。
つまり、技術面を超えた「鍼灸治療」という大枠において
『日本鍼灸』というカテゴリーが構成されていくべきなのかもしれません。
やはり個々が腕を磨き、実績を一つ一つ積み重ねていく以外に近道はないと思っています。