泉心堂治療院

せんしんどうちりょういん

「無用の用」と「道の医学」

2020年06月21日 | Weblog
私の生まれ育った伊豆の小さな漁港の有る集落には海坊主の民話が伝えられています。

そのあらすじはだいたい以下の流れです。

①沖にに船を出して漁をしていると突然海坊主が現れる。

②海坊主は「柄杓(ひしゃく)を貸せ~」と叫ぶ。

③言われるままに柄杓を渡してしまうと、その柄杓で船に海水を注がれ、沈められてしまう。

④だから海坊主に出会ったら必ず底を抜いた柄杓を渡すようにすること。

ここで本題に入りましょう。

「無用の用」という言葉があります。

「老子」や「荘子」の中で説かれている言葉です。

その意味について、海坊主の民話に登場した「柄杓(ひしゃく)」で説明しますと、

柄杓は木の板を加工して輪にしたものに底板をはめ、柄を付けたものが一般的な形です。

水を汲むために使う道具として用いられます。

しかし、我々が水を汲むために本当に必要としているのは、

「柄杓の中の水を満たすための空間」です。

だから、柄杓が柄杓としての存在価値を有するのは、

普通は意識しない柄杓の中の空間があるからだということになります。

つまり、柄杓の中の空間とはすなわち柄杓の『機能』を意味します。

では底の抜けた柄杓はどうでしょう。

底の抜けた柄杓では海坊主は水を汲んで船に注ぐことはできません。

柄杓の底を抜くと、水を汲むという機能は失われてしまうからです。

ですから、「底の抜けた柄杓」は柄杓ではなく、「柄のついた木の輪っか」という存在になります。

少し屁理屈が過ぎてしまいましたが、

この『無用の用』は『道の医学』を理解し、実践する上で非常に重要な概念になります。

今後はこの「無用の用」の観点からも「道の医学」について解説していきたいと思います。