泉心堂治療院

せんしんどうちりょういん

ツボと「場」:道の医学

2020年07月29日 | Weblog

「足三里」というツボは、膝の下、スネの骨の外側にあって、

胃の不調をととのえる作用があるとして有名なツボです。

つまり、足三里は文字通り「足」にあるツボですが、

胃に働きかけることができるということです。

 

なぜ、胃からは離れた場所にあるツボが、

胃に働きかけることができるのでしょうか?

なぜなら、足三里というツボは「胃」という『場』に働きかけることができるからです。

 

例えば、胃の働きは自律神経によってコントロールされていますが、

足三里が自律神経の機能に働きかけて、胃の調子を整えることができるとしたら、

足三里は自律神経を介して「胃」という『場』を調整していることになります。

 

同様に、例えば精神的ストレスが強くなると胃が痛くなることがありますが、

あるツボが精神ストレスを緩和させて胃の痛みを軽減させることができるとすれば、

そのツボはストレスへの作用を介して「胃」という『場』を調整したことになります。

 

つまり、ツボは『場』に働きかけ、『場』を調整する役割・作用があるということです。

内臓などの「器」そのものだけでなく、

「器」と「機能」すべてに関連したすべてに働きかけ『場』をととのえます。

 

全身各所に存在するツボは、それぞれに関連する『場』に働きかけ、

「中庸」という健康の維持を担うのです。

 

 


「場」と感覚:無用の用と道の医学

2020年07月15日 | Weblog

「胃もたれ・胃の痛み・胸やけ・膨満感」

胃薬の宣伝でよく見かける症状ですね。

上の症状は胃部の「不快感」を表現しています。

病院で検査してもらっても「大きな異常はない」と言われることも多いでしょう。

病気ではない、つまり「器」の問題ではないということです。

しかし、だからと言って胃部の不快感が強いのに

胃は健康だと思うことも、飲食を楽しむこともできません。

「器」と「感覚」の不一致。

すなわちこれは「胃」という『場』の問題になります。

そしてこの不快感を含めた「胃」という『場』をととのえるのが、

「無用の用」の医学、「道の医学」の考え方になります。

 

 

 

 


人と人間と無用の用:道の医学番外編

2020年07月08日 | Weblog

新型コロナウイルスの流行により、

私たちの生活スタイルは変革を余儀なくされています。

特に人と人が直接集うこと、対面することに制限がかけられてしまいました。

リモートワーク、オンライン授業、オンライン会議、オンライン飲み会、オンライン配信など、

インターネットを通じた仕事、勉強、会合や余暇、イベント参加などの機会が増えました。

 

ところで、日本語においては基本的に

「人」という言葉は生物学的な「ヒト」

または一個体として人格的な面を抑えた意味合いで用いられることが多く、

「人間」という言葉は社会的・人格的な意味合いを含めて用いられています。

 

「人間」は元々は仏教用語で、

世の中(世間)や人の世界(人間界)という意味合いで用いられてきた言葉です。

ちなみに中国語では「人間」と言えば後者の意味で、

前者の意味としては「人」が用いられます。

 

「三人寄れば文殊の知恵」という言葉のように、

人間は古来より「集う」ことによって発展を続けてきたという側面があります。

人と人がつながって「人間」となっていたのです。

つまり、「人間」とは多くの「人」による「無用の用」といえるのかもしれません。

 

そして今年になり、そのつながり方に大きな変革が訪れました。

インターネットという世界の中でのつながりです。

このつながりは、「人」から生み出された「間」の世界、

つまり現代の「無用の用」といえるでしょう。

 

しかしながら、「人間」から「人」と「間」が分離され、

「人」が置き去りにされてしまうことには注意しなければなりません。

「人間」から「人」が欠落すれば、今度は「間」との主客逆転、

「人」が「間」にとっての「無用の用」になってしまいます。

仮に「間」の世界の崩壊すれば「人」の存在が消えてしまいます。

 

「間」はあくまで「人」が発展したり、幸せになったりするための存在なのです。

私は決してネット社会を全否定しているわけではありません。

しかし、便利になったはずなのに、

たった数カ月も経たずに「オンライン疲れ」という言葉まで出てくる状況です。

我々はまず「人」であるという事実を無視することはできません。

新型コロナ対策も「人」、すなわち命を守るためのことなのですから・・・


「無用の用」と「場」:道の医学

2020年07月01日 | Weblog

我々が摂取した食物は、まず胃で消化されます。

胃での消化とは、

主に食物が胃液と胃の蠕動運動によって溶かされ、ドロドロにかき混ぜられることです。

 

「無用の用」の概念において、消化が行われているは

胃という「器」ではなく、「胃の中の空間」になります。

 

つまり、胃の本体は胃液の分泌や、蠕動運動を行いますが、

実際に消化が行われるのは

胃の中の空間という「場」なのであるということです。

 

逆に言えば、食物の消化という「場」の機能を成り立たせるために、

胃の本体は胃液の分泌や蠕動運動を行ったり、

胃の粘膜のコンディションを保ったりしているのです。

 

例えば胃液の不足や蠕動運動の低下で消化が進まなかったり、

逆に胃液の分泌過剰で胃壁が傷いたりなどすると、

胃という消化の「場」の成立に支障が生じることになります。

 

つまり、胃の本体に何らかの問題が生じた結果、

消化の「場」にも影響が現れることが、

「無用の用」の観点において問題の本質となります。

 

従って、消化という機能がスムーズに行われるように、

胃という「場」をととのえることを目指します。

 

「器」の中の「空間」という「無用の用」からなる『場』をととのえる。

これが「無用の用」の医学、すなわち「道の医学」の考え方です。