泉心堂治療院

せんしんどうちりょういん

「見る」と「触れる」

2011年06月27日 | Weblog
台湾で中国医学を勉強していて、感じたこと。

それは、中国医学は「見る」こと、

つまり、視覚によって得られた情報を大切にしているように思います。

それに対して、日本は「触れる」つまり、触覚を大切にしているように思います。

ただし、日本の場合、針治療や按摩などの技術は、

歴史的に江戸時代以降、視覚障害者によって受け継がれてきたという

一面があるからかもしれません。

であるかもしれませんが、中国人は「漢字」という表意文字を発明しただけあって、

やはり、中国人にとって、視覚による情報というのは特別な意味があるように思います。


例えば、ツボを探すとき、日本では指先で触った感覚でツボを見つけるよう教わってきたのに対して、

私が師匠から教わったのは、目でツボを探すということでした。

但し、それは教科書的に決められた位置を探すというのではなく、

体表の状態、皮膚の色、凹凸などの状態をよく観察して最適な場所を探すということです。

(かと言って指先で触れて探すという方法を否定されていたわけでもありません。)


また、中国医学には脈診という脈の拍動を指先で感じ、身体の状態を判断するという診断法がありますが、

その際にも脈に触れる前に、脈を「見る」ことを求められました。



「見る」こと「触れる」こと、どちらの方が優れているということはありませんが、

元は同じ源流にあるものでも、文化の違いによって、それぞれの発展に特徴があるというところにおもしろみを感じています。




台湾について

2011年06月10日 | Weblog
私は台湾に留学し、妻も台湾人ですので、台湾とは深い縁を感じております。


そのせいか、私が台湾と関わりを持ち始めた頃から気になり始めたことなのですが、、

どうも日本では台湾と中国がひとくくりにして認識されていることが多いようなのです。


現在、台湾と中国には、別々の政府が存在し、国を治めています。

そして、ここ半世紀、台湾と中国は歴史的・政治的に大変複雑で微妙な関係を保ち続けています。

歴史的には、第二次世界大戦後に本格化した中国国民党と共産党の内戦に端を発します。

中国大陸で共産党に敗れた国民党は、中華民国(国民党)政府そのものを、

南京から「臨時に」台湾に避難させたのです。

そして、台湾とその周辺の島で軍事力の及ぶ範囲のみ支配を続けています。

国民党のいなくなった中国本土では共産党の中華人民共和国が成立し、現在に至っています。


当初、国民党は、台湾で力を蓄えて、中国本土に反攻するつもりでいたようです。

しかし、長い年月を得て、それが現実的でないことは言うまでもありません。

しかし、中華民国は現在に至るまで台湾で存続してきました。

そして、10年ほど前には選挙によって民進党から総統(大統領)が選ばれるという、政権交代も行われました。
(現在の総統は国民党出身)

従って、現在、中国と台湾での政治・経済のシステムは別々のものとなっています。

また、台湾の人たちの多く、特に若い世代は、

「自分は台湾人」と言うことはあっても、

「自分は中国人」であると言うことはほとんどないと思います。

台湾で生まれ育ち、台湾という土地にそれなりの愛着があるからでしょう。


では、台湾は今後どうなるのか、どうするべきかとなりますと、

なお一層複雑になってきます。

中国と平和的な統一を目指すべきか、

1つの国として完全な独立を目指すべきか。

香港のように半独立の形で中国と統一をするかなど、

いろいろなケースが考えられ、

それぞれを熱心に支持する人たちもおりますが、

大部分の人々は結論を急がない現状維持を望んでいるようです。

(というよりそれほど性急な問題として認識していないかもしれません。)


早い段階から経済が発展して、人々の生活も日本と変わらず豊かになりましたが、

台湾の複雑な歴史は未だに解決していないと言えるでしょう。






小田原評定

2011年06月04日 | Weblog
天下統一目前の豊臣秀吉が大軍を引き連れ小田原に遠征したときのこと。

迎え撃つ小田原方、

籠城か、野外決戦か、評議の決着が付かないうちに秀吉の大軍が迫り、

結局は小田原城を包囲されてしまいました。

こんどは決戦か、降伏か、話し合っているうちに状況はどんどん悪化し、

残る選択肢は降伏しかなくなってしまいました。

ちなみに兵法では籠城は援軍の当てがなければあまり意味がないとのこと。

我々に小田原評定を繰り広げている余裕はあとどのくらい残っているのでしょうか?