現地入り以降の“通算スコア”は4ラウンドで5オーバーの293と
昨季の同大会の33位タイに相当するようで調子がいいみたい
バーディーこそ奪えなかったが風が強いと難しい
11、12、13番のアーメンコーナーではすべてパーで乗り切り
「迷うと難しい。それでも、日に日にコースのいろんな所を見られるようになっている」と
手応えを感じているようです
予選通過ありそうかも
って言うか楽しんでプレーが出来て予選通過して欲しいと願っているんですけど・・
7番攻略がカギ-
遼君は3日有名な「アーメンコーナー」(11~13番)より
グリーンを5つのバンカーが囲むキーホールに7番450ヤードのパー4を警戒してますよ
7番(450ヤード、パー4)めも 「パンパス(ススキ)」と名付けられており、
02年に45ヤード、06年に40ヤード延長され、現行の距離になった。
グリーン周りのバンカーは手前に3つ、後ろに2つある。
昨年大会の平均スコアは4.252で、3番目のむずかしさ。
過去のワーストは「8」(72年デウィット・ウィーバーら2人)。
ベストはイーグルの「2」で、アーニー・エルスが2度決めるなど過去9人10例ある。
アーメンコーナより難しい“魔っすぐ”7番
今日5日目の非公開練習
2バーディー2ボギーのイーブンパー、72で回ったようです
「(前日やや違和感のあった)ドライバーとアイアンがだいぶ同じ流れで打てた」といいようです
終了後は宿舎近くのゴルフ場でマイク小西コーチを交え2時間弱の練習
「どれだけいい状態で木曜日を迎えられるかが大事」と調整に余念がないです
雑誌「choice」5月号より
「遼くんからは、『世界のトップ選手たちは、どうしてあんなに速く振れるんですか?』と質問されました。
彼らは上半身の無駄な動きを排除して足を主体にして振っているから、
あれだけのスピードが出せるんだよと、説明しました(マイク小西氏談)
マイク氏から秘密特訓されてる動画です
☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~
マスターズを知り尽くしたフリーライターの佐藤彰雄氏が
遼くん「マスターズへの道」としてさまざまな視点から描いてます
ドラマを演出する「アーメン・コーナー」
オーガスタ・ナショナルGCのインに入って11番パー4、12番パー3、13番パー5の3ホールは
「アーメン・コーナー」と呼ばれる。
各ホールともグリーンに難度の高さがあり、加えて12番などは、
渦巻く風によって選択するクラブが4番手は違ってくると言われており
プレーヤーが打った後に「神に祈るから」などが名付けられた由来としてある。
が、資料によると、1958年大会でアーノルド・パーマーが優勝した際、
その神がかり的な攻略から、作家のハーバート・ウォーレン・ウィンドが、
当時はやっていたジャズのタイトル「Shouting in that Amen Corner」の歌詞から取り、
スポーツ・イラストレイテッド誌で最初に使ったとあり、これが始まりのようだ。
実際、1978年大会で初出場の中嶋(当時中島)常幸が13番で13を叩いたように、
ここではさまざまなドラマが起きる。
特に最終日の優勝が懸かったバックナインの勝負では、心理的な重圧が加わるだけになおさらである。
よく知られているところでは1987年大会のラリー・マイズの奇跡のチップインがある。
この大会の優勝争いは、セベ・バレステロス、グレッグ・ノーマン、マイズの3人によるプレーオフとなった。
まず、10番でバレステロスがボギーを叩き脱落。
アーメン・コーナーを迎えた11番、第2打でグリーエッジまで運んだノーマンに対して
マイズは第2打をミスしピンまで約40ヤードのピンチとなった。
誰もがノーマンで決着を思ったが、マイズのアプローチはグリーンに落下後、複雑なラインに乗ってカップイン。
マイズの劇的な栄光は、ノーマンの信じられない悲劇となった。
☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~
アダム・スコット
ツアー通算 14回
(米ツアー 6勝、その他 8勝)
身長 185cm
体重 75kg
生年月日 1980年7月16日
出身地 オーストラリア(アドレイド)
プロ転向 2000年
趣味 スポーツ全般、伝記、ファッション、サーフィン
豪州出身の若手最注目選手。コーチはブッチ・ハーモン。
スイングはタイガー・ウッズのそれに酷似しておりニックネームは「ホワイトタイガー」。
高校はインターナショナルスクールで日本語も少々理解する親日派。
米ツアーでは順調に勝利を重ねており2005年は「ニッサンオープン」でプレーの末に優勝。
2006年は「ザ・ツアー選手権」2007年は「シェル・ヒューストンオープン」で勝利を飾るなど
メジャー制覇も期待できる若手の有望株だ。
杉並学院高校の吉岡徹治元監督です
[石川遼 支える人のエール](5)杉並学院高 吉岡徹治元監督
ヨネックスの児玉仁志氏です
[石川遼 支える人のエール](6)ヨネックス 児玉仁志氏