これから写楽論を書いていきたいと思います。
写楽に関して、というより浮世絵に関しては、以前からずっと興味があり、絵を見たり、断続的に本を読んだりしてきたのですが、なぜかこの数年の間に写楽に関する本を書いたお二人の方と親しくなり、その影響が導火線ように伝わってきて、最近私の好奇心にパッと点火し、燃え出しました。
お一人は、シナリオ作家の石森史郎(ふみお)さんです。石森さんとは、私が上映会を催している映画スター中村錦之助との関わりで知り合うようになったので、実はご本人と写楽の話はほとんどしたことがありません。とはいうものの、石森さんが出された本はだいたい読んでいるので、その奇想天外な写楽論も知っているわけです。
石森史郎さんの本は、「東洲斎写楽 SHARAKU WHO?」(1996年 五月書房)という小説で、「写楽=イギリス人画家シャーロック」説を壮大なスケールで展開したものです。この本は石森さんからいただいて、すぐに読みました。いかにも石森さんらしいエンターテイメント性豊かな奇想天外な時代小説です。五年ほど前に一度読んだきりで、内容はもうはっきり憶えていませんが、シナリオ作家だけあって映画のような構成でした。
ファーストシーンは、フランス革命後のパリ。1793年11月、コンコルド広場で処刑されるマリー・アントワネットを、ギロチン台の近くで凝視しながらスケッチしている高貴なイギリス人青年が登場します。1793年は日本の寛政5年にあたり、写楽が役者絵を描いてデビューする前年です。この青年がほかならぬ、後の写楽なのですが、場面変わり、今度は日本の南房総。幕府の禁制に触れ、江戸払いになった版元の蔦屋重三郎が、ある寺を訪ねます。住職から重三郎は寺で絵ばかり描いている風変わりな男を紹介されます。その絵に感動した重三郎は、驚くべき秘密を知るのでした。この男は紅毛碧眼の外国の貴人で、近海で自分の船が難破し、ここに漂着したのを漁師に助けられ、村の寺にかくまわれていたのです。彼を世話する漁師の美しい娘との間に愛も芽生えていました。重三郎はこの男に覆面をさせて江戸へ連れて行き、極秘裏に役者絵を描かせます。そして、男の名のシャーロックにちなみ「写楽」と名づけ、大々的に絵を売り出します。
それからいろいろあって、ラストは、写楽ことシャーロックが、愛する日本の娘とともに母国イギリスへ向けて、密航船で旅立っていく。そんな終り方だったと思います。
ところでシャーロックという名前ですが、コナン・ドイルが生んだ名探偵はシャーロック(Sherlock)・ホームズです。石森さんは、この名前からヒントを得て、写楽→しゃらく→シャーロックという連想で、写楽をイギリス人という設定にしたのだと思います。ただ、シャーロックという名前は、イギリスではめったに聞かず、コナン・ドイルが創り出した名前のようなので、石森さんのこの本を読んだ時に、どうなのかなあ、と思ったことを憶えています。
「東洲斎写楽 SHARAKU WHO?」は、石森さんから面白いからぜひ読んでみなさいと言われて贈呈された本なのですが、しばらく経って、石森さんから電話があり、
「ぼくの写楽、読んだ?」
「はい、奇抜な発想でとても面白かったです」
「そうだろ。ところでさあ、その本、あなたに上げたら、ぼくのところに本が一冊もなくなっちゃってね。悪いけど、それ返してくれない?」
私は、笹塚の古本屋でこの本を見かけたことがあったので、まだ売れていないと思い、
「いいですよ、もう読んじゃったし。この間、古本屋で見かけたんで、今度それ買っておきますよ」
と言って、本を送り返したのでした。結局、古本屋で石森さんの「写楽」を買い、今もその本は書棚に置いてあります。今度また暇をみて、読み返してみようと思っています。
石森史郎さんは、昭和6年生まれで、現在82歳。今も現役で、シナリオ、小説、評伝と書きまくっておられます。高田馬場でずっとシナリオ青春塾を続け、石森先生を慕うお弟子さんに囲まれています。
「東洲斎写楽 SHARAKU WHO?」は、石森さんが遊び心で書いた空想娯楽小説です。「写楽=××」説をテーマにこれまで数多くの評論、小説が発行されてきました。新しく発行されたものもあるようです。しかし、どれもフィクションで、小説と銘打った読み物ならいいのですが、なかには学術書を気取り、自説を独善的に押し通そうとする著書もあります。写楽に取り憑かれた美術評論家もいましたし、今もいることでしょう。在野の浮世絵愛好者で、写楽の謎解きに夢中になっている人もたくさんいるようです。
私は、できる限り醒めた頭で、冷静に写楽論を書いていこうと思っていますが、どうなることやら……。
写楽に関して、というより浮世絵に関しては、以前からずっと興味があり、絵を見たり、断続的に本を読んだりしてきたのですが、なぜかこの数年の間に写楽に関する本を書いたお二人の方と親しくなり、その影響が導火線ように伝わってきて、最近私の好奇心にパッと点火し、燃え出しました。
お一人は、シナリオ作家の石森史郎(ふみお)さんです。石森さんとは、私が上映会を催している映画スター中村錦之助との関わりで知り合うようになったので、実はご本人と写楽の話はほとんどしたことがありません。とはいうものの、石森さんが出された本はだいたい読んでいるので、その奇想天外な写楽論も知っているわけです。
石森史郎さんの本は、「東洲斎写楽 SHARAKU WHO?」(1996年 五月書房)という小説で、「写楽=イギリス人画家シャーロック」説を壮大なスケールで展開したものです。この本は石森さんからいただいて、すぐに読みました。いかにも石森さんらしいエンターテイメント性豊かな奇想天外な時代小説です。五年ほど前に一度読んだきりで、内容はもうはっきり憶えていませんが、シナリオ作家だけあって映画のような構成でした。
ファーストシーンは、フランス革命後のパリ。1793年11月、コンコルド広場で処刑されるマリー・アントワネットを、ギロチン台の近くで凝視しながらスケッチしている高貴なイギリス人青年が登場します。1793年は日本の寛政5年にあたり、写楽が役者絵を描いてデビューする前年です。この青年がほかならぬ、後の写楽なのですが、場面変わり、今度は日本の南房総。幕府の禁制に触れ、江戸払いになった版元の蔦屋重三郎が、ある寺を訪ねます。住職から重三郎は寺で絵ばかり描いている風変わりな男を紹介されます。その絵に感動した重三郎は、驚くべき秘密を知るのでした。この男は紅毛碧眼の外国の貴人で、近海で自分の船が難破し、ここに漂着したのを漁師に助けられ、村の寺にかくまわれていたのです。彼を世話する漁師の美しい娘との間に愛も芽生えていました。重三郎はこの男に覆面をさせて江戸へ連れて行き、極秘裏に役者絵を描かせます。そして、男の名のシャーロックにちなみ「写楽」と名づけ、大々的に絵を売り出します。
それからいろいろあって、ラストは、写楽ことシャーロックが、愛する日本の娘とともに母国イギリスへ向けて、密航船で旅立っていく。そんな終り方だったと思います。
ところでシャーロックという名前ですが、コナン・ドイルが生んだ名探偵はシャーロック(Sherlock)・ホームズです。石森さんは、この名前からヒントを得て、写楽→しゃらく→シャーロックという連想で、写楽をイギリス人という設定にしたのだと思います。ただ、シャーロックという名前は、イギリスではめったに聞かず、コナン・ドイルが創り出した名前のようなので、石森さんのこの本を読んだ時に、どうなのかなあ、と思ったことを憶えています。
「東洲斎写楽 SHARAKU WHO?」は、石森さんから面白いからぜひ読んでみなさいと言われて贈呈された本なのですが、しばらく経って、石森さんから電話があり、
「ぼくの写楽、読んだ?」
「はい、奇抜な発想でとても面白かったです」
「そうだろ。ところでさあ、その本、あなたに上げたら、ぼくのところに本が一冊もなくなっちゃってね。悪いけど、それ返してくれない?」
私は、笹塚の古本屋でこの本を見かけたことがあったので、まだ売れていないと思い、
「いいですよ、もう読んじゃったし。この間、古本屋で見かけたんで、今度それ買っておきますよ」
と言って、本を送り返したのでした。結局、古本屋で石森さんの「写楽」を買い、今もその本は書棚に置いてあります。今度また暇をみて、読み返してみようと思っています。
石森史郎さんは、昭和6年生まれで、現在82歳。今も現役で、シナリオ、小説、評伝と書きまくっておられます。高田馬場でずっとシナリオ青春塾を続け、石森先生を慕うお弟子さんに囲まれています。
「東洲斎写楽 SHARAKU WHO?」は、石森さんが遊び心で書いた空想娯楽小説です。「写楽=××」説をテーマにこれまで数多くの評論、小説が発行されてきました。新しく発行されたものもあるようです。しかし、どれもフィクションで、小説と銘打った読み物ならいいのですが、なかには学術書を気取り、自説を独善的に押し通そうとする著書もあります。写楽に取り憑かれた美術評論家もいましたし、今もいることでしょう。在野の浮世絵愛好者で、写楽の謎解きに夢中になっている人もたくさんいるようです。
私は、できる限り醒めた頭で、冷静に写楽論を書いていこうと思っていますが、どうなることやら……。
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