背寒日誌

2024年10月末より再開。日々感じたこと、観たこと、聴いたもの、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

『ゲッタウェイ』

2013年12月31日 02時03分31秒 | アメリカ映画
 『ブリット』の補足。監督はイギリス人のピター・イェーツ。彼は『ジョンとメアリー』(ダスティン・ホフマンとミア・ファーロー)の監督としても知られている(この映画、不思議な恋愛映画だったなあ)。イギリスの演劇界の出身で、自動車狂で一時期レーサーをやっていたこともあるという。マックイーンもプロはだしのレーサーだったから、二人の車にかける情熱が、『ブリット』のカーチェスに結実したと言える。


マックイーンとピター・イェーツ

 音楽のラロ・シフリンについては前回も少し触れたが、アルゼンチン出身の音楽家である。ラテン音楽からジャズを始めた才人で、トランペッターのディジー・ガレスピーの楽団の作曲を手がけていた。テレビと映画の音楽を担当し、数多くのテーマ曲を残している。テレビでは「ナポレオンソロ」と「スパイ大作戦」、映画ではマックイーンの『シンシナティキッド』『ブリット』のほかに、『燃えよドラゴン』『ダーティハリー』の音楽でも有名だ。
 私の世代では、映画音楽と言えば、若手ではラロ・シフリン、フランシス・レイ、バート・バカラック、クインシー・ジョーンズの4人の印象が強烈である。なかでもシフリンの音楽は、バックに流れるとワクワクして、身体がゾクゾク震えるほどカッコいい。「スパイ大作戦」の音楽などその最たるものだろう。

 さて、『ゲッタウェイ』。音楽はクインシー・ジョーンズ。彼はジャズの作曲家、編曲者で、私はジャズが好きなので、彼のLPレコードは買ってよく聴いたものだ。「Walking In Space」「Smackwater Jack」。どちらもジャズのレコードとしては大いに売れて大ヒットした。映画音楽でクインシーの名を一躍有名にしたのは『夜の大捜査線』(ノーマン・ジュイソン監督、ロッド・スタイガー主演)であろう。
 『ゲッタウェイ』は、「ボニー・アンド・クライド」(若いアメイカ人カップルの実在したギャング)の現代版である。私が高校生の頃封切られ、衝撃を受けたアメリカ映画は、何と言ってもこのボニー・アンド・クライドを描いた『俺たちに明日はない』(アーサー・ペン監督、フェイ・ダナウェイのボニー、ウォーレン・ビーティのクライド)だった。そのすぐあと大ヒットした『明日に向かって撃て』(ジョージ・ロイ・ヒル監督)は、これより一時代前の列車強盗の男二人組ブッチ・アンド・サンダンスを描いたもので、この映画はもともとポール・ニューマンとスティーヴ・マックイーンの共演作のはずだったと聞く。マックイーンが出られなくなって、当時まだそれほど有名ではなかったロバート・レッドフォードが代演し、人気スターになった経緯がある。アラン・ドロンとベルモンドの『ボルサリーノ』は、『明日に向かって撃て』のフランス版であった。
 60年代半ばから70年代前半は私が一番洋画を見ていた頃なので、つい話が脇道にそれてしまうが、あの頃のヒット作はあれからほとんど再見していない。来年は、青春時代に見て感動した映画をできる限り見直そうと思っている。



 『ゲッタウェイ』の監督はサム・ペキンパーである。ペキンパーは、今でも愛好する映画ファンが多いようだが、彼の映画の特長は、西部劇にしろ現代劇にしろ、その過激さにある。荒くれ男のアクションを描かせたら、彼の右に出る者はいないのではあるまいか。ペキンパーは、遅咲きの監督で、全盛期が60年代終わりから70年代後半だった。私の個人的な好みから言うと、彼の描くヴァイオレンス(動物的な凶暴さ)と反フェミニズム(よほどの女性不信なのだろう、女性蔑視すら感じる)にはついていけないこともあり、この監督は精神異常なのではないかと思うこともある。『わらの犬』を初めて見た時は、その凄さに圧倒されたが、あとで映画館を出てからなんとも後味の悪い嫌な映画を見てしまったと思ったものだ。が、『わらの犬』を見た時の衝撃はいまだに忘れられない。
 『ゲッタウェイ』は、さすがに大物スターのマックイーンが主演であり、相手役が人気上昇中のアリ・マッグローだったので、ペキンパーもこの二人を生かした映画作りには相当苦労したのではあるまいか。アウトローをアンチ・ヒーロー的に造型し、女性を嗜虐的に描くことは、ペキンパーの得意とするところだが、マックイーンは、アンチ・ヒーローには適さない俳優であり、マッグローもセクシーさのない女優である。アウトローをヒーロー的にカッコよく描きながら、夫婦愛の復活のようなテーマも取り入れたので、ペキンパーにとっては柄にない映画になってしまった。また、ところどころで首をかしげたくなるような話の展開があり、サブストーリー(アル・レッティエリ扮する強盗の凶暴な男が田舎医者の夫婦を連れて旅行するところ)にペキンパーらしさは出ていたが、ハッピーエンドの終り方にも甘さがあって、全般的にちぐはぐな感じを受けた。
 ボニー・アンド・クライドのアメリカの暗い恐慌時代なら成り立つことでも、これを現代に移し変えて、正義感(?)あるヒューマン(?)な銀行強盗を描くことにも不自然さがあったと思う。『ブリット』も後年の『ダーティハリー』も刑事が主役だから、ハードボイルドな勧善懲悪ストーリーも生かされたわけで、この現代にギャングのカップルが大金を奪って逃走しても、観客は彼らの行為にヒューマンな共感も胸がすくような快感も感じないし、そう易々と喝采できないと思う。まあ、映画は必ずしも観客の喝采を浴びなくても良いし、反社会的な行為を映画の世界に求めるという観客の願望を満たすこともあるので、何とも言えないが……。
 
 『ゲッタウェイ』のマックイーンは最初、囚人なのである。刑務所の中での様子がかなり克明に描かれ、彼は模範囚なのだが、束縛された状況に耐えられなくなっている。そこで、面会に来た妻のアリ・マッグローに、町の有力なギャングのボス(ベン・ジョンソン)に自分を売るからそれを伝えろと言う。ボスは裏取引をしたのか高い保釈金を払ったのか知らないが、マックイーンを出獄させるように取り計らい、マックイーンは、刑務所から出て来る。ここからストーリーが始まるのだが、その恩義のために一匹狼に近いプロの強盗のマックイーンが妻とともに、田舎の町のボスに命令され、無能で頭のイカれた相棒まで付けられて銀行を襲撃することになる。何とか800万ドルを盗んで、二人は裏切ったボスを殺して逃走するのだが、途中で手違いがあって、犯行が露見し、警察に追われる羽目になる。最後はメキシコに逃げ込んで、夫婦の絆を取り戻し、ジ・エンド。
 見どころは、やはりアクションシーンである。銀行強盗の場面と安ホテルでの銃撃戦は迫力満点で、固唾を飲む。
 また、ゴミの回収車に二人が閉じ込められ、押しつぶされそうになるところと、二人が車からゴミ捨て場に放り出されるところは、40年ほど前に見たにもかかわらず、はっきりと記憶に残っていた。ゴミの中で夫婦愛を確かめ合うという奇想天外な名場面である。
 この映画で、マックイーンは、共演のアリ・マッグローと大恋愛し、糟糠の妻と別れまで結婚したが、亡くなる二年前にアリ・マッグローとも離婚している。マッグローは、『さよならコロンバス』でデビューし、『ある愛の詩』で一躍スター女優になっていたが、調べてみると、清純派どころか恋多き女性で、マックイーンが三度目の夫だった。彼女も二番目の夫と離婚して、マックイーンと結婚したようだ。彼女は1939年生まれで、『ある愛の詩』の時、30歳を越えていたことを今になって知った。もっと若いと思っていた。ついでに、私が当時好きだったキャサリン・ロスは1940年生まれで、なんだ、彼女も『卒業』の時は27歳だったのか。
 


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