背寒日誌

2024年10月末より再開。日々感じたこと、観たこと、聴いたもの、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

ドリス・デイの「夜を楽しく」

2006年02月25日 15時49分17秒 | アメリカ映画

 ドリス・デイとロック・ハドソン共演のロマンティック・コメディ「夜を楽しく」(1959年)を見た。この映画、昔テレビで見たことがあった。その時は、とても楽しい映画だと思っただけだったが、今もう一度見ると、ハッピーな気分を通り越して、懐かしさで胸が一杯になった。古き良き50年代のアメリカに久しぶりに再会したとでも言おうか。今のアメリカ、私が嫌いになってしまったアメリカとは違う、私が好きだった頃のアメリカがそこにはあった。そして、前向きで底抜けに楽天的なアメリカ人がいた。
 ドリス・デイ。彼女は女優というよりも大衆的な歌手だった。いや、50年代にアメリカ人に最も愛された女性芸能人と言った方が良いかもしれない。決して美人ではないが、家庭的で親しみやすく、ひと頃アメリカでは結婚したい女性のナンバーワンだったかと思う。(同時代のマリリン・モンローは恋人にしたい女性ナンバーワンだった。)調べてみると、ドリス・デイは父親がドイツ人で(そう言えば、彼女はドイツ人っぽい顔をしている)、そして本名がやたらと長い。ドリス・メアリー・アン・フォン・ケッペルホッフ。それに比べ、芸名はずいぶん縮めたものだ。あの明るい人柄からは想像できないが、実生活では大変不幸だったようだ。両親の離婚(8歳の時)、交通事故(14歳)、若くして結婚・出産・離婚(なんと18歳)。ドリスの大ヒット曲「センチメンタル・ジャーニー」は、1944年彼女が20歳の頃の歌である。愛する者との惜別を歌った悲しい曲だが、きっと自分の気持ちを込めて歌ったのだろう。そして、一躍人気歌手になり、二度目の結婚をするが、1年もせず離婚。その後映画界にデヴューし、また結婚。仕事が多忙で、ノイローゼに罹り、三番目の夫とも死別(43歳の時)。映画女優を引退してしまう。(以後テレビのショー番組にだけ出演していた。)その間、ドリス・デイは歌に映画にとあの元気と愛嬌を振りまき、人々を幸福にしてきた。ヒット曲には「二人でお茶を」「先生のお気に入り」「ケセラセラ」などがあるが、他にも良い歌がたくさんある。彼女の歌声を聴いていると、自然と心がぬくもる。私はドリスの歌が大好きである。この映画の原題である「ピロウ・トーク(Pillow Talk)」という主題歌も粋な歌だった。挿入歌「ローリー・ローリー」を歌う場面も圧巻である。
 さて、原題の「ピロウ・トーク」とは、男と女が枕を共にして睦み合う時の会話、つまり「睦言(むつごと)」という意味だが、映画の内容はタイトルとはずいぶんかけ離れていた。ベッド・シーンなど一つもないからだ。邦題の「夜を楽しく」もシャレた訳だが、要するにこの映画は「夜を楽しく」過ごしたいという女性のエロチックな願望を面白おかしく描いたものだった。
 ドリス・デイは、ジャン・モロー(フランス女優ジャンヌ・モローをもじったのか?)という名の売れっ子のインテリア・デザイナーである。今で言うキャリア・ウーマンなのだが、あいにく30歳を過ぎても独身で、恋人もいない。ニューヨークの高級アパートで一人暮らしをしているが、共同電話が悩みの種である。共同電話というのがいかにも旧時代のシロモノで、携帯全盛の今なら考えられないことだが、同じ回線を二軒で分かち合うため、片方がお話中だと一方は電話を使えない。それに互いの会話が筒抜け、盗聴も可能で、第三者として割り込むこともできる。この共同電話のもう一人の使用者がロック・ハドソンで、顔は見たこともないが声だけは知っている男、実は女たらしの作曲家なのだ。朝っぱらから女と長電話、「昨夜は良かった、愛してるよ」みたいな話をしているのだから、堪らない。ピアノでいつも同じラブ・ソングを弾き語り、女の呼び名だけ歌詞を変えて君のために作ったなんてウソをつき、受話器の向こうにいる相手に聴かせたりしている。もう、文句の一つや二つもつけたくなる。途中で割り込み、「いい加減にして、早く切ってよ!」となる。すると、男も負けていない。「欲求不満をこっちにぶつけないでくれ!」男女間の欲求不満は、「ベッドルーム・プロブレム」(bedroom problems)という英語を遣っていた。ずいぶん直接的な表現だ。ドリス・デイが化粧台の鏡に向かい、「ベッドルーム・プロブレム?」と一人つぶやくシーンがあって、この時の表情がなんとも可愛い。ここから、共同電話のパートナーである二人の関係が意外な方向に発展していくのだが、それは見てのお楽しみ。

 ところで、ロック・ハドソン。ハリウッドの二枚目俳優で、50年代後半から60年代にかけて人気絶頂だった。シリアスな演技よりも、ちょっと三枚目的なコミカルな演技をするハドソンが私は好きだった。ハンサムな男優はどうしても大根役者に見られがちで、若い頃はとくにそうだが、年を取ってくると枯れた味が出てくることも多い。ゲーリー・クーパーなんかそうだ。しかし、ロック・ハドソンは、リメイク版「武器よさらば」(1957年)でクーパーと同じ主役を演じたにもかかわらず、60年代半ばを境に映画俳優としてのキャリアをほとんど終えてしまった。あれだけ人気があったのに、中年になると落ち目も早かった。この映画「夜を楽しく」からドリス・デイとの共演が2本続くが、この頃が彼の全盛期だった。そして、ハドソンの最期はみじめだった。1985年のこと。エイズにかかって死んだことが大々的に報道されたのである。享年60歳。当時、エイズ死を遂げた最初の有名芸能人ということで話題を独占したが、なんとも後味の悪い最期だった。「ジャイアンツ」(1956年)で共演したエリザベス・テーラーなど、ハドソンをかばって、マスコミの悪意ある報道を批判したほどである。
 話が急に暗くなってしまった。「夜を楽しく」という映画は、セリフのやりとりが実に面白い。助演者も良い。ハドソンの相棒にトニー・ランドール、彼も欠かせぬ存在だった。家政婦役のセルマ・リッター、彼女もいい味を出していた。フランスの男優マルセル・ダリオも出演していたが、彼だけはちょっとオーバー・アクションで浮いている印象を受けた。
 久しぶりに昔懐かしいアメリカのロマンティック・コメディを観て、今また私はこの手の映画に「はまりそうな」予感がしている。

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