背寒日誌

2024年10月末より再開。日々感じたこと、観たこと、聴いたもの、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

「海を飛ぶ夢」という映画の批判

2005年10月04日 08時44分09秒 | その他の外国映画
 飯田橋の映画館で「海を飛ぶ夢」というスペイン映画を見た。どんな映画かも知らず、ポスターに目をやると、外国映画賞とか書いてあった。じゃあ、ためしに見てみるか、といった軽い気持ちで映画館に飛び込んだ。つまらなければ、眠ればいいと思った。中に入ると、午前中にしては人が多いのに驚いた。もしかすると良い映画なのかもしれない、と少し期待した。
 「海を飛ぶ夢」というこの映画、途中で居眠りもしないで最後まで見ることはできたが、良い映画だとは思わなかった。正直言って感動もしなかった。見終わって、内容的にいくつか不満を覚えた。映画の完成度から言うと、賞をもらえるほどレベルが高いとは思えなかった。
 映画の主人公は、全身麻痺でずっと寝たきりの中年男である。自ら安楽死を決意し裁判所に訴えたことで、周囲の人々を巻き込んでいくという話なのだが、まず、25年も寝たきりでいてなぜ彼が急に死にたくなったのかがよく解らない。彼の世話をしている家族は、兄夫婦とその息子と彼の老いた父親だが、みんな善良で言いたいことを口に出せないで我慢している。彼らの心情が伝わってきて、なんだか気の重くなりそうな映画だと思った。が、この辺は、テーマはともあれ、主人公と状況の設定に問題はない。この主人公に三人の女の協力者が出てくる。尊厳死を認めようと推進運動をしている女と、顧問弁護士を引き受けた中年の既婚女と、テレビで彼を見て訪ねに来てから話友達になった若い女の三人だ。いずれも身内ではない赤の他人なのだが、彼と知り合うきっかけは不自然ではない。しかし、映画が進むにつれて、違和感を覚え始めた。女弁護士が主人公の過去の経緯を知り彼の書き綴った詩を読んで、彼に共感を覚えていく。ここまでは良い。そのうち、彼女の方に恋心が芽生え出した時点で、変だなと首をかしげてしまった。今度は話友達の女も(幼い子が二人いて夫に逃げられたとはいえ)彼に心を寄せるようになると、また変だなと思った。そう、簡単に寝たきりの中年男を女が愛せるようになるものか、という疑問である。主人公が身近にいる女を好きになる気持ちは解る。ただ、彼の妄想のシーンは突飛だし余計だった。寝たきりの彼が自由に動き出し、女弁護士を抱擁するのだが、なぜこんな場面を挿入したのか理解できなかった。さらに進むと、映画の内容が破綻してくる。この女弁護士、実は奇病を持っていて、発作を起こし体が麻痺してしまうのだ。リハビリ後、彼女がまた彼を訪ねてくる。植物人間になるくらいなら死んだ方がましだと言うのだ。二人の愛は高まって、心中を誓うまでになる。彼の詩の本が出来たら一緒に死のうという約束する。この後の話の展開は、支離滅裂としか思えなかった。結局、この女弁護士はまた発作を起こしたらしく、本を送りつけただけで消えてしまう。そこで彼は急に話友達の若い女を呼んで、彼女に安楽死の扶助を依頼する。こうなってくると、この男がエゴイストで、自分のために女を利用する悪いヤツに見えてしまう。もう映画は失敗だ。
 最後にコップに溶かした青酸カリをストローでのんで彼は自殺するのだが、死後、運動家の女が彼の手紙を女弁護士の家まで届けに行く。彼女は、もとの夫婦のさやに納まっていたのだが、なんと痴呆状態になって彼のことを忘れてしまっていたのだ。何だか取ってつけたようで、こんな話の結末をつけるなら彼と一緒に心中させてやったら良かったのにと思った。安楽死でも尊厳死でも情死でもいいが、テーマの扱いが中途半端で、この監督は映画という表現手段で何を問題提起しようとしているのか、さっぱり解らなかった。人間の死を描くなら、もっと深く掘り下げ、入念に映画を作ってもらいたいと思った。
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私の中の吉永小百合

2005年10月03日 07時59分08秒 | 日本映画
 吉永小百合は、昭和20年生まれだ。なぜ覚えているかというと、私の兄と同い年だからで、生年が終戦の年にあたる。もう還暦を迎えたはずで、40年以上も女優として第一線で活躍している。本当にすごいし、えらい!私はサユリスト(純正の小百合ファン?)ではなかったが、ずっと彼女をお姉さんみたいに思ってきた。
 吉永小百合は歌手だった。初めて彼女を見たのはテレビだった。「北風吹きぬく、寒い朝を…」で始まる「寒い朝」という歌を高い声で熱唱していた。そのすぐあとに、橋幸夫とのデュエット曲「いつでも夢を」が大ヒットした。確かレコード大賞を取ったはずだ。「星よりひそかに、雨よりやさしく、あの子はいつも歌っている」というあの歌は今でも口ずさむことがある。カラオケへ行って相手の女性がいないときには、私一人でも歌う。興がのると、吉永小百合のパートは裏声で歌うこともある。
 吉永小百合が出演した昔の日活映画は、リアルタイムでは見ていない。ビデオが出回り始めた25年ほど前に何本か借りて見た。「伊豆の踊り子」は好きな映画で、繰り返し見た。日本髪の若い吉永小百合が可愛い。「あいつと私」に出ている彼女のピチピチ若いこと!私は石坂洋二郎の青春小説が今でも好きだ。「あいつと私」は、松原千恵子主演のテレビ・ドラマを中学時代欠かさず見ていた。告白すると、当時は吉永小百合より松原千恵子の方が好きだった。
 最近吉永小百合の古い映画をテレビで見た。「いつでも夢を」と「上を向いて歩こう」だ。橋幸夫は今でもテレビで見かけるが、浜田光夫はどうしているのだろう?坂本九は死んでしまったが…。吉永小百合は日活時代浜田光夫との共演作が多かったが、「愛と死をみつめて」と「潮騒」はぜひもう一度見たい!
 映画監督の浦山桐朗が死んでからもう20年近く経つだろうか。「キューポラのある街」は銀座の並木座でリバイバル上映の時に見た。浪人時代だった。明るくけなげな吉永小百合に私は元気をもらった。
 浦山監督の「青春の門」と「夢千代日記」はビデオで見た。「夢千代日記」は吉永小百合の名演に引き込まれてしまった。この頃(70年代から80年代)の彼女は女優として脂が乗っていた時期だった。代表作ばかりが並んでいると思う。「天国の駅」の罪深いすさまじい女、「おはん」のいちずな情愛深い女、「細雪」の品の良い女、そして「男はつらいよ」の真面目で可憐な女、どれも素晴らしい。この時期に吉永小百合は大女優の域に達したと思う。
 テレビで原爆詩を朗読している吉永小百合を見たことがある。胸にジーンときた。
 最新作「北の零年」は見ていない。吉永小百合の映画は「外科室」くらいからずっと見ていない。ビデオを借りて見ようかとも思うのだが、ためらっている。
 テレビのCMで吉永小百合をよく見かける。その姿、あの声に接すると、私はほっとする。今は彼女をテレビでちょっと見るくらいが良いのかもしれない。
 心から吉永小百合を応援している。
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中年の魅力、ケーリー・グラント

2005年10月02日 13時46分41秒 | アメリカ映画
 ダンディな品格があり、チャーミングで大人の魅力を備えた男優。ケーリー・グラントはそんなアメリカの二枚目俳優だった。私の知っているケーリー・グラントは、もちろん戦後の彼で、ヒチコック監督の「泥棒成金」そしてスタンリー・ドーネン監督の「シャレード」に出演した彼である。麗しのグレース・ケリーやオードリー・ヘップバーンを見事にエスコートできる中年男は、グラントをおいて他にない、と思ったのは私だけではあるまい。それほど魅力的な中年だっだ。ケーリー・グラントには茶目っ気があり、しかも頼りがいのある男の余裕といったものが備わっていた。だから、若い女性の美しさが引き出せたのだろう。「北北西に進路を取れ」では、地味な女優エヴァ・マリー・セイントが特別に美しく輝いて見えたのは、グラントのおかげかもしれない。
 ケーリー・グラントはこの頃、映画の中で必ず背広を着ていた。あの横に分けた髪型も同じで、いつも金持ちの実業家のようだった。演じる人物の性格も同じというか、まさにケーリー・グラントそのもの。明るく楽天的で、陰湿なところが微塵もない、いかにもハリウッド・スターらしいスターだった。
 グラントが主演した恋愛映画で最も有名なのは、デボラ・カーと共演した「めぐり逢い」である。どちらかというとシリアスなメロ・ドラマだったが、私は事故の後の暗い後半よりも、豪華客船の中で出会った二人が愛し合うロマンチックな前半の方が好きだ。イギリス人の女性は美人が少ないという悪い評判があるが、「めぐり逢い」のデボラ・カーのなんと美しいこと!彼女はイギリス出身の女優だが、ヴィヴィアン・リーと双璧をなすイギリス美人の代表である。私は今でもそう思っている。そういえば、ケーリー・グラントも実はイギリス出身で、若い頃アメリカに渡り、そのまま定住してしまったのだそうだ。聞く所によると、あのクラーク・ゲーブルの代役として映画に出演したのが、グラントの出世のきっかけだったらしい。もちろん戦前の話だ。そして戦後、「ローマの休日」のキャスティングではグラントが主演を断ったのだという。そこでオードリー・ヘップバーンの相手役にグレゴリー・ぺックが選ばれたのだそうだ。ヘップバーンとは後に「シャレード」で共演することになるが、「ローマの休日」で、もしケーリー・グラントが新聞記者役を演じたとしたら、もっと素晴らしかっただろう。
<デボラ・カーとグラント>
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初恋のオードリー・ヘップバーン

2005年10月01日 05時54分20秒 | アメリカ映画
 オードリー・ヘップバーンは、私の初恋の人である。初めて出会ったときのことは今でも鮮明に覚えている。場所は東横線の白楽という駅のそばにあった映画館。その名を「白鳥座」といった。今から40年前、横浜に住んでいた私が中学1年の頃だ。そのとき、私は母親と一緒だった。なぜ母親と一緒だったかというと、当時は子供が一人で映画館へ行くのは不良の始まりだと思われていて、母親が保護者として付いてきたのだ。私は中学1年なのに、子供扱いだった。もっとも映画へ一人で行くのが禁じられていたのは中1までで、中2になると一人で映画館へ行き始めた。が、小遣いをはたいて映画を見に行くには限界があった。「白鳥座」はロードショーの映画館ではなく、ちょっと古い洋画を二本立てで入場料120円で上映していた。この頃はよく白鳥座へ通った。そして、ほとんど母親と一緒だった覚えがある。そのほうが小遣いを減らさなくても済むという利点もあったからだ。
 オードリー・ヘップバーンには一目惚れだった。スクリーンにオードリーが現れるやいなや、目が皿になった。そこは緑も目映い牧場だった。風のように颯爽と現れた彼女は、クリーム色のドレスをまとい、大きな帽子をかぶっていた(ような気がする)。一目見て胸が高鳴り、海の向こうにはこんな美しい女性がいるんだ!と、まるで新発見をしたように思った。
 オードリーに私が初めて出会ったこの映画は、トルストイ原作の「戦争と平和」だった。3時間近い大作である。私はストーリーなどどうでもよく、ただただスクリーンのオードリーを目で追っていた。この映画はカラー映画で、その頃テレビは白黒の時代だった。外国の女優を生身に近い姿で見る機会は映画館でカラー映画を見る以外になかった。肌の色、目の色、髪の色、唇の色、服装だって色彩がなければ、女性の美しさは引き立たない。声も大切だ。もちろん、当時私は英語を習い始めたばかりで、何を言っているかまったく解らなかったが、オードリーの声の可愛らしさとあの品の良い話し方くらいは感じ取っていたと思う。
 オードリー・ヘップバーンは、私にとって初恋の西洋人女性になった。「戦争と平和」を見てから、私の追っかけが始まった。どこかでオードリーの映画をやっていると、矢も楯もたまらず、その映画館に足を運んだ。白鳥座だけでなく、渋谷の全線座や東急名画座にも遠征した。「尼僧物語」「ローマの休日」「サブリナ」「昼下がりの情事」「緑の館」「ティファニーで朝食を」「シャレード」など古い映画を遡って見る一方、封切りの新作「マイフェアレディ」「暗くなるまで待て」「おしゃれ泥棒」「いつも二人で」なども順番で見に行った。その間、またその後も、他の西洋人女優に目移りし、つい浮気をしてしまったことも正直言って多々あった。が、誓ってもいいが、オードリーに対する私の初恋の思いは、死ぬまで変わらない。
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