昨日の山谷ではクリスマスの用意を少しした。
たぶん業務用であろう10キロほどのチョコを小分けした。
小さく一センチに満たないチョコをレンゲですくい、800個に分けた。
ビターでなかなか美味しいチョコだった。
この作業をし始めた時には終わりが見えないほど途方もない感じがあったが、どうにか一時間半くらいで終わり、一安心した。
それから水曜日にクリスマスプレゼントをパッキングするので、その準備、カップラーメンや毛糸の帽子、ホッカカイロ、缶コーヒーなどの仕分けしやすい場所に置いた。
当日に作るお弁当は炊き込みご飯を作るので、その具の入ったダンボールも所定の場所に運んだ。
700人分作るので、23日は大忙しになる。
それでも、この日はボランティアだけでも80~100人くらいは来るだろう、どうにかお祭り騒ぎのなか終えられることと思う。
白髭橋のカレーは昨日で今年最後のカレーになった。
あるおじさんは23日何か手伝うことがあったら言って欲しいと話してくれた。
もし何かあるようだったら、当日伝えるから、ありがとうと答えた。
年に一度のクリスマスは自分にとっても特別なものとなる。
この冬を乗り越えてもらうためにも、その祈りと希望を持って、彼らと語り合う日になる。
このクリスマスはMCの施設で行われる。
いつもの白髭橋での炊き出しと違い、ゆっくりとおじさんたちと話すことが可能である。
一人でも多くのおじさんと会話をしたいと望む、と同時に始終下を向き、誰とも会話を望むことのない、また会話が出来ない孤独のおじさんに気付くようにありたい。
その孤独に触れるような時を持ちたいと心から望む。
その渇きに触れられるようにありたいと心から望む。
そうあれる資格のあるものでありたいと祈る。
その資格などないものであるかもしれないが、にもかかわらず、自分はその場所を動かない。
その罪を感じながらも、その罪を許してもらうように乞いながらも、彼らに触れていたい。
神さまのために美しいことが出来るように。
彼らの痛み・苦しみ・孤独が癒されるように。
そこで気付くであろう。
与えられているのは自分であることを。
どうぞお時間がある方は彼らに会いに来て欲しい。
必ず何かを感じるでしょう。
その何かは何かであることをあなた自身に知られることをあなたのなかでずっと待っているのかもしれない。
それはマザーからの愛の贈り物かもしれない。
受け取りましょう。
溢れる愛を。