カルカッタより愛を込めて・・・。

今月のアピア40のライブは3月21日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

チョコの味。

2012-11-15 13:01:50 | Weblog

 あんは小さい頃からずっと石坂のことが大好きである。

 最近は少し大人になってきているのだろう、小さい時と違って誰にもヒョコヒョコと近寄り撫でてもらいことも少なくなってきた。

 それでも、たまにすれ違う人に「可愛い」と撫でてもらうこともある。

 この前は夜の散歩で通りすがりの人にあんが撫でてもらっていた時に、あいちゃんが来て、あいちゃんのお母さんは言った。

 「良いですね、あんちゃんは可愛いから。うちのあいちゃんはまず知らない人に近寄らないんですよ」

 「そうですか」あんを褒められて、ニコニコで答えた。

 知らない人に撫でてもらう時のあんは静かにしている大人しいあんなのである。

 それは他人の無償の愛を受け容れられる優れた特性を持っている証しである。

 あんにとっても良いし、撫でている人も癒やされる、それを見ている自分も嬉しくなる愛の現われがそこに生まれているのである。

 こうした大人しいあんではあるが、大好きな石坂の場合はちょっと違う、もう「石坂」と言う単語を聞くとレーザーのように両耳を立て、石坂を探し歩き出すのである。

 そして、石坂に会うなり、飛び着き、石坂の顔をペロペロし、尻尾はフリフリである。

 ほんとうに感心するほどよくペロペロするのである。

 この前の夜などは御代りもした。

 まず石坂宅で石坂ペロペロしてから、大通りを渡り、いつものコースを歩き、ウンチをして帰ってくると、家のとは逆の方向の石坂宅にまっしぐらにまた歩き出した。

 その日深夜近くになっても車をいじくっていた石坂にまた会いに行ったのである。

 そして、さっきもペロペロしたのに、またペロペロするのであった。

 「石坂は美味しいのか、あん?」

 「美味しいのかな?オレ・・・」

 「いや、チョコの味がするんだよ」

 「そうね、チョコの味がするんだろうな」

 チョコは甘いチョコではなく、石坂の飼い犬のミニチュアダックスのチョコの味がするのであった。

 もちろん、石坂があんを可愛がってくれることもペロペロの訳でもあろうが、それにしても、あんは石坂をペロペロする。

 そして、その後はチョコがあんの味がまだある石坂の顔をペロペロ返しをするのであろう。

 
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一安心。

2012-11-14 13:10:14 | Weblog

 あんを病院に連れて行ってほんとうに良かった。

 あんのハゲが治って来た。

 もうパンクロッカーのようなカイカイをしないのだ。

 穴が開くんじゃないかというように身体を掻いていたのだが、キャベツを食べないようになってから、それがだんだんと治まり、今は身体を掻くのは自然の掻き方で気になるところを二三回を掻いて落ち着いている。

 これに習って、あまり同じ物を与え続けないようにおやつもいろいろとバリエーションを加え、出来るだけ毎日違うおやつして、あんのカイカイが出るかどうかを慎重に見ながらあげている。

 かと言って、そういろいろもないので、とりあえず、晩酌のともをしてくれるお駄賃をリンゴから、昨日などはカボチャにした。

 カボチャは美味しいようで食いつき抜群である。

 そして、カイカイも今のところない。

 一安心だ。

 さて、今夜はどうしようか。

 サツマイモが良いかな。

 もちろん、サツマイモの皮は苦いから、ちゃんと取るよ。

 あたたかな陽射しが部屋に入っている。

 水をたっぷりあげたばかりの観葉植物たちが光合成をしている。

 ポールの声、レット・イット・ビーが静かに流れている。

 

 
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タカフミ君。その2。

2012-11-13 13:01:34 | Weblog

 昨日のブログを読んで、こう思った人もいると思う。

 「なぜ電車賃の二千円をあげて家に帰るように説得しなかったのか・・・」

 もちろん、私もそう思った。

 今もそう思っている、なぜすぐにそうしたことを彼に提案し、お金をそっとあげなかったのか、そのことを考えている。

 彼ならば、すぐにもしかすれば帰れるかもしれない、山谷の路上生活のような辛い日々を味わう必要はない、なのに、そうしたことが分かっているにも関わらず、それをしなかったのは、私のせこさからなのか、私にはそうしたせこさがあるのも事実である。

 そして、山谷には一日一食で暮らしている老人も少なくないのに、彼にだけ特別にお金を与えて良いものだろうか。

 だが、私がそうしたことを瞬時にしなかった理由の中にはまた違った理由も存在した。

 お金を渡しても、彼がそれを食事や酒に使ってしまうかもしれない、それによって彼が負い目を感じ、カレーすら食べに来てくれなくなるのでないだろうか、彼にはそうした生真面目さが伺えた。

 また私がそうして裏切られることを怖がったのか、傷付くことが怖かったのか・・・。

 カルカッタであれば、何度もこうしたお金の問題があった。

 その都度故郷の帰った者もいたし、また騙されたりもした。

 がしかし、ここでもっと深く考える。

 やはり彼は彼なのである、以前私を騙した者ではなく、タカフミ君なのであると言うことを。

 私の心の中はすでに決まっている。

 彼を説得し、お金を渡し実家に帰ってもらおう。

 でも、そのためにはもう少し時間が必要に思えてならないのである。

 言い訳にも聞こえてしまうかもしれないが、彼との会話を増やし、彼の心にもっと近くに寄ってからの方が良いのではないか。

 かと言って、万事うまく行くなどとは思えない、すべては無になるかもしれない、しかし、私は私の感情を超え、愛情深く彼に関わることによって何かの救いは生まれるかもしれないと願うのである。

 そこは私の力でない。

 あの方のお力・計らいに違いない。

 彼を信じる信じないではない、彼のありのままを愛することがまず必要なのだ。

 それは祈りの中から生まれてくるのだ。

 
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タカフミ君。

2012-11-12 12:58:34 | Weblog

 山谷に来てから五ヶ月が経つタカフミ君は24歳である。

 背は170ぐらいだろう、身体も大きく、丸坊主が伸びた頭はイガグリのようになっていて、飛び出さんばかりに大きな目は愛らしく、何かを話しかけると日焼けした顔に白い歯を出して笑うのである。

 そんなタカフミ君は裸の大将のような知的障害を持っている。

 何か聞くと、まず右手の指を一つずつ折り、言葉を放つ。

 そこに一瞬ためを持ち、そのためから言葉を放つと同時に身体も少し前にずらしながら、どもりそうになるのをその身体の勢いを借りて乗り越えながら話すのである。

 二週間前に会った時、靴下を履いておらず、サンダル履きだったが、この時は靴下を履いていた。

 しかし、風邪を引いていた。

 彼の隣に腰を下ろし、いろいろと聞いてみた。

 彼の兄弟には姉が一人いて、すでに結婚しているらしい、その姉はヤンキーだったと言う。

 彼も少しぐれたこともあったようだ。

 彼は山谷に来る前、千葉の田舎にある実家で農業の仕事をしていた。

 「米と、、畑と、、牛もいました」右手の指を一つずつ折りながら答えた。

 「大きな農家なんだね」

 「そうなんです、とても大きいです。子供の頃はよく山に行って、カブト虫やクワガタを捕っていました」

 「そうなんだ、良いところだね」

 「良いところです」

 「どうして山谷に来たの?」

 「ちょっと親と些細なことで・・・」

 この「些細なこと」と話すときだけ、口惜しそうにその言葉を出した。

 一瞬これ以上は聞いてはいけないかなと思ったが、とりあえず、その「些細なこと」を聞いてみた。

 「酒を飲んでいて酔って、ちょっとバカなことをして、それで・・・」

 「それで自分から家を出たの?出てけ!と親に言われたの?」

 「自分から出てくって言いました」

 「そうか、でも、家に帰りたいと思わないの?」

 「正直言うと帰りたいですね・・・。でも、自分から出てくって行ったからし・・・。お金もないから・・・。二千円ぐらい電車賃がかかるんです」

 「そうか、それじゃ、なかなか帰れないね・・・」

 彼はあたたかな陽射しを眩しかったのだろう、カメラのシャッターを押すように大きな目を開け閉めし、何かを回想していた。

 帰りたいだろうに・・・、あたたかな家に、食事のある家に。

 自分がその場を離れる時、大きな声で彼は言った。

 「お疲れ様でした!」

 彼は笑顔で勢い良くお辞儀をし、そして鼻水をすすっていた。

 「うん、またね。風邪、お大事に」

 {つづく}

 
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平生。

2012-11-09 12:59:52 | Weblog

 遠藤氏の小説には「平生」と言う言葉が良く出てくる。

 だが、自分はこの言葉の意味など知らなかった。

 「平生」とは辞書を引けば、いつも、ふだんの意味である。

 現在どのくらいの人たちがこの言葉を分かるのだろうか。

 それよりも「平生」も知らなかったのかと笑われるかもしれないが、自分はそれほど本を読まぬ者だった。

 ある人に聞けば、それはもう死語になっている言葉と教えてくれた。

 年寄り相手の仕事をしているが、この言葉を聞いたことがなかった。

 もしかすると耳にはしていたものの、実はどこかでその意味が分からないがため聞こえないようにしていてしまっただけなのかも知れない。

 だが、実は先日利用者との会話の中でこの言葉を耳にした。

 その言葉を実際耳にして、それが分かることが嬉しくなった。

 こうして使うのか、こんな感じで話の中に入れるのかと小説の中でしかお目にかかったことのない言葉に音がついて聞こえて来るのが妙に嬉しく思えた。

 知ると知らないとでは、大きな違いがあるのかもしれない。

 では、どう知ると言うことをも考えなくてはならないような気がする。

 興味を持ち、自ずから、それを知ることと、強制的にそれを知ることにはその意味に違いが出てくるだろう。

 同じ私というものを通して、その意味の違いが出てくるのである。

 これは面白いではないか。

 知らなかったことは知らなかったと正直に認めることにより、より豊かに知識は深められるが、知ったふりや恥ずかしさから聞こうとしないことを続けている限り、真新しい発見に出会うこともない事実があるだろう。

 にもかかわらず、何もかも聞けば良いかと言うと、そこにもまた落とし穴のようなものがあると言えよう。

 まずは自分で考えること、調べることだ。

 楽してはならずと言うことが言えよう。

 これも面白いではないか。

 私たちは「まだまだ」である。

 そこには有り余るほどの可能性を含んでいると言うことである。

 それが待っているのである。

 あなたは今日何に待たれているのだろうか。

 あなたの知らないあなたが実はいつも待っているのかもしれない。

 それは「平生」なのであろう。


 
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優しい太陽。

2012-11-08 12:33:54 | Weblog

 今日も有り難い太陽と丸みを帯びた柔らかな陽射しを与えてくれている。

 まず部屋の空気を入れ替え、観葉植物に水をたっぷりあげた。

 そして、布団を干し、あんの座布団も干し、シーツなどを洗濯機に入れまわした。

 昨日は天神山だったので、今朝は多摩川に行った。

 一面にたっぷり陽射しを浴びている多摩川のグランドはとても綺麗だった。

 何より良い風が吹いていた。

 だけど、あんは遊ばない、あんにとっては少し暑かったのかもしれないが、小さかった頃のように走り回ったりしないのである。

 まあ、それでも良い。

 またいつか遊びたくなるだろう。

 雪が降れば大喜びで走り回るだろう。

 そんな記憶の一片をまだ緑濃いグランドに重ね見てはもう一つ呼吸する。

 真新しい空気は自分の身体、そして、心を活性化していった。

 今日はのんびりトコトコ散歩、日向ぼっこ散歩だった。

 帰ってくると、洗濯機は止まっていた。

 洗濯物を干していると、あんは自分の部屋に来て窓際で日向ぼっこしていた。

 気持ち良さそうにしている。

 昼食の用意を母親がし始めたのだろう、あんは鼻を上げ、クンクンした。

 良い匂いがし始めたのだ。

 すると、あんは狩猟の本能が目覚めるのか、何か狩りでもするように一階にトコトコおりて行った。

 優しい太陽は愛溢れるようにして陽射しを注ぎ続けてくれている。

 穏やかな時がゆっくりと流れている。

 柔らかな陽射し差し込む部屋にはキャロル・キングの優しい歌声が流れていた。

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あんの山開き。

2012-11-07 13:11:45 | Weblog

 今日は仕事があるにも関わらず、天神山、小沢城址の自然遊歩道をあんと散歩してきた。

 このコースを歩くと、散歩は一時間半になり、さすがに仕事前にかなり疲れるのである。

 しかし、何よりあんがこのコースの散歩を大喜びするので、ついつい今日も行ってしまった。

 あんの山開きとは、どういうことかと言えば、夏の間この自然遊歩道は蚊やダニがすごいので歩くのを避けていた。

 11月になり、気温も下がったので、蚊はそれほどいないだろうと見込み、あんの山開きとなった。

 だが、まだ蚊はいた。

 スズメバチもいた。

 でも、それはあんの眼中にはなく、ただ自然のなか、木々と土の香りのなかを思い切り走ったりする喜びを全身で表していた。

 自分もそのなかに同化するようにゆっくりと深呼吸して生命の息吹を感じる。

 なんとも気持ちが良いものである。

 山はどんぐり取り放題。

 いたる所に転がっている。

 たまに誰かがどんぐりを上からイタズラまがいに落とす。

 そのイタズラに負けず、「一緒に遊ぼう」と声を掛けるように、山の下から這い上がってきた風を浴びた。

 それに山鳥も鳴く声も混じる。

 紅葉し始めた葉の間から落ちてくる陽射しのその光りのラインは自分とあんの歩く道に光り輝く宮殿の柱の如く並んでいる。

 無邪気なあんはそんなところもクンクンしている。

 山の中腹に少し平らなところがある。

 そこがあんと自分の追いかけっこをする場所で毎回必ず追いかけっこする。

 「ハァハァ、ハァ~」と息が速くなるのである。

 でも、楽しい、嬉しい、気持ち良い、何故か笑ってもしまう。

 風がなびけば、葉たちが誰かの噂話でもするかのように喋るし、それは「おはよう」と挨拶の言葉のようにも思える。

 自分とあんだけがそこに居るのではない、目に見えぬものたちも呼吸をしている。

 小沢城址跡には「歩こう会」の老人たちが茶を飲んで一息している横を通る。

 最後は獣道のような長い坂道をダッシュしており、穴澤天神の前に出るのであった。

 爽快であった。

 帰り道、自分のフクラハギはすこし張っていた。

 今の前の大通りの信号は押しボタンがあるのだが、待ち時間が長い。

 その時間を利用して整理体操「一、二、三、四」とやって家路に着いた。

 そして、疲れたあんはただ今日向ぼっこ中。

 
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森田ミツ。

2012-11-06 13:18:57 | Weblog

 森田ミツは遠藤周作氏の「わたしが・棄てた・女」に出ている登場人物である。

 遠藤氏はエッセイのなかで森田ミツのことを一番好きな作中人物と語っており、遠藤氏の奥さん順子氏は森田ミツは遠藤氏の理想の女性と、彼の死後の書かれた「夫の宿題」のなかで語っている。

 そして、森田ミツのモデルは井深八重さんである。

 名家の娘だった八重さんはハンセン病と診断されると、その名家から籍を抜かれてしまった。

 当時ハンセン病は想像以上の激しい差別があり、それはインドのそれとあまり変りないものだったと思われる。

 彼女は御殿場にあるクリストロア修道会のハンセン病の施設に行くが、そこで一年後手首にあったハンセン病と言われた痣が無くなり、再度検査をすると、ハンセン病ではなかったことが判明した。

 そこで彼女は施設を離れることも出来たが、そのままその施設に残り、患者たちのケアを修道女となり生涯を過ごしたのであった。

 それはそこで医者として働いていたフランス人のレゼー神父の患者たちへの献身的なケアに心を動かされていたのであった。

 絶望の奈落の底に落とされた彼女だが思いもよらぬ真新しい世界を見たのである。

 彼女は神さまを見たのだろう。

 彼女は復活したと言えよう。

 彼女はそれから看護学校に行き、看護婦になり、神さまへの感謝と喜びのなかに患者たちのケアをし続けた。

 この前山谷でボランティアに来ていたクリストロアのナースのシスターに八重さんのことを聞いた。

 そのシスターは一年間その施設で働いたことがあった。

 八重さんはほんとうに患者たちに愛される人だったと話してくれた。

 事実彼女は患者たちから「母にもまさる母」と慕われていたのである。

 不思議な繋がりで自分は遠藤氏に興味を持ち、その小説を手に取り、それに関わりを持った方にも会えた、これは神さまの計らいであることは間違えない。

 自分の血と肉にするべく、神さまは用意してくれてのであろう。

 シスターは現在八人の患者たちがその施設に元気に暮らしているとのことだった。

 時代は目まぐるしく流れ流れて変わって行っただろうとも思うが、心の傷も同じように変わっていたのだろうか。

 遠藤氏はまだ二十歳ぐらいのときに、この施設に来たことがあり、そこで患者たちと野球をした。

 その時、彼は病気が移るのではないか、と患者たちを怖がってしまったことを生涯悔やみ続けたという。

 時代は目まぐるしく流れ流れて変わって行っただろうと思うが、この遠藤氏の悔いはどう変わって行ったのだろうか。

 傷付き、また悔い改めるものを神さまは決してそのままにはしておかない真実を考えずには居られない。

 自分はそう思えてならない。

 
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ホットカーペット。

2012-11-05 13:06:24 | Weblog

 昨夜は寒かったのか、あんはいつもあんの定位置の座布団の上では寝なく、自分の布団の上で朝まで寝ていた。

 あんは寒いのが苦手、電気ストーブを点ければ、そこの前から離れない、まったく猫のような柴犬である。

 今朝朝食を食べていると、あんは部屋に入ってきた。

 晩酌と違い、自分の食べ物はないと判断すると、大人しく定位置の座布団の上で丸くなる。

 朝食を食べ終え、すでに点けていたホットカーペットの上で自分はゴロンとなる。

 そこにあんもゴロンとさせると、ここはあったかいと気付いたのだろう、ずっとゴロンとしている。

 こうして何をするでもなく、あんとゴロンとしている時が自分の至福の時である。

 まずはあんはお腹を見せる。

 あんのお腹を「ポンポン、ポンポン」と言ってたくさん撫でてあげる。

 これはあんは小さい時、まだ幼児体型でポンと出ているお腹を撫でていたので、今でもお腹を撫でる時は「ポンポン」と自分は言ってしまうのである。

 すると、あんは気持ち良いとばかりに両足を伸ばして、リラックスする。

 そのうち寝るのである。

 そして、しばらくすると両足をチョコチョコと動かし始め、どこかを走り回っている夢を見るのである。

 たまに寝言を言う。

 「クゥン、クゥン・・・」

 この場合はだいだいが口を開けずに吠えるのである。

 普段吠えるの声量の五分の一くらい、鼻から声を出している感じの声になり、それがとても愛らしい。

 どこかを駆け回り、誰かと楽しく遊んでいるあんの夢を壊さないようにそっとし、それを眺めるのが何とも心穏やかで幸せな思いに包んでくるのである。

 キャベツを止めて、今日で三日目。

 あんはこうしている時も足をカイカイしないでほっとしている。

 あともう少しあんとあったかいホットカーペットの上でゴロンとしよう。

 もしあんが言葉を話せたら、きっと自分はこう聞くだろう。

 「あん、夢の中で自分と逢えた?」

 「もちろんだよ、てっちゃんがいつもあんと遊んでくれているじゃん」

 あんの夢の中にはきっと自分がいることを確信し、それをまた勝手に喜ぶのである。

 まったく親バカな話である。

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シスタールーク。

2012-11-04 15:10:07 | Weblog

 昨日はあさみちゃん、ちよこと下北沢で飲んだ。

 下北と言えば、遠藤氏の小説にいろいろと出てくるのだが、昨日はそんな話もしたが、今日は書くことを控える。

 昨夜はちよことシスタールークの話で盛り上がった。

 ルークはマザーが亡くなる前、マザーの車椅子をおしていたシスターで長い間カーリーガートの委員長していたシンガポール出身のインド人のナースのシスターである。

 彼女は寡黙であり、一瞬見た目には凄みがあるシスターであり、彼女をあまり知らないもの{ボランティア}などからは怖がれたことも多いと思うが、彼女の患者たちにへの気配りとその思いやりの深さは他のシスターたちのそれをぐんと抜いたものがある素晴らしいシスターである。

 良い悪いは別にして、他の彼女のような位置にいるシスターたちは普通メディアのインタビュウーなども受けているが彼女は一切しなかったシスターであった。

 歩くことの不自由になったマザーが自分の車椅子をおしてもらっていたことは、彼女への信頼が大きかったことを物語っている。

 ちよこも言う、ルークのようなシスターと一緒に働けたことは幸せだったと。

 ちよこは何度もカルカッタに行っているが、たぶんすべてを合わせると二年間ぐらいの滞在であると思うが、その間二回結核になり、三回マラリアに罹り、一回疥癬になっている。

 話しを聞くと疥癬の治療の仕方をお粗末で完治するのに二ヶ月もかかったと言っていた。

 そして、疥癬は結核の罹った時よりも不快で嫌な思いをしたと言う。

 自分も疥癬だけはカルカッタから持ち帰ってきたようで、日本で発病し、おまけに母親に移してしまったことがある病気なので、それなりに変な思い入れがある。

 自分が毒だと感じ、他人に病気を移す者の罪悪感をその時学んだ。

 そのことはともかく、ちよこの場合、それほど夢中になり、ボランティアをしていた証しでもある。

 がしかし、10年以上経って考えると、やはり若さゆへに無茶をし、長期のボランティア特有の去勢をはりながら、驕りのうちに働いていたと笑い話になった。

 あさみちゃんもちよこも、もう10年以上前からの友達である、昨夜はその頃の反省し、それを酒の肴にし、あの何ともいえぬカオスであり、歓喜の街カルカッタを夢見た。

 
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