1978年(昭和53年)、ヤクルトの球団史上初優勝に貢献するなどしたデーブ・ヒルトン氏が17日に亡くなった。同氏が住むアリゾナ州の地元紙アリゾナ・リパブリック(電子版)が18日に報じた。67歳だった。死因は分かっていない。
1971年にドラフト1位でパドレス入りしたが、4年間で成績が残せず、78年にヤクルトに入団。独特の打撃フォームで、主に「1番・二塁」として活躍。当時プロ野球タイ記録のシーズン8本の初回先頭打者本塁打を放つなど、打率3割1分7厘、19本塁打、76打点をマークした。球団初のリーグ制覇、初の日本一に貢献し、特に阪急との日本シリーズ第4戦では9回に逆転本塁打を放ち、シリーズの流れを変えた一撃となった。
79年までヤクルトに在籍し、80年に阪神に移籍したがわずか18試合の出場で5月に退団。米国に帰国後、マイナーリーグでプレー。台湾球界で監督も務めた。
高等学校の寮に入っていたアキ。同室の後輩がたいへんなヤクルトファンで、ヒルトンという打撃のよい外人選手のことをいつも話してくれた。あたしは、ヤクルトの優勝がとてもうれしくて、(読売よりずっといいでしょ)ヒルトンの打撃フォームをまねたりしていた。日本選手権シリーズでも活躍してくれたよね。
ありがとう、でもさ、67歳は若すぎるよヒルトン。さみしいではないか、
アリゾナのでっかい星になって、僕たち野球ファンを見守ってほしい。
ありがとう、ヒルトン、さよなら、ヒルトン。
1971年にドラフト1位でパドレス入りしたが、4年間で成績が残せず、78年にヤクルトに入団。独特の打撃フォームで、主に「1番・二塁」として活躍。当時プロ野球タイ記録のシーズン8本の初回先頭打者本塁打を放つなど、打率3割1分7厘、19本塁打、76打点をマークした。球団初のリーグ制覇、初の日本一に貢献し、特に阪急との日本シリーズ第4戦では9回に逆転本塁打を放ち、シリーズの流れを変えた一撃となった。
79年までヤクルトに在籍し、80年に阪神に移籍したがわずか18試合の出場で5月に退団。米国に帰国後、マイナーリーグでプレー。台湾球界で監督も務めた。
高等学校の寮に入っていたアキ。同室の後輩がたいへんなヤクルトファンで、ヒルトンという打撃のよい外人選手のことをいつも話してくれた。あたしは、ヤクルトの優勝がとてもうれしくて、(読売よりずっといいでしょ)ヒルトンの打撃フォームをまねたりしていた。日本選手権シリーズでも活躍してくれたよね。
ありがとう、でもさ、67歳は若すぎるよヒルトン。さみしいではないか、
アリゾナのでっかい星になって、僕たち野球ファンを見守ってほしい。
ありがとう、ヒルトン、さよなら、ヒルトン。