もう亡くなって、30年以上たつのでしょうか?本田さんがなくなって。
実父が社員だったので、本田宗一郎さんのことはある程度身近、でした。
父はわたくしとおなじ文科系の人間なので、技術第一線にいたものではありませんでしたが、それでも草創期に入社したので、顔を覚えられていたようです。
ぼくは、昭和40年代が小学校だったので
ホンダがN360を出したり、1300クーペをだしたり
ライフやステップバンのあと、いよいよシビック発売まで
よく覚えています。
あたしのまちは、住宅地だったし、クルマも少ない中
当初はスバル360ばっかりだったのが、
段々とN360も走るようになった事
そのあと万博の前後に出したホンダ1300は、本当に売れなかった事
会社はかなり必死で通常はショールームにしか置かないのに
デパートなんかにも展示車持って行ったりして。販促品のノートや下敷き
なんか、余っちゃってもらったりですよ。
その点、シビックはすごかった。母校の大学生がいち早く乗っていました。
学生でも買える、安価で性能の良い車だって言ってましたね。
空冷にこだわった宗一郎さんと、水冷エンジンをやらせてくださいと
言った優秀な部下たち、ここで藤沢武夫さんがうまくさばいてくれなかったら
たぶん、四輪撤退、ヤマハより少し小さい二輪メーカーにおちついてしまったのではないかと、あたしは思っています。
アメリカを始め、多くの白人国家の消費者、そしてスーパーカブを筆頭に
いつも本田を買ってくれているアジアのみなさんのおかげで、
実父は豊かな年金がもらえて、こどもである私までこんなにのんびりさせてもらって、感謝にたえません。本田さんと本田技研工業そしてホンダ製品をずっと愛して下さる世界中のみなさまに、感謝しかないです。