2月7日、東京タワーの前の坂を下り、桜田通りを渡って六本木に向けて再び坂を上るべく、その交差点についた。
すると交差点は機動隊で囲まれ、バリケードが設置されていた。ロシア大使館への右翼街宣行動の規制線であることはおなじみで驚くにはあたらない。
それにしても今日は何の日だっけ?と一瞬考えてしまった自分がとても恥ずかしくなった。
2月7日は「北方領土の日」だ。
26年前の1983年から4年間、僕はこの日には仙台でビラまきをしていたはずだ。
「北方領土返還!」というビラではない。
「北方領土はアイヌモシリだ!」というタイトルだ。
「北方領土は日本固有の領土」という言説は、まず日本国が先住民族から土地を略奪したという事実を正当化するものだ。だから、「北方領土返還!」の論理は、第一の強盗日本が、第二の強盗ロシアに略奪物の返還?を求めるもので、倫理的に真っ当ではない。領土論を持ち出す以前に先住民族の権利回復を!という主張を、毎年おこなっていたのだ。
生活の中で、2月7日を意識しなくなってもう何年も経つ。
僕は1983年、仙台で近代史研究会というサークルに所属し、以降、アイヌ民族の自立解放運動に合流する立場から、北海道では「ノッカマップ・イチャルパ」、「第2回アイヌ語る会」等に参加し、また、たびたび東京のアイヌ解放研究会の学習会に参加した。そんな中で知り合った人のひとりが、アイヌ活動家である酒井衛さんだった。
ことしは、彼が亡くなって21年目にあたる。偶然なのだが、当時、彼の死を前後して、何人もの友人知人が無念の死を遂げて世を去った。僕が仙台を離れて職を転々とした時期でもあり、ほとんどの場合連絡が取れず、僕は誰の葬式にもいけなかった。
その後の僕は、アイヌに関係する運動からもはなれ、また、彼をおいて親しいアイヌという存在をその後持てずにいる。彼の追悼集として編まれた「イフンケ」だけが常に部屋のどこかに見える形で置かれている。遺影の代わりなのかもしれない(以前は妹さんの青木悦子さんからいただいたビデオがあったが、今は「外遊中」である)
当時よりは頻繁にアイヌの文化や芸術の継承や創造にスポットもあたり、比較的まっとうな形で紹介されるようになった現在ではあるが、今なお、世間の多くの人々が、すぐ身近を生きているアイヌの存在を意識できずにいる。だから、この没後21年というタイミングで今一度、酒井衛という人の存在を語ることは意味があるだろう。棚にさらされていた追悼集から、すこしずつひろってみることにする。
http://www015.upp.so-net.ne.jp/shigehp/0214.html
なお、彼の子供が「アイヌ・レブルス」http://www.ainurebels.com/というユニットで活動している。NHKでも番組になったようで、YouTubeでも映像が上がっているようだ。
2013-04-08追記 「アイヌ・レブルス」は解散したが、その後「イメルア」というユニットが活躍しているようです。 http://www.imeruat.com/
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