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「支援の社会化」プロジェクトに向かって

2012年04月08日 21時55分00秒 | 支援の社会化・支援の一般化

「支援の社会化」プロジェクトに向かって

-障害福祉を中心に据えた地域社会の実現をめざして-

 2005年あたりから、大田区内で障害福祉に関わるさまざまな人たちと交流するようになり、障害福祉について本格的に考え始めました。

OpenSessionを始めることで、その考えはより深まってきました。

そのことが、昨年大田福祉工場を退職して、長寿社会文化協会に勤めるきっかけになりました。

そして、より仕事より市民活動に重心を置いたスタンスを取って行く中で、もう、フルタイムの仕事をしながら、そのテーマを追求することは難しい、と考えるようになりました。 かつてのように、また、今までのように、昼間仕事をして、夜、余った時間と体力で課題に取り組むのでは、状況を前に進めることはできない。現状維持か、むしろ現状が少しずつ後退していくのを、食い止めて遅くする位のことしかできない。そう思うようになりました。

 障害福祉をめぐる状況は、この40年間位の間で、大きな変化を遂げてきました。

しかし、あいかわらず、多くの障害当事者、家族、支援者は、多くの犠牲を払いながら、過酷な毎日を生きています。

 今、障害福祉が社会の中に立つ位置を、決定的に変えていく必要があります。

 中村は、状況を変えるために、「支援の一般化」という概念を提唱しました。僕はそれを少し整理しながら、この間、この考え方の社会への定着をめざしてきました。

●理解の入口としてのキーワード:「支援の一般化」

・家族とプロ支援者だけでなく、誰もが少しずつ関わる支援

・支援の中で当事者を理解してゆく

・家族とプロ支援者だけでない、コミュニティ全体の問題にしていく

 

その上で、この「支援の一般化」を担保する、さらに上位の考え方が必要だろうと考えるようになりました。それを、今仮に「支援の社会化」と名付けています。

 それは、簡単にいえば「障害福祉を中心に据えた地域社会の実現」です。

積極的に否定することができないくらい、単純なことなのですが、

現在、ただの夢物語でしかなく、絶対に社会に受け入れられない考えでもあります。

なぜなら、現実には、

他のすべての領域にお金を配分したあとに、残ったものでまかなうのが「障害福祉」

だからです。障害福祉は弱者救済であり、最低限度であり、いいかえれば活かさず殺さずの領域であり続けています。

 

今、国連障害者権利条約、という、世界が障害者について考え規定した到達点があります。条約が定義する障害とは、

 

(e) 障害(ディスアビリティ)が形成途上にある概念であること、

並びに障害が機能障害(インペアメント)のある人と態度上及び環境上の障壁との相互作用であって、

それらの者が他の者との平等を基礎として社会に完全かつ効果的に参加することを妨げるものから生じることを認め、…

 

すなわち、このOpenSessionが最初から掲げているように、障害は社会の問題であるとしています。

 

そして、条約が要求するのは、障害者に権利保障する社会です。必要なだけの権利を保障するためには、必然的に障害福祉を中軸に置いた社会になる必要があります。つまり、障害福祉が真っ先にお金を取り、そのあとに他の施策に配分することになります

なぜ、このことが実現不可能といわれ、夢物語と思われるのでしょうか。そこにこそ、差別の具体的なありようがあるのだ、と僕は考えています。

障害者と健常者は被差別-差別の関係であり、被害者-加害者でもあります。

障害福祉を正当な位置に置かず、障害福祉に予算配分するのを嫌悪するのは、差別に起因するのです。

 だからこそ、さまざまな既成の価値意識を転換する必要があります。

そのためのプロジェクト「支援の社会化プロジェクト」を、僕は立ち上げることにしたのです。

 そこには、日々、当事者・家族・支援者の置かれている過酷な現状への共感が基礎にあります。そして、この現状を変えていく必要に、ひとりひとりが賛同できるならば、最終的には必ず実現するのだと思います。

 

たくさんの敗北があると思います。でも、敗北を恐れないことにします。

今取り組みを始めなければ、次の扉にたどりつくことはできない。

あきらめなければ、答えは必ず見つかる。

僕は、そう思います。


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