新横浜 占いの真龍堂です
安産祈願の神社を巡ります
今回は 高忍日賣神社 です
主祭神
高忍日賣大神(たかおしひめのおおかみ)
配 神
天忍日女命(あめのおしひめのみこと)
天忍人命(あめのおしひとのみこと)
天忍男命(あめのおしおのみこと)
高忍日賣神社には、『古事記』や『日本書紀』には記されていない、
特殊な神話がいくつか伝えられており、全国的にみても貴重です。ここにその一つをご紹介します。
昔々、九州の日向国高千穂峰に降臨された天孫邇邇尊(ニニギノミコト)と、
大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘木花之佐久夜毘売命(コノハナサクヤヒメノミコト)との間に
日子穂穂手見命(ヒコホホデミノミコト)がお生まれになりました。
この命と海神(ワタツミノカミ)の娘豊玉毘売命(トヨタマビメノミコト)とが結婚されて
お生まれになったのが日子波限建鵜葺草葺不合命(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)で、
初代神武天皇の父君です。
ところで、日子波限建鵜葺草葺不合命がお生まれになる折のお話ですが、
日子穂穂手見命と豊玉毘売命とが仲睦まじく船で海を渡られている際に、
妻神が急に産気づかれて近くの海岸で産屋を建てて、お産をされることになったのです。
そこで、鵜茅(ウガヤ→茅ではなく産屋を指す言葉だとする説もある)で
産屋を葺いてその中でお産をされるのですが、海からたくさんの蟹がはい上がってきて
産屋まで入り大変な難産になりました。豊玉毘売命が「高忍日賣大神」と一心に唱えられると
高忍日賣大神が顕現され、天忍日女命と天忍人命と天忍男命を遣わされ、
天忍人命と天忍男命には箒を作って蟹を掃き飛ばさせ、
天忍日女命には産屋に入って産婆の役目をおさせになりました。
これにより始めは難産だった豊玉姫も安産され、
産屋が葺きあがらないうちに無事男のお子様をお産みになりました。
そこで、日子穂穂手見命は、お子様を日子波限建鵜葺草葺不合命と命名されました。
この神話から、当社の御祭神は産婆・乳母の祖神、また、箒の神として多くの人々から崇敬されています。
皇室のお産の折には、当社に安産御祈祷のご依頼があります。
高忍日賣神社の御鎮座がいつのことだったかは明らかではありません。
当社は、伊予国伊予郡(現在の伊予郡とは多少異なる)にあって、南は山地や丘陵地帯、
北は平野で水に恵まれ、早くから開けていたようで、大小の古墳群や大規模な祭祀遺跡、
集落跡なども発掘されています。これらのことは、伊予郡に有力な指導者がいたことを証明しています。
当社の御祭神もその有力者だったと考えられます。
当社は、往古より皇室のご崇敬殊の外篤く、景行天皇や仲哀天皇等がご親拝になられたことをはじめ、
ご出産の際には必ず勅使が差遣されました。『伊予国風土記逸文』には
聖徳太子道後行啓の折に伊予郡を巡られたとあり、当社に参詣して「神号扁額」を奉納されました。
奈良時代には、当社が開発領主となって付近一帯を開墾して神社の前を三千坊、
後ろを千坊と称して境内八町余に及び、広大な神域を形成していました。
また、神職の中には国府の役人を兼ねる者がおり、中央とも盛んに交流がなされ、
伊予郡の文化的拠点ともなりました。
平安時代には、延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』巻九・十(延喜式神名帳)に
国がお祀りする神社(官社)が記載されており、当社の名前も記されました。
このような神社は延喜式内社または式内社と呼ばれ、現在でも格式ある神社として重視されています。
また、正三位の神階奉授があり、「高押穂明神」「高王大明神」とも称され、
勅使・国司の参向が度々ありました。
鎌倉時代には、高忍日賣若宮八幡宮と称して武家の信仰を集めました。
特に、征夷大将軍源頼朝公から幕府繁栄・安産の加護のため、神領76町を寄進されました。
また、神社の北東(鬼門)と南西(裏鬼門)にある夷子(えびす)社では月3回の市(三斎市)が開かれ、
多くの人々で賑わいました(この夷子社のことを上市夷子、下市夷子と呼びました)。
社家は大神主・大宮司を中心に武士団を形成して幕府御家人として活動し、
朝廷にも重視されていました。南北朝時代には、いち早く南朝方に属して南朝の興隆のために尽くし、
後村上天皇から勅使左少弁を遣わされて、当時の神主藤兵衛(とうのひょうえ)に
位階・神領安堵状が授けられました。
また、豪族河野(土居)通景から神領や武具等の寄進がありました。
室町時代には、夷子社で開かれていた市も月6回(六斎市)となり、大いに繁栄しました。
神社が座元となって商人たちを保護して伊予国内にとどまらず、全国各地と交易を行いました。
戦国時代になると、戦国大名の富国強兵策により、神領を徐々に失い、商工業者は城下町に集められ、
市は急速に衰えました。ただし、この市は当地方の需要のために江戸時代の
寛文年間(1661~1673)までは当社に市の設立の免許が出されていました。
江戸時代には、歴代松山藩主の崇敬厚く、藩の祈祷所として安産、厄除け、五穀豊穣、
祈雨、祈晴等の祈願が行われ、また松山藩鎮護の社・伊予郡総氏神の社として
藩主以下代官・大庄屋等が参列し、現在も藩主代官詰所が残っています
(幕末まで「藩主御成の間」がありました)。
なお、嘉永3年(1850年)に上棟された松山城天守閣の丑木は、
当社境内の北西隅にあって温泉郡の川内からも見えたという大松が使われました。
清宮貴子内親王ご生誕の際には、皇室産婆より安産御祈祷のご依頼があり、神職が奉仕しました。
境内には三輪田米山や加藤高明、武市庫太、林銑十郎等著名人の書を刻んだ記念碑や、
全国的にも珍しい四季農耕図等の絵馬の傑作、文化財が多数あります。
高忍日賣神社は全国で唯一、産婆(助産師)・乳母の祖神さまでいらっしゃる高忍日賣大神を奉斎しています。
古来、安産・子育て・縁結び・子授け・厄除け・開運の神として有名で、
その広大無辺で慈愛にあふれる御神徳は、愛媛県内はもとより全国的にも広く崇敬されています。
特に助産師から篤く信仰されており、毎年3月8日を「母子と助産師の日」と定め、
全国各地の助産師たちが当社に一堂に会し安産福運大祭が盛大に開催されます。
境内には、高忍日賣大神と助産師たちの深い絆の証として「母子と助産師の碑」が建てられています。
また、境内には「うぶすな様」「連理の枝」をはじめ、霊験あらたかな場所があります。
当社の古井戸は旱魃にも涸れることがなく、
この湧水を飲むと子宝に恵まれるとされ、女性に信仰されています。
◇所在地
愛媛県伊予郡松前町徳丸387
◇最寄りの駅
JR北伊予駅より東へ道なりに徒歩約10分強です。
<高忍日賣神社 ホームページより >
http://www.takaoshihime.jp/
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安産祈願の神社を巡ります
今回は 高忍日賣神社 です
主祭神
高忍日賣大神(たかおしひめのおおかみ)
配 神
天忍日女命(あめのおしひめのみこと)
天忍人命(あめのおしひとのみこと)
天忍男命(あめのおしおのみこと)
高忍日賣神社には、『古事記』や『日本書紀』には記されていない、
特殊な神話がいくつか伝えられており、全国的にみても貴重です。ここにその一つをご紹介します。
昔々、九州の日向国高千穂峰に降臨された天孫邇邇尊(ニニギノミコト)と、
大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘木花之佐久夜毘売命(コノハナサクヤヒメノミコト)との間に
日子穂穂手見命(ヒコホホデミノミコト)がお生まれになりました。
この命と海神(ワタツミノカミ)の娘豊玉毘売命(トヨタマビメノミコト)とが結婚されて
お生まれになったのが日子波限建鵜葺草葺不合命(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)で、
初代神武天皇の父君です。
ところで、日子波限建鵜葺草葺不合命がお生まれになる折のお話ですが、
日子穂穂手見命と豊玉毘売命とが仲睦まじく船で海を渡られている際に、
妻神が急に産気づかれて近くの海岸で産屋を建てて、お産をされることになったのです。
そこで、鵜茅(ウガヤ→茅ではなく産屋を指す言葉だとする説もある)で
産屋を葺いてその中でお産をされるのですが、海からたくさんの蟹がはい上がってきて
産屋まで入り大変な難産になりました。豊玉毘売命が「高忍日賣大神」と一心に唱えられると
高忍日賣大神が顕現され、天忍日女命と天忍人命と天忍男命を遣わされ、
天忍人命と天忍男命には箒を作って蟹を掃き飛ばさせ、
天忍日女命には産屋に入って産婆の役目をおさせになりました。
これにより始めは難産だった豊玉姫も安産され、
産屋が葺きあがらないうちに無事男のお子様をお産みになりました。
そこで、日子穂穂手見命は、お子様を日子波限建鵜葺草葺不合命と命名されました。
この神話から、当社の御祭神は産婆・乳母の祖神、また、箒の神として多くの人々から崇敬されています。
皇室のお産の折には、当社に安産御祈祷のご依頼があります。
高忍日賣神社の御鎮座がいつのことだったかは明らかではありません。
当社は、伊予国伊予郡(現在の伊予郡とは多少異なる)にあって、南は山地や丘陵地帯、
北は平野で水に恵まれ、早くから開けていたようで、大小の古墳群や大規模な祭祀遺跡、
集落跡なども発掘されています。これらのことは、伊予郡に有力な指導者がいたことを証明しています。
当社の御祭神もその有力者だったと考えられます。
当社は、往古より皇室のご崇敬殊の外篤く、景行天皇や仲哀天皇等がご親拝になられたことをはじめ、
ご出産の際には必ず勅使が差遣されました。『伊予国風土記逸文』には
聖徳太子道後行啓の折に伊予郡を巡られたとあり、当社に参詣して「神号扁額」を奉納されました。
奈良時代には、当社が開発領主となって付近一帯を開墾して神社の前を三千坊、
後ろを千坊と称して境内八町余に及び、広大な神域を形成していました。
また、神職の中には国府の役人を兼ねる者がおり、中央とも盛んに交流がなされ、
伊予郡の文化的拠点ともなりました。
平安時代には、延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』巻九・十(延喜式神名帳)に
国がお祀りする神社(官社)が記載されており、当社の名前も記されました。
このような神社は延喜式内社または式内社と呼ばれ、現在でも格式ある神社として重視されています。
また、正三位の神階奉授があり、「高押穂明神」「高王大明神」とも称され、
勅使・国司の参向が度々ありました。
鎌倉時代には、高忍日賣若宮八幡宮と称して武家の信仰を集めました。
特に、征夷大将軍源頼朝公から幕府繁栄・安産の加護のため、神領76町を寄進されました。
また、神社の北東(鬼門)と南西(裏鬼門)にある夷子(えびす)社では月3回の市(三斎市)が開かれ、
多くの人々で賑わいました(この夷子社のことを上市夷子、下市夷子と呼びました)。
社家は大神主・大宮司を中心に武士団を形成して幕府御家人として活動し、
朝廷にも重視されていました。南北朝時代には、いち早く南朝方に属して南朝の興隆のために尽くし、
後村上天皇から勅使左少弁を遣わされて、当時の神主藤兵衛(とうのひょうえ)に
位階・神領安堵状が授けられました。
また、豪族河野(土居)通景から神領や武具等の寄進がありました。
室町時代には、夷子社で開かれていた市も月6回(六斎市)となり、大いに繁栄しました。
神社が座元となって商人たちを保護して伊予国内にとどまらず、全国各地と交易を行いました。
戦国時代になると、戦国大名の富国強兵策により、神領を徐々に失い、商工業者は城下町に集められ、
市は急速に衰えました。ただし、この市は当地方の需要のために江戸時代の
寛文年間(1661~1673)までは当社に市の設立の免許が出されていました。
江戸時代には、歴代松山藩主の崇敬厚く、藩の祈祷所として安産、厄除け、五穀豊穣、
祈雨、祈晴等の祈願が行われ、また松山藩鎮護の社・伊予郡総氏神の社として
藩主以下代官・大庄屋等が参列し、現在も藩主代官詰所が残っています
(幕末まで「藩主御成の間」がありました)。
なお、嘉永3年(1850年)に上棟された松山城天守閣の丑木は、
当社境内の北西隅にあって温泉郡の川内からも見えたという大松が使われました。
清宮貴子内親王ご生誕の際には、皇室産婆より安産御祈祷のご依頼があり、神職が奉仕しました。
境内には三輪田米山や加藤高明、武市庫太、林銑十郎等著名人の書を刻んだ記念碑や、
全国的にも珍しい四季農耕図等の絵馬の傑作、文化財が多数あります。
高忍日賣神社は全国で唯一、産婆(助産師)・乳母の祖神さまでいらっしゃる高忍日賣大神を奉斎しています。
古来、安産・子育て・縁結び・子授け・厄除け・開運の神として有名で、
その広大無辺で慈愛にあふれる御神徳は、愛媛県内はもとより全国的にも広く崇敬されています。
特に助産師から篤く信仰されており、毎年3月8日を「母子と助産師の日」と定め、
全国各地の助産師たちが当社に一堂に会し安産福運大祭が盛大に開催されます。
境内には、高忍日賣大神と助産師たちの深い絆の証として「母子と助産師の碑」が建てられています。
また、境内には「うぶすな様」「連理の枝」をはじめ、霊験あらたかな場所があります。
当社の古井戸は旱魃にも涸れることがなく、
この湧水を飲むと子宝に恵まれるとされ、女性に信仰されています。
◇所在地
愛媛県伊予郡松前町徳丸387
◇最寄りの駅
JR北伊予駅より東へ道なりに徒歩約10分強です。
<高忍日賣神社 ホームページより >
http://www.takaoshihime.jp/
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