丁度、初盆法要の翌々日、敗戦の日である15日を迎え、今年も例の如く、靖国神社についての報道が過熱していた。
この日、凛として愛という映画も見、改めて、多くの日本人が子々孫々のために戦い、亡くなった深い悲しみと同時に、現代人は、物質的も恵まれ、見た目は戦前とは比較にならないほど富も得た事を痛感していた。ただ、明らかに、戦前とは異なる空虚さも深く感じていた。
この映画(動画)凛として愛のプロローグには、以下の言葉で幕が開く。
国家によって 国民の安全と平和 生命と財産を護りきれなかった
国民の悲惨さを わたしたちは知らない
日本は3年8ヶ月に及ぶ大東亜戦争に終止符を打った 建国以来初めての敗戦だった
日本の近代史がひび割れた鏡のように 歪んで伝えられていく 汚辱の日となった
負けたのは仕方がない だが 日本人は 戦いに敗れても 誠実さが必要だった
日本という国に 祖国に尽くした 幾百万の英霊に
幾千万の先人に 愛を込めて 感謝を捧げるべきだった
・・・が 果たせなかった
多くの日本人が裏切った
戦後の荒廃した日本に 赤旗がなびき 社会主義思想が広まり
勝戦国による一方的な東京裁判で 開かれる中で
日本の近代史は偽りに満ちた悪意のもとに書き替えられていった
私たちの国には 明治維新以来 幾たびかの国難に
毅然と立ち向かった日本民族の不屈の歴史があります
たった一つしかない命を 国家に同胞に 捧げた真実の歴史があります
その扉を今 開け放そう
痛烈な批判が現在を生きる者へ突き刺さる言葉の数々だが、傾向については、事実その通りだろう。一部を除いた多くの日本人が、戦前の考えを否定し、先人をも否定する暴挙に出ている。また暴挙に出ぬとも、完全に葬り去り忘れており、考える事もしない風潮だ。
これらの態度は、先人に対する完全なる裏切りだと言える。
よく、物質が豊かになり、精神面が高貴ではなくなったと言われるが、それも一つだろう。しかし、日本人の精神を変えた根本的な原因がある。それは、家督制度がなくなった事による、家を継ぐという意味、この真意が崩れたことだろう。
昔の日本は、長男に絶対的権限があった。なぜなら親の面倒を見てもらうため、親の財産はすべて長男に相続してきたからだ。だから長男は必ず親の面倒を見るという家族の重い約束がそこにはあった。生前の面倒だけではない。当然ながら、骨になっても供養する事も必然と付いてくる。【子々孫々と命を繋ぐ】というのは、単に子供を作り生む事だけではなく、家を守ることも含まれての命の継承であった。
それが、今、長男であろうが次男であろうが長女であろうが次女であろうが、絶対的継承の責任者もおらず、また縛りも存在しない。親子間で交じわる情緒を踏まえ、各ご家庭によって親の面倒や葬儀の方法、そしてご遺骨や墓に至るまで、自由に決めているのが現状だろう。
昨今、高校は自宅から通っても、いざ大学入学ともなれば、親元から遠方へ移転し、自立した形で学生時代から親と離れ暮らしている人も多いだろう。経験値としては、とても良い事ではあるが、大学を卒業してから就職と、ふるさとを離れ、大学所在地エリアで就職してしまうケースも多いのではないだろうか。
そこで恋に落ち、恋愛を育み、結婚に至る。晩婚の時代、独身者が多い時代とは言え、結婚する人がいないわけではない。ふるさとを離れ、就職先、また親よりも彼女の望みを優先する男性が多いと想像する。彼女が東京、実家は九州、就職は神奈川、ともなれば、結婚した暁に住まいを構えるのは神奈川と東京のエリアになる。そこで子供を育て、地域コミュニティーを育み、盆暮れ正月のみ、夫の実家に立ち寄る、それが長男である場合、親の面倒を誰がみるのか? 墓は誰が見るのか?という現実的問題に、いずれは遭遇する。
決断を迫られる事態に遭遇した時、遠方であること、そして仕事を理由に、親を施設に入れ、ふるさとには戻らない選択をしている男性も多いのではないだろうか。離れて暮らす老いていく親、もしくは病に伏して弱っていく親の面倒も十分に見ることもなく、亡くなれば、家族葬をし、墓は作らず、骨壷に入れて安置する、親の死を悲しみながらも、いざ現実の問題として立ちはだかる御祀りや仏壇やお墓や、どうするのか?という状況においては、足踏みをし、身内で揉め憂慮し、決断出来ずにいる人も、この世には実際に多い。
こうした話をわたしは石材店を営んでいる従兄弟から伺った。お墓も骨肉の争いではないが、兄弟同士で相続でもめて、互いに放置している家もあるそうだ。実に、ばかばかしい話しである。
葬儀やお墓事情から紐解く、現在の日本の家族像。戦後68年経った今、完全に家を継承することを軽視し、個人の自由を優先させてきたあまり、大切な重んじるべき部分がすっかり削ぎ落とされてしまった。
わたしが知っている人で、実家はわたしの近く、住まいは東京、その方は長男だ。就職し娘も大きくなり、東京で一戸建てを建て暮らしている。さすがに病気をされたお母様を東京で看取ったが、葬儀も家族葬、初盆もせず、夏休みに予約をしていたヨーロッパ旅行を存分に愉しまれていた。お金に余裕があっても、人の死を悼むことすらしない、当事者でありながら喪に服さない、こうした人もいる。その後、実家を売る予定。戻らないから、それが理由だ。
英霊が思い描いていた、子々孫々である未来の日本人は、戦後68年の間でこのように進化して行った。英霊をないがしろにし、裏切ってしまったことへの戒めは、こうした家の継承崩壊の姿なのだろう。
もう戦後100年も経てば、日本人はすっかり欧米人以上だ。家など守らなくてもいい自由さの中で、亡くなった人を祀ることもしない、遺骨は散骨へ、箪笥のような可動式遺骨安置所へ、墓などいらない、骨壷は一生自宅で放置、宗教もいらない、死んだらおしまい、そのような考えがどんどん進んでいくのだろう。
そのようなことにならぬよう、【家】の大切さを語り、【家族】の絆を深めて戴きたい。亡くなっても亡くなった家族を大切にして戴きたい。それが、英霊を思い、お慰めする真心に等しいほど、日本人として守るべき高貴な精神だ。多少の我慢を、人間は背負い生きるべきだ。でなければ、多くを護ることは出来ないだろう。
とは言え、わたしには【家】を継承してもらう子供がいない。看取る人は相方だけだ。その相方がもし先に旅立てば、わたしは看取られず死んで行く。自分の死を予見しながら、【家】の大切さを多くを語ることの出来ない立場である故に、ご先祖様、御英霊、戦没者、事件事故災害で亡くなられた死者のご供養に、汗を流したいと思っている。
子々孫々に思いを馳せて亡くなられた方への報いの行い。
この空虚さに。
ただただ申し訳なく。
この日、凛として愛という映画も見、改めて、多くの日本人が子々孫々のために戦い、亡くなった深い悲しみと同時に、現代人は、物質的も恵まれ、見た目は戦前とは比較にならないほど富も得た事を痛感していた。ただ、明らかに、戦前とは異なる空虚さも深く感じていた。
この映画(動画)凛として愛のプロローグには、以下の言葉で幕が開く。
国家によって 国民の安全と平和 生命と財産を護りきれなかった
国民の悲惨さを わたしたちは知らない
日本は3年8ヶ月に及ぶ大東亜戦争に終止符を打った 建国以来初めての敗戦だった
日本の近代史がひび割れた鏡のように 歪んで伝えられていく 汚辱の日となった
負けたのは仕方がない だが 日本人は 戦いに敗れても 誠実さが必要だった
日本という国に 祖国に尽くした 幾百万の英霊に
幾千万の先人に 愛を込めて 感謝を捧げるべきだった
・・・が 果たせなかった
多くの日本人が裏切った
戦後の荒廃した日本に 赤旗がなびき 社会主義思想が広まり
勝戦国による一方的な東京裁判で 開かれる中で
日本の近代史は偽りに満ちた悪意のもとに書き替えられていった
私たちの国には 明治維新以来 幾たびかの国難に
毅然と立ち向かった日本民族の不屈の歴史があります
たった一つしかない命を 国家に同胞に 捧げた真実の歴史があります
その扉を今 開け放そう
痛烈な批判が現在を生きる者へ突き刺さる言葉の数々だが、傾向については、事実その通りだろう。一部を除いた多くの日本人が、戦前の考えを否定し、先人をも否定する暴挙に出ている。また暴挙に出ぬとも、完全に葬り去り忘れており、考える事もしない風潮だ。
これらの態度は、先人に対する完全なる裏切りだと言える。
よく、物質が豊かになり、精神面が高貴ではなくなったと言われるが、それも一つだろう。しかし、日本人の精神を変えた根本的な原因がある。それは、家督制度がなくなった事による、家を継ぐという意味、この真意が崩れたことだろう。
昔の日本は、長男に絶対的権限があった。なぜなら親の面倒を見てもらうため、親の財産はすべて長男に相続してきたからだ。だから長男は必ず親の面倒を見るという家族の重い約束がそこにはあった。生前の面倒だけではない。当然ながら、骨になっても供養する事も必然と付いてくる。【子々孫々と命を繋ぐ】というのは、単に子供を作り生む事だけではなく、家を守ることも含まれての命の継承であった。
それが、今、長男であろうが次男であろうが長女であろうが次女であろうが、絶対的継承の責任者もおらず、また縛りも存在しない。親子間で交じわる情緒を踏まえ、各ご家庭によって親の面倒や葬儀の方法、そしてご遺骨や墓に至るまで、自由に決めているのが現状だろう。
昨今、高校は自宅から通っても、いざ大学入学ともなれば、親元から遠方へ移転し、自立した形で学生時代から親と離れ暮らしている人も多いだろう。経験値としては、とても良い事ではあるが、大学を卒業してから就職と、ふるさとを離れ、大学所在地エリアで就職してしまうケースも多いのではないだろうか。
そこで恋に落ち、恋愛を育み、結婚に至る。晩婚の時代、独身者が多い時代とは言え、結婚する人がいないわけではない。ふるさとを離れ、就職先、また親よりも彼女の望みを優先する男性が多いと想像する。彼女が東京、実家は九州、就職は神奈川、ともなれば、結婚した暁に住まいを構えるのは神奈川と東京のエリアになる。そこで子供を育て、地域コミュニティーを育み、盆暮れ正月のみ、夫の実家に立ち寄る、それが長男である場合、親の面倒を誰がみるのか? 墓は誰が見るのか?という現実的問題に、いずれは遭遇する。
決断を迫られる事態に遭遇した時、遠方であること、そして仕事を理由に、親を施設に入れ、ふるさとには戻らない選択をしている男性も多いのではないだろうか。離れて暮らす老いていく親、もしくは病に伏して弱っていく親の面倒も十分に見ることもなく、亡くなれば、家族葬をし、墓は作らず、骨壷に入れて安置する、親の死を悲しみながらも、いざ現実の問題として立ちはだかる御祀りや仏壇やお墓や、どうするのか?という状況においては、足踏みをし、身内で揉め憂慮し、決断出来ずにいる人も、この世には実際に多い。
こうした話をわたしは石材店を営んでいる従兄弟から伺った。お墓も骨肉の争いではないが、兄弟同士で相続でもめて、互いに放置している家もあるそうだ。実に、ばかばかしい話しである。
葬儀やお墓事情から紐解く、現在の日本の家族像。戦後68年経った今、完全に家を継承することを軽視し、個人の自由を優先させてきたあまり、大切な重んじるべき部分がすっかり削ぎ落とされてしまった。
わたしが知っている人で、実家はわたしの近く、住まいは東京、その方は長男だ。就職し娘も大きくなり、東京で一戸建てを建て暮らしている。さすがに病気をされたお母様を東京で看取ったが、葬儀も家族葬、初盆もせず、夏休みに予約をしていたヨーロッパ旅行を存分に愉しまれていた。お金に余裕があっても、人の死を悼むことすらしない、当事者でありながら喪に服さない、こうした人もいる。その後、実家を売る予定。戻らないから、それが理由だ。
英霊が思い描いていた、子々孫々である未来の日本人は、戦後68年の間でこのように進化して行った。英霊をないがしろにし、裏切ってしまったことへの戒めは、こうした家の継承崩壊の姿なのだろう。
もう戦後100年も経てば、日本人はすっかり欧米人以上だ。家など守らなくてもいい自由さの中で、亡くなった人を祀ることもしない、遺骨は散骨へ、箪笥のような可動式遺骨安置所へ、墓などいらない、骨壷は一生自宅で放置、宗教もいらない、死んだらおしまい、そのような考えがどんどん進んでいくのだろう。
そのようなことにならぬよう、【家】の大切さを語り、【家族】の絆を深めて戴きたい。亡くなっても亡くなった家族を大切にして戴きたい。それが、英霊を思い、お慰めする真心に等しいほど、日本人として守るべき高貴な精神だ。多少の我慢を、人間は背負い生きるべきだ。でなければ、多くを護ることは出来ないだろう。
とは言え、わたしには【家】を継承してもらう子供がいない。看取る人は相方だけだ。その相方がもし先に旅立てば、わたしは看取られず死んで行く。自分の死を予見しながら、【家】の大切さを多くを語ることの出来ない立場である故に、ご先祖様、御英霊、戦没者、事件事故災害で亡くなられた死者のご供養に、汗を流したいと思っている。
子々孫々に思いを馳せて亡くなられた方への報いの行い。
この空虚さに。
ただただ申し訳なく。