とかく、事件や事故など悲しみや憎しみが増す出来事に光を当てる世情だが、本来光を当てるのは、善の方だ。人のする尊きこと、素晴らしい行い、こちらに光を当て、広く伝達していく事が大事である。
人間の心とは、実に柔らかい。悪い事ばかりを見聞きしていけば必然と、色が染まり固まっていく。確固たる信念を持っている人は別だが、何度も何度も繰り返し悪い事が正義だと刷り込めば、見聞きしただけで、悪に対する抵抗感も薄まっていく。
またこの逆説も真なりで、良き事ばかりを見聞きし、褒め讃え、また謙遜することも教えれば、より一層良き事を真似、人に親切にする。それが正義だと刷り込めば、自己犠牲も惜しまない。
生まれた時から凶悪な人はいない。資質に問題はあっても、良き事ばかりを見聞きさせ、褒め教え、作法としての行儀を学べば、横柄で傲慢な人間にはなりにくいものだ。
若年層に垣間見れる観念論の希薄さは、利便性に富んだ時代の豊かさの中で、悪き事を見聞きする機会が増え、善の教育も十分になされず、大人と子供の区別も歴然とない中、権利や個性や自由やともてはやし、勘違いしやすい環境を大人が作りその中で、子供を教育をしたのだろう。
その中であっても、好奇心や興味関心に観念が注がれれば、良き事にも注視するようになっていく。人知れず人のためになる事とは何か、また人知れず見知らぬ亡き人々のためになる事は何か、模索しながらも実践に至れるよう歩んでいく。
良き事、良き行いを実践していけば、必ず魂が育まれる。
崇高な人とは、そういう過程を長年に亘り歩み、実践の中で、達観する目標を持った人だ。
今日、白梅慰霊の会の若き青年が、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で執り行行われる納骨式へ参列される。昨年、硫黄島の遺骨収容事業に参加され、御英霊達のご遺骨を土から引き揚げた。そして、参加した際引き揚げたご遺骨も、今回の納骨式でお納めされるという。
ご遺骨収容の労力から、納骨までの見届け、時間と交通費を使い、自分の意志で今日出発する。この一貫した真の意に、わたしは素晴らしい志と真心を噛み締めている。なかなか、時間があっても出来る行いではない。
『彼はこの国を愛し、この国を本気で良くしたいと思っている。』
そう伝え、神様に嘆願しよう。
『神様、彼を、もっと遣ってあげて下さい。』