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心人-KOKOROBITO-

亡き先人と今を生きる人に想いを馳せて
慰霊活動や神社参拝で感じ取った事を書き綴った日記と日々の雑感コラム

もうひとつの白梅17 【また6月に】

2012年06月18日 | 慰霊




完全にやられていたわたしは、仲間と共に再び眞山之塔の慰霊碑前へと歩いて行った。持ってきた荷物を各々が手に持ち、片付けていく。

『お鈴の音で、めっちゃ空気変わったなぁ~。』

『うん・・・。この場所は、壕どころの話しやないわ。もう、完全に覆いつくしてたで。お鈴がなかったら、完全にアウトや。○○(相方)、大丈夫やろか・・・苦笑。』

わたしは、カメラマンの仲間の一言に、そう答えた。相方を見ると、なんだか大丈夫な様相だ。合流した仲間は、変わらぬ表情ながらも、緩んだものではなく、どこか固かった。

この場所は、今感じるに、覆い尽した得体の知れないエネルギー体が薄くなり散って行った事だけは、感じ取れたが、確かにここで100人もの日本兵が亡くなった事を、リアルに感じ取る事は出来なかった。空気中ではなく、どこか地面の中に埋もれているような、そんな事を感じていた。御霊そのものは、時間の経過からこの世にいなくとも、想いは供養如何によって、無念さが強固なものは、とかく残りがちだ。だが、浮遊せず、地面の中に埋められていると感じるのは何故だろう。

う~~~~~~~~ん。

もしかすると、この場所は、相当汚されてるかもしれない。このわけのわからぬエネルギーに。でなければ、足元から不穏な空気まで察知する事もないだろう。悪い気が地上に上がっている事も確かにあるが、通常は、地の不穏な気というものは、局部的なものであり、全体に渉ることはあまり考えにくいのである。だが、ここは違っていた。

通常、人が大勢亡くなった場所に塩をまくという事はしないものだが、この一帯は一度まいた方が良いと、そう感じていた。次回の慰霊では、大量に神棚に御供えした塩を持参する事にし、その行いの成果に期待を寄せながら、わたしは、この場所を静かに後にした。

また、元に来た道を戻っていく。てくてく、ゆっくりと。足は重たく、気持ちも重たく、すっきりとしたものは何もなかった。謎多き、手探りだらけの慰霊だったからである。

慰霊に際し、役に立てなかった事に不満が残りつつも、6月の慰霊祭前日に再びここを訪れ、こころで感じた様々な事を、もう一度確認しつつも、真の慰霊を行える事を願っていた。


また、今度・・・。
また、今度・・・。


掃除道具やバケツをかかえ、わたし達は白梅之塔へ拝借物の返却に向った。






掃除道具類を元あった場所に置き、わたし達は一礼をして駐車場へ向った。言葉数の少ないわたし達は、それぞれの想いにやられ、車に乗り込んだのである。

おなかも減った。朝のホテルで食べたっきり、何も口にしていなかったわたし達の言葉数が少なくなった所以は、空腹もあるだろう。わたしは少しでも気力体力の回復を目指し、この近隣で何かぱっと食べられる場所が良いと感じ、ドライバーの仲間に声をかけた。

一本通りの交差点の角にある、プレハブで出来た食堂が見えた。すでに暖簾は片付けられた様子だったが、ノボリも立ち、まだ人がいる様子だった。ここに立ち寄るようお願いし、営業しているか否か、わたしが確認する事にした。

店内には、若いカップルが1組いるだけで、ガランとしていた。右奥の厨房では、何やらご婦人の声が聞こえたので近づき、声をかけた。

『すみません、まだ食事出来ますか?』

すでに、20分は超過していた様子だったが、ご婦人の一人が快く『いいですよ。』と応えてくれた。そのまま玄関を出て、わたしは仲間にOKサインを出すと、皆車中から降りてきた。

4人掛けの席に座り、メニューを見て、全員が驚く。写真には、ソーキそばと変わりご飯、そしてデザートの白玉に、コーヒーがついて、なんと税込み1コインの500円だった。

『うわっ、安ぅーっ、笑。』






思わず小さいながらも声に出てしまった。お得感満載のランチに、全員一致でソーキそばセットにした。一部、変わりご飯切れで白ご飯になったが、カメラマンの仲間が白ご飯に志願してくれた。数十分待った後、トレイに乗せられたセットが次々と運ばれた。

食べるのは、10分ほどしかかからず、手早い昼食の後はコーヒーが運ばれて来た。ここでは慰霊の事については多くを語らず、帰りの段取りなどを話していた。ヤニ切れになったカメラマンの仲間は、『ご馳走様でした。そろそろ行きましょか~。』と声を掛けて来た。わたしもすっかりニコチン激減である。車中に戻り、ニコチン注入だ。

精算を済ませ、皆車へと乗り込み、この店を後にした。なかなかの良心的食堂であり、味もそこそこだった。1コインであれば、十分すぎる味だったと訂正しておこう。この店には、また次回立ち寄ろうと感じていた。


店を出たわたし達は、レンタカー会社へ車両を返却し、その後那覇空港へと向った。少し早めに空港に入り、それぞれのお土産を購入し、後は時間待ちのため、喫茶店で時間を使った。2日間で使った経費の精算もここで済ませ、いよいよ慰霊の旅も終わろうとしていた。

出発時間前となり、わたし達は搭乗口へと向った。幸いにも同じ飛行機で同じ時間に乗り、帰りの空港も同じだった。

那覇空港を出発し、機中は心身共に疲れ切っていたため、すぐに眠ってしまった。気付けばもう到着時間だった。飛行機は無事に着陸し、飛行機を降りた後は、到着口前で荷物を待っていた。わたしは、荷物が廻っているレーンから、少し離れた場所にある駐車場の精算機で精算を済ませ、その後は座れるスペースに行き、待つことにした。しばらく経って、相方とカメラマンの仲間が荷物を運んで来てくれた。

一つ目の空港出口を出た後、合流した仲間がいきなり別れを告げて来た。


『あ、じゃぁボクはここで。電車で帰ります。』

『えーーーーーっ!? そうなん???』

『あ、はい。電車だと、すぐですし、速いですから。』

『いやいやいやいや、、、、唐突過ぎるでしょ?笑。車で駅まで送るし、ね?』

『じゃぁ、ここで。この度は、有難うございました。それじゃぁ。』

『おお、ほんまに行くんや。笑。うん、分かった。気をつけて帰ってね。有難うね。』

『じゃ。』

『有難う、また今度ねーーー。』


なんだか、あまりにもニヒルというか、ダンディというか、映画のワンシーンにような別れ方でもある。こころ積もりをしていない不意打ちのお別れ宣言というものは、一抹の寂しさと同時に微笑な笑いも生むのだ。まぁ、最後は笑顔で、また今度と別れ、わたし達は駐車場へ向った。

沖縄から本土に戻ったわたし達は、屋外を出たとたん、風に吹かれ、肌寒さを感じずにはいられなかった。捨てられた子犬のように、早歩きで駐車場に向かい、キャリーバックをガラガラと押しながら、駐車している車両まで歩き、ようやく車に到着。そして、荷物を積み込み、ドライバーの仲間の合図で車は発進し、高速道路に向け、空港を後にした。


車中、思い返してしまった。


『○○君らしい、別れ方やったな。笑。』

『ほんま、送るのに・・・。』


ドライバーの仲間の悔やまれる一言とは裏腹に、わたしは合流した仲間の別れ際のセリフが脳裏に過ぎり、改めて彼の個性をかみ締めていた。


3年前に青山さんの講演で出逢った仲間達とも、今や一緒に旅をし、ご飯を食べ、清掃し、慰霊をする仲間となった。不思議なえにしというか、必然のえにしというか、それぞれの役目というか。こころの中では、そんな想いが溢れていた。



(つづく)

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