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心人-KOKOROBITO-

亡き先人と今を生きる人に想いを馳せて
慰霊活動や神社参拝で感じ取った事を書き綴った日記と日々の雑感コラム

もうひとつの白梅18 【その後の便り】

2012年06月19日 | 慰霊



自宅に戻ってから、わたしは同行してくれたカメラマンの仲間からこの両日の写真データを頂いた。膨大な枚数だ。10日にお食事をご馳走して下さったきくさん達のために、その中から選び、小さな写真のアルバムを作った。そして、音源を持っていないきくさん以外の方々には、『白梅の少女達』という1曲収録したCD-Rを作り、全員にお礼状を添えて、お送りした。

1週間ほど経った頃、わたしの所に、白梅同窓会の我喜屋さん、外間さん、そして送迎をしてくれた大嶺さんから、次々とお手紙や葉書が届いた。どれも、本土からわざわざ白梅之塔へ足を運び、真摯に御参りをする事への感謝の想いが綴られていた。

印象的だったのが、大嶺さんの手紙で、わたしが送った写真に、写りこんでいる白いモヤのようなものは、霊的なものかしら?と書かれていた事だった。

霊的なものを感じれる人とそうでない人がおり、体質によって分かれるところだが、慰霊碑のある場所に行かれる多くの方の基本的な考え方は、目に見えないものがこの世に存在すると捉えているのではないだろうか。

霊的なものを感じるとか感じないの類は、実は二の次、三の次のお話であり、一番大切な事は、目に見えないものも信じれる”こころ”だと思っている。この信じるこころがあれば、身を置いた事象の全てを、いつか【肉眼】と、【心眼】の両方で見ていくのだろう。

【心眼】については、この慰霊活動の中で学んだ事が実に多い。わたしは、これまで会長である中山きくさんと、お手紙で交流を重ね、年に二度ほどは、現地白梅之塔で再会して来た。当初、慰霊する中で、戦争体験者のこころの傷がとても深い事を強く感じ、同情的な心情と労いの気持ちが合わさりながら、対話をしていた。またそれらと平行するように、彼女が話された日本兵に対する想い、日本国に対する想いにおいては、こころから馴染めないでいた。

『なぜ馴染めないのか?』

その理由に、死人に鞭を打つ事そのものが好ましくないと考えている上、この鞭打つ言動こそ、今生において、終わりなきこころの負を無限化させてしまうだろうと感じた事が念頭にある。

人は生き抜く中で、さまざまな不条理や理不尽な出来事に遭遇する事は、大小、強弱があっても、皆それぞれの人生の中で体感するだろう。その時に感じた想い、辛かった想いや苦悩も、年齢を重ね、死を意識し始める頃には、これまで抱いてきた負の想念を自ら浄化しようと作用させる。その負の想念を生きている間に、今生で精算し、旅立つ事こそが、人間として生まれてきた意義であろう。これは、あくまでも、わたしが理想とする生死を経験する人間の在り方への考え方だ。

中山きくさんは今も平和学習の実践の中で、学生達に対し、当時の日本兵や、日本国が、当時どのような事を学徒隊にしてきたか、その虐げられてきた事実を伝える活動をされている。こうした活動を通じ、多忙を生みながらも、今は彼女の生きる力や糧にも繋がっているように思う。

戦場の生々しい事実関係を、伝える行為そのものは、歴史の一端として、日本人全てが知っておく必要がある。だが、歴史の事実と合わせ、遺恨や嫌悪という負の感情やこころを合わせて伝えてしまう事に対し、わたしは強い疑義を抱いてきた。このこころをもって、平和を導くのであれば、とても平和活動とは言えないのではないだろうかと、そのような根幹にある矛盾を見つめていた。

人間が理想とする平和の本質、つまりその骨には、争わないこころが宿っていなければならないだろう。嫌悪や遺恨は、争う根っこのこころだ。これでは、本質が異なるのではないだろうか、このような個人の負の想念まで、本来伝えるべきではないだろう、と、そう疑義をこころに抱いて行った。

わたしは、平和学習で伝えられている想いに、疑義を持ちながらも、こころの傷から発祥した負の想念を払拭すべく、親切心をもって中山きくさん達と交流を重ねて来た。根底に流れる想いは、戦時中のご苦労を労いながら、感謝し、それでも、いつかこの負のこころを自力で精算し、この世を旅立って頂けるよう幸せを願っていた。こうして、わたしは慰霊活動と共に、その成果に繋がる目的意識を必然と持ち合わせ、これまで慰霊に精進してきた。

だが、今は、その意識も根本から改めている。

わたしは、自身の理想や考えを分かって頂こうとは思ってはいない。また望んでもいない。彼女は、彼女自身のまま、このままで良いのだ。

一つ、希望を言えば、戦争体験者が今生から旅立った死後、肉体から解放された魂になった時、わたし達が抱いていた願いや祈りや想いに気付いて頂ければそれで良いのだと、今では思いが至っている。慰霊を続けていく中で、亡き人々の想いに触れた事が、このような達観視にも到達出来たわけであり、この事を亡き人に教えて頂いたお蔭の感受だと思っている。

そのような考えに改めていったが、戦争で亡くなった方々の供養を一番にしながらも、戦争体験者のこころの傷を癒す行いは、これからも変わりなく続けていく。そのこころの傷を癒す方法はさまざまにある。わたしの場合その一つに、代表を務める『白梅慰霊の会』から、現地で清掃や御参りをした時の写真を葉書にし進呈してきた。今年で3度目の進呈になる。

これまでの葉書は、慰霊碑前のお地蔵様や白梅之塔の慰霊碑や夜間の白梅之塔などの3種を進呈したが、今年は2種類の葉書を作り、お送りした。

自決の壕近くで咲いている小さな花と共に、ゆっくり動くかたつむり。この写真に、わたしは再生を感じ、こころを奪われ、今年の葉書はこれにしようと決めた。だが、タイトルがなかなか思い浮かばず、相方に相談したところ、『67度目の春』と告げられ、あっさりと決まった。また、もう一枚は、慰霊碑前の全景を捉えた写真で、こちらのタイトルには『明珠』とつけた。この『明珠』は禅の言葉でもある。



(白梅同窓会へ進呈した《67度目の春》というタイトルの葉書)


(こちらは2枚目の《明珠》というタイトルの葉書)


これらの葉書の活用方法は、全て白梅同窓会側に委ねており、きくさんからの報告では、白梅之塔へ御参りに来られた方々への御礼状に、そして慰霊祭でも昨年配布されている。有難い事に、さまざまな方々に、葉書は配られている。一人でも多くの方に、こころの片隅に少女達を留め、また白梅之塔へ御参りに来て戴くきっかけになる葉書であればと願っている。




白梅同窓会の方々からの便りとは別に、旅から戻った後、もう一人便りがあった。それは、11日に合流した仲間からである。彼はメールで何気なくこんな事を書いていた。


『ランドセルのお守り効きました。』


旅から戻った2週間ほど後、彼は、所要があり神戸に来る事になった。時間が合えば再会を希望する内容で、その末文に書かれてた一文だった。気になる一言だが、彼らしい表現でもあるので、逢った時に詳細をお尋ねしようと想い、わたしは日程を調整し、神戸で再会を果たした。

再会した時、波上宮のランドセルの御守の話しになった。

『○○は、これまで保育園に通っていたんですけど、本当に行くのを嫌がって、ぐずってたんですよ。それで、あのランドセルの御守をカバンに付けた翌日、保育園に送ったら、めちゃくちゃ愉しそうで、一切ぐずつかずに、それから毎日保育園が愉しいって今通ってます。御守、すごいですね。』

お守りの効果の詳細に触れ、ぞくっと来た。波上宮の神様と、お子さんは繋がっているのだろう。そう、こころの眼で見えていた。父親である彼が、慰霊のためにと沖縄へ、わたしと同行した意味も、こんなところに隠されている。必然とは、こんな風にして後々気付くのだ。



今、白梅之塔へ慰霊をしながらも、さまざまなところに呼ばれ、また引き寄せられ、のちのちのために用意されている事象を体感している。わたしだけでなく、旅を共にしてくれた仲間達もそうだろう。生きている間に、亡き人々に対し、善行を共に出来る仲間がいる事は、幸せな事だ。彼らに幸多かれと、強く願いながら、これからも亡き先人に対し報いるよう善行を続けていきたいと思う。


(つづく)



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