
わたしが祈りを奉げた後、順次仲間達それぞれが御参りを行った。祈りが終わった後、わたしは、手に持ったチベットのお鈴をいつもに増して、止める事なく、鳴らし続けた。辺り一帯を覆い尽くした何か、その何かに向け、払う作用を期待し、このお鈴の音色に全てを託した。
正直、この場所は、とても歌を唄える状況ではなかった。御霊の想いを覆い隠すように阻み、得体の知れないエネルギー体の塊が気の流れを完全に封印しているのである。なぜこのような状況に至っているのか、全く分からず、本当に不気味だった。
御霊なら、こちらの意も、祈りを通じ諭す事が可能だが、そうではないエネルギー体には、人間の言語や理論が全く通じず、情で訴えても、片付けられる物ではないと感じていた。これには、本当に参った。
わたしが想像した解決策は皆無だった。今頼れるものは、手に持っているこのお鈴しかない。とにかく、鳴らして鳴らして鳴らしまくり、この音で覆いつくしているものに向け、覆い尽した気を突破するしかないのだ。
おそらく、鬼の形相で左手にお鈴を持ち、右手でバチを持って、鳴らしていただろう。仲間達は一応に無言で、わたしの後ろを付いて来てくれた。
わたしは、音を隅々まで響き渡るよう、ゆっくり鳴らしながら前進して行った。向う先は、上の壕である。上の壕に着いた後、お鈴を鳴らすのを止め、御供物類を入れた大きな肩掛けカバンの中から、おもむろに、真新しい御神水1本を取り出した。
そして、鬱蒼と茂るジャングルの中にある壕に向け、その御神水を手のひらに取り、サっとまいて行った。一滴残さず、ボトルの雫を地に落とす。この御神水への期待は、治癒力、つまり、全ての痛みを和らげ再生する事への願いを込め、わたしはこの地にまいた。まるまる1本まき終えた後、カバンを肩から下ろし、再び、お鈴を鳴らし、今度は道なき道をゆっくり、ゆっくり、お鈴を鳴らしながら壕に近づくため歩いて行った。

こころの中で、『神様~~~~~~~~~!何卒ご尽力賜りますよう~~~~~~~!』と、叫び続けていた。とにかく、覆いつくしたものを取っ払う事に専念していた。壕だけではなく、この鬱蒼と茂る樹木の狭間の隅々にまで、このお鈴を向け、丁寧に丁寧に一帯を音で響かせて行った。
十分ぐらい鳴らしていただろうか、この音によって、奇跡が起きた。それは、これまで覆っていた得体の知れないエネルギー体が、少しずつ少しずつ、その層が薄くなって行ったのである。暗かったこの一帯の空気が変わり、信じられないほどに、白々と明るくなって来たのだった。
わたしが黙々とお鈴を鳴らしている時、他の皆でお線香に火を灯してくれた。
再びこころの中で、『神様~~~~~~~~~!有難うございま~~~~~~~す!』と叫び、深く深く感謝の意を唱えた。”有難うございます”を何十回唱えただろうか。今、というタイミングで、わたしは仲間に向け、『さぁ、今。今から順次御参りして下さい。お願いします。』と伝えた。
仲間達が御参りしている間も、わたしはずっとこのお鈴を鳴らし続けていた。手のだるさは半端なく、わたしの二の腕を襲っていた。
わたしの順番は最後に廻ってきた。祈りを奉げている間も、お鈴を鳴らし続けてもらうよう相方に依頼し、わたしはこの間、高揚感を抑えながら、静かにまず、ご挨拶をした。
ここで亡くなった矢野兵長さん、そして鈴木上等兵さん、あなた方の導きがなぜあったのか、その理由をかみ締め、遅ればせながら御参りしている事をお詫びしつつ、こころの中でご報告申し上げた。そして、慰霊も次のステージに向っているような感覚も、内側から芽生えて来たのだった。

少しこの場の空気が改善されつつも、まだ、とてもここで唄える状況ではないと感じ、いつもの般若心経と六根清浄を唱えた後、陰陽師の祝詞「はやしかぜのかみとりなしたまえ」を3回つぶやき、無音の拍手を打った。そして、相方からお鈴を再び手渡させ、再びお鈴を鳴らし始めたのだった。
さきほど通った道を戻りながら、そして気になった箇所には、木々の間を少し踏み込んで入り、そこで数分留まって鳴らして行った。最初に、薄くなったと感じた時に比べ、ものすごい勢いで白々と空気が変わっていくのが目視出来た。
実に、感極まっていた。
なんと言う、多大な天のご尽力、そしてお鈴の力だ。特にお鈴の音が、得体の知れないエネルギー体に、これだけの効果効能があった事に、感慨無量であった。しつこく鳴らし続けていたわたしに、仲間達は疑問を抱いていたかもしれないが、今、このタイミングで空気が変わった事を彼らも感じている様子だった。多くを語らず共、お鈴の力を体感出来ただろう。
だが、よくよく考えれば、今回ここでの慰霊は、本来の真髄にある死者の想いとの対話にまで至っていない事に気付き始めた。立ちはだかる壁とでも言うか、ここまでの状況だったとは、恥ずかしながら、出発前には想いが完全に至らなかったのである。
同時に、慰霊碑はあっても、たった年に一度の慰霊祭だけでは、御霊の慰めは足りないという事でもある。御霊の想い、現世を生きる者への不足が得体の知れないモノを呼び寄せたのか、はたまた、御霊そのもののに宿された念が、生み作り出したエネルギー体なのか、または別の理由なのか、全てが定かではないが、いずれにしても、強烈なエネルギー体が帯をなし、塊になって行き、この一帯を覆いつくしている事に、だんだん気付き始めたのである。その範囲は、あまりにも広い・・・。
なんと言う事だろう。こんな現象が引き起こされているとは、夢にも考えなかった。現地に行って、初めて気付き、ようやく断片が理解出来始めていたのだった。
わたしが慰霊や神社参拝を続けて行く中で、体感として感じ確信して来た事は、”目に見えるものを、目に見えないものが司る”という事だった。
だが、世の中の捉え方は逆だろう。”目に見えないものを、目に見えるものが司る”、目に見えるものが優位とされる考えではないだろうか。
しかし、エネルギー体で形成されている宇宙の仕組みは、目に見えないものこそが、この星の形あるもの全てを動かす際、大きく作用させ、この星で命を宿したもの全てに影響を及ぼしている。
それらに意識を以って重きを置くか否かは、肉体を持った生き物、つまり人間が、感じるか、感じないか、見ようとするか、見ようとしないか、謙虚に受け止めるか、受け止めないか、その分別によって分かれる価値がある。目に見えないものに、価値の重さを置かなくなればなるほど、世情がおかしな方向へ向う事は必然でもあるだろう。なぜなら、宇宙の仕組みと相反するからである。
この地に覆い尽くしている得体の知れないエネルギー体でさえ、この一帯に影響を及ぼしている。得体の知れないエネルギー体は、誠に残念ながら、善良ではない、完全な負のエネルギー体でもある。このようなエネルギー体がいては、光など差し込むはずもない。
喩えるならば、慰霊が扉の向うの室内であるならば、今この得体の知れないエネルギー体が阻んでいる現実は、その扉が硬く施錠された扉でもあるという事だ。
これでは、扉の向う側に入る事さえ赦されず、御霊への御参りは、結果として亡き人々に対し、こちらの真意が伝えられない事になる。よって、慰霊の前に、何としても、この硬く施錠された扉をこじ開けねば、後が続けられないのだ。
わたしは一所懸命、お鈴を鳴らし続け、この施錠を開いたところまでは何とか、辿り着けた事を感じ取っていたが、この一帯でお亡くなりになった御英霊たちの御霊や想いには、まだ触れられずにいた。それが事実であり、とても残念で悲しくもあった。
現地に行かねば分からぬ事があり、現地に行って初めて気付く事がある。
まさに、この場所は、気付かせてもらった事が多々あり過ぎた。新たな体感として、非常に傷心的であり、御霊を放置し続けた歳月の長さが及ぼした末路という現実を、思い知らされた。これは、自決の壕どころのものではない。こんな場所が、ここ沖縄南部には、あちこちにあるだろうと想像し、想いを巡らせてもいた。
うーん・・・・気の遠くなる話しでもある。
この場所へ導いて下さった、矢野兵長さんは、壕の中で少女達に対する自身の想いを知らせ、そして自身が散った場所までも、人を返して知らせ、そして今、この場所にわたしを導き、この場所に立たせ、わたしが感受した以外に、何を想えと言うのだろう。わたしが感受した以外に、何を分かって欲しいと言うのだろう。わたしは、この場所では、全く分からずにいた。あまりにも圧倒された得体の知れないエネルギー体の存在に、彼らの想いすら遮断されている、この事実だけは理解出来たのである。
(つづく)