心人-KOKOROBITO-

亡き先人と今を生きる人に想いを馳せて
慰霊活動や神社参拝で感じ取った事を書き綴った日記と日々の雑感コラム

思想が縛る不自由さ

2013年12月10日 | 考察
今日は、日本人の左翼思想における主張を再確認するためにも、東欧で起きた数々の共産国崩壊の史実をざっと列挙しておこう。



【ハンガリー人民共和国崩壊】1989年10月
1980年代後半のハンガリー民主化運動の結果、1989年8月にはハンガリー社会主義労働者党が下野し、1989年10月23日には新憲法(ハンガリー共和国憲法)の施行によって、ハンガリー人民共和国が名実ともに崩壊した。


【ルーマニア社会主義共和国崩壊】1989年12月
1989年に起こった東欧民主化革命の波は、ルーマニアにも波及した。他の東欧諸国が無血革命で民主化を成し遂げる中、ルーマニアにもこのようなな動きが波及するのを恐れ、プラハの春とは正反対にワルシャワ条約機構軍及びソビエト連邦軍による軍事介入を求めたが、既に国内改革に踏み切っていたソビエト連邦のミハイル・ゴルバチョフ書記長はこれを一蹴し、事実上、チャウシェスクはソビエト連邦に見限られる形となった。それでも、チャウシェスク大統領はなおも権力の保持を図ったが、首都ブカレストを含む全国規模で暴動が発生。また、ソビエト連邦軍の介入がないことが確実となったことで、ルーマニア軍も反旗を翻し、1989年12月16日に勃発したルーマニア革命によって、12月25日にチャウシェスク夫妻は処刑され、民主化が実現した。


【ポーランド人民共和国崩壊】1989年12月
1989年、円卓会議による合意に基づいて実施された6月18日の議会選挙によって統一労働者党は敗北し、1989年9月7日には非共産党政権が成立してポーランド人民共和国は消滅し、現在の第三共和国が新たに成立した。同年12月29日に施行された新憲法により、統一労働者党の一党独裁政体は法的にも消滅した。


【ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)消滅】1990年10月
第二次世界大戦後の1949年に、ドイツのソビエト連邦占領地域に建国された国家。ドイツ西部から南部にかけてのアメリカ・イギリス・フランス占領地域に建国されたドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)とともにドイツを二分した分断国家の一つ。1990年にドイツ連邦共和国に吸収される形で消滅した。


【ソビエト連邦崩壊】1991年12月
1917年11月7日のロシア革命により成立したソビエト連邦は、第二次世界大戦後にはアメリカ合衆国に伍する超大国として君臨したが、74年後の1991年12月25日に崩壊した。
1991年8月19日、守旧派の党官僚によるソ連8月クーデターの失敗は、ソビエト連邦とソビエト連邦共産党の崩壊を決定的にした。8・19クーデターでは、モスクワ市民は、チェーカー(KGBの前身)の設立者であるフェリックス・ジェルジンスキーの銅像を引き倒した。クリミアでの軟禁を解かれたゴルバチョフは、直ちにソ連共産党の活動停止を指示した。こうして、1898年に「ロシア社会民主労働党」という名称で設立され、世界最初の共産主義政権を打ち立て、全世界の共産主義政党をリードしたソ連共産党は、ついに廃止された。

【チェコスロバキア社会主義共和国分離】1993年1月
1948年のチェコスロバキア選挙で、チェコスロバキア共産党が政権を獲得し、人民民主主義体制をとったことにより、誕生した国家。1968年のプラハの春はスロバキアの自治権要求にさらに拍車をかけ、1969年に施行された「チェコスロバキア連邦に関する基本法」(チェコスロバキア連邦議会1969年法律第143号)に基づき連邦制が導入され、チェコおよびモラビア地方に「チェコ社会主義共和国」、スロバキア地方に「スロバキア社会主義共和国」が設置された。1989年からの「ビロード革命」によって共産党体制は崩壊し、翌1990年には複数政党制による自由選挙が行われた。1992年6月の選挙では民主スロバキア同盟が勝利したため、それまで互いに反発していたチェコとスロバキアの分離は決定的となった。1993年1月にチェコスロバキアはチェコとスロバキアに平和的に分離(ビロード離婚)した。






国内にも、露骨に【共産主義】と命名している日本共産党もあり、また【社会主義】を命名している社民党などもある。

よく日本共産党は、我々は中国共産党とは違う!などと説明しているが、表面的な話はどちらでもよく、また、興味もなく、見るべきは根幹思想の出処にしか過ぎない。社民党も同じ事だ。

その共産主義や社会主義の主張の違いは、正直興味がなければ一束にとかく語られるが、まぁ取り立てて目くじらを立てるほどの相違はないように思う。こうして崩壊した数々の共産国の史実をなぞれば、共産党の政策は、社会民主主義政党の政策と大差ないものになり、社会民主主義と共産主義の違いも、過去よりももっと曖昧になっている。これが、現在の日本共産党にも通じ、また社民党にも通じる部分。

崩壊してしまった共産国の共通点は、思想を主張しながら実質的にその思想を武器に、時の主導者が私腹を肥やした事だ。目にあまるのは、ルーマニアのチャウシェスク政権。貧しい市民と対極にあったこの大統領夫婦は有り余る財産を抱えていたのだ。

現在、共産国として思想を保持しながらも、自由経済を取り入れ開放した国が隣国の中国。イデオロギーの片方を民主化の一部を取り入れ統治をしている。唯一、天安門事件に垣間見られる民主化運動も武力で制圧し、80年代に生き残った国家だ。

今、ニュースでも話題になっているが、中国共産党上層部の親族が抱える財産の分散情報がある。信じられない程の財産を抱え、万が一に備え亡命出来るよう根回しは完璧だ。

このニュースも、チャウシェスク政権と重なるものがある。思想の主義主張、態をなす実態、ここへの精査は言動と行動をすり合わせすれば一目瞭然だ。つまり、自分が権力を握る、他人を制圧する事への憧れはあっても、自分以外の対極にある思想を持つ者が握る権力は、赦せないのだ。

わたしは共産主義や社会主義、いわゆる国内においては左派と言われる方々の弱点は、権力への憧れに尽きると思っている。それを隠すために詭弁に至る。共産主義国の共通点は、指導部への権力の集中と金の集中、市民が貧しくても一度手に入れた権力と金は、絶対的に手放さない。それが、共産主義国の史実だ。

だから、日本の左派は雄弁に語り、耳障りの良い一見庶民の味方だと思われるような論調を生む。共産主義に憧れのないものは、権力の主張は基本的にはしないものだ。保守が国家権力の横暴だ!など、聞いた事がない。これは、言葉の裏返しにしか過ぎない。

本音を隠した発言の理念など、そもそも何の信頼性も生まない。彼らは祖国を愛しているわけではなく、彼らは自分を愛しているのだから。ここが最も卑しさを感じる所以だ。

先の特定秘密法案での反対姿勢に垣間見られる卑しさは、国家権力への憧れがそもそも行動原理にある。それは、共産主義の一見綺麗な耳障りの良い発言の裏にある、素性そのものとも言える。

現在も、これらのマルクス思想にかぶれた60代が、中核派や革マル派やと、若者を洗脳して行動を共にする働きかけをしているが、なんのことはない。根幹は自己愛の極端な行動にしか過ぎない。だからこそ、最初は結託したものの、追い詰められた赤軍派の末路は、自分が助かろうとする余り、最後は次々と仲間を殺したのだ。日本人の左派の象徴たる行動ではないか。自分以外、他人の命など、そう深く重く捉えてはいない証だと言える。

共産主義の主張には、理想理念が散りばめられている。疑義を持たないものは、完全に騙され洗脳される確率も高い。ましてや、芸能人や有名人が近しい主張をすれば、影響も受けやすいだろう。

しかしながら、初対面においては、自分が何者かを説明すると同時に、相手が何者なのかを探る意味でも、相手の主張に耳を傾ける事はとても大切な事だ。相手との距離を保ちながら、どうしてですか?なぜですか?それでどうなりましたか?それで?を繰り返して相手の思考部分を尋ねる事は、相手の着飾った洋服を脱がして行く事に等しい。この繰り返しの中で、だんだん必ず本音を晒し最後は裸になる。それが人間の弱点だ。裸にされた後、必ず怒りだし本心まで話す。

余談だが、怒りやすい人がなぜ分かりやすいかと言えば、感情的衝動で本音を話すからだ。ジャーナリストの常套手段でもあるが、日常会話においても、丁寧に尋ね続ければ、本音から紐解くその人の思考、そして本心に近づく事が出来る。相手が何も深く考えていない事や熟慮している事など細部まで読み説く事も、出来るだろう。

紐解く行為そのものに、そこまで興味を持つ事が出来るかどうかが鍵ではあるが、まぁ、左派思考の方と出会っても、少し話し、相手を紐解く事が出来れば、深入りする必要もない。なぜなら、先人が築いた思想概念を網羅することなく、他国の人間が作った思想に恋焦がれているというのは、そもそも奇特な人だからだ。

共産国が崩壊しても、未だに受け入れられない様は、やはり、敵は己だとしか言いようがない。彼らは、歪んだ自己愛から脱却出来ず、未だに己に敗北している最中だろう。だが、その視点すら持ち合わせていない。バランスの悪すぎる人間の内側というものは、常に満たされず不足ぎみで、それらを満たそうと対外に向け働き、悪循環を生みやすくするものだ。

満たされぬ、不足ぎみ、という部分への意識がない場合、必ず欠如したものを他人と関わり埋めようとする。しかし、本来日本人は自分から生み出し満たしてきた。自然に触れ、内観し、己の欠陥を悟り、意識によって埋め、満たす。この内面の作業は、残念ながら左派は決してされない。

自己認知力の欠如からも、負から開放されず、国家を敵視し、死んでいくのだろう。そう考えると、生命そのものが、時折可哀相に感じる時もある。一つの思想に傾くということは、実は、”思想に束縛された不自由な中で生きている”という事に必然と帰結するのだから。

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