城と歴史歩きを楽しむ

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三河・夏山 大久手の七人塚 武田勝頼と奥平氏の歴史の一端がこんなところに

2018-10-02 | 歴史
大久手の七人塚は岡崎市夏山町の人里離れた谷あいにひっそりと祀られている。
 戦国時代、夏山町は奥平氏の一族が領有していました。三河奥平氏は武田に属し、武田に人質を差し出していました。その後長篠・設楽ヶ原の戦いの前に奥平氏は武田に叛旗を翻し徳川家康に属して長篠城に籠城します。これに怒った武田勝頼は奥平氏の人質の仙丸とその従者を殺し、鳳来寺山の麓でさらし首にしました。
 さらされていた首を乳母が密かに奪って仙丸の出身地の夏山に帰りました。奪われた首を取り戻すため武田方の七人が夏山に潜入しますが発見され、追われて大久手の谷間まで逃れたところで討ち取られてしまったと伝わります。


夏山と大久手の七人塚  国土地理院地図に加筆 地図をクリックで拡大
七人塚は林道からしばらく歩いて到達します。老人ホーム額田の里から額田ゴルフの南側の細い林道を進んみます。林道脇のスペースに車を止めて歩いて山道を辿ると現地に到着です。地図を信じて突き進まないと途中で引き返したくなるような寂しい林道と山道でした。


谷間の平坦地に七人塚の石碑が建ち説明板もありました。
谷間の山道をたどって進み石碑が見えたときにはホッとしました。


七人塚 立派な石碑は戦後になって建てられた
石碑は地元の篤志家が戦後建立されました。建立時の法要には甲州から関係者の方が来られてお参りをされたそうです。


土壇には7つの石が集められている。
七人塚の近くに土壇があり、七つの石が積まれていました。ひょっとすると以前は七つの墓石が散在していたのかもしれないと想像しました。

人質仙丸の処刑は鋸挽きだったとも伝わり、悲惨な最後だったようですが、首を取り返すため見ず知らずの土地に来て、山中を逃げ回ってここで討たれた人たちも、戦国の世のならいとはいえ哀れな最後だったと思いました。