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越後・高田城 超高速、四十日で完成した天下普請の土の城郭

2018-10-26 | 歴史
高田城は上越市本城町にあります。
松平忠輝の時、直江津港の近くの福島の地に七年前に築いた福島城から、天下普請で40日かからずに築城されたと伝わります。築城を急いだためか近世の城としては珍しく石垣は使わず、土塁と堀で築城したとされます。
 明治に入って、陸軍の部隊を誘致して改変を加えた為に、堀や土塁の一部が失われ新たな土橋も築造されました。戦後は本丸内の過半は大学用地となり、現在は上越教育大学附属中学校となっています。
 近年の情勢で、埋めた内堀を掘り起こし、大手橋にあたる極楽橋を復元し、本丸南西隅には三重櫓も復元して、高田のシンボルとしています。


内堀を掘り起こして復元した極楽橋
中世のお城の雰囲気が出ていて、見どころの一つとなって、復元して良かった。夏の蓮まつりに訪れた観光客もお城に入る気分を味わえそうです。


往時は大きな枡形と門があったが、今は広場で土塁の断面が目立っていました。


三重櫓内の展示模型で見ると、ありし日の大手枡形のイメージが掴める
四方を土塁で囲み、土塁の上には塀が取り巻き、門が枡形の入口と出口にあったのがわかりました。近世の城を石垣を使わず土で作ると「こうなる」というサンプルのような城郭だったようです。


本丸内の過半は学校として使われています。いつの日か学校が移転して、高田城の遺構全体を見ることができるようになったら、もう一度訪れてみたいと思いました。

三重櫓と土塁を断切った後世の土橋
内堀に築造された後世の土橋ではあるが、これはこれで景観にマッチしていて観光用としては良いのですが、城郭としての説明が不足しているので、往時からこのような姿だったと考える人もいるのではないかと思いました。


広大な外堀は蓮池となっている
外堀は東側が埋められたが、西側の幅広の外堀は、ほぼ原型を保って残されました。今は広大な蓮池となり、夏の開花シーズンには全面を蓮の花が覆い、見事な景観となリ盛大に蓮まつりが開催されるそうです。

高田城は、遺構の一部しか見ることが出来ませんでしたが、天下普請で築いた近世の巨大な土の城の一端を味わうことが出来ました。