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越後・春日山城  上越の巨大な名城を訪ねる 見学会にて

2018-10-23 | 歴史
春日山城は上越市にあります。20日(土)、21日(日)に東海古城研究会の一泊二日の特別見学会に参加して訪れました。以前から行ってみたいと思っていたので期待に胸がおどります。
 信越国境を越える頃には車が水しぶきを上げるほどの雨、春日山城も雨を覚悟しましたが、現地に到着したときには曇り空で、時々日が差す絶好の山城日和でした。

監物堀 堀と土塁が復元されている。土塁の切れ目には楼門が有ったという
監物堀は一部が復元されていますが、全長は1kmを超える長大な堀と土塁が築かれて、春日山城の総堀の役割だったようです。往時の土塁の高さは基部の幅から見るともっと高かったのではないかと思いました。
 監物堀に隣接して春日山城跡ものがたり館があり、ここで予備知識を得て春日山城へ向かいました。


米蔵と名付けられた土塁囲みの曲輪。土塁のボリューム感があります
春日山城の曲輪名は後世になっての命名が多いらしく、名称の混乱や首を傾げたくなるような命名があちこちで見られました。米蔵のあるのは一般的には三ノ丸でしょうか。
三ノ丸には上杉三郎屋敷の石柱も立っています(三郎は景虎のこと)。


諏訪堂阯 奥に毘沙門堂阯 謙信が籠もったという毘沙門堂はここ
現在、毘沙門堂は付近に再建されているが、往時の毘沙門堂はここに有ったと伝わります。最近では「義の人」という伝承にも「諸説あり!」ですが、今後評価が変わっていくのでしょうか?


土砂崩れで遺構の一部が失われ、帯郭も寸断された
二ノ丸の下部が土砂崩れで見学路が通行止めになっていたようだが、現在は一部を除いて通行可能となった。帯郭の一部も崩れて通行できないところがありました。

搦手道の千貫門 土塁の間に搦手道が通り、そこに門があったようだ
往時の搦手道は現在の見学路とは違っていたようで、土塁囲みの曲輪の土塁の切れ目に千貫門が有ったのではないかと思われる。

ここを下ると、春日山神社に出る。春日山神社は山形県米沢市の上杉神社より分霊され、謙信を祀った神社で、明治34年に創建された新しい神社でした。
 神社といえば古くからあると思い込んではいけないようだ。そういえば甲斐の武田神社は大正の創建だった。

伝説で彩られた上杉謙信と春日山城、すべてを見るには一日がかりになりそうですが、今回はボランティアガイドさんの案内で、時間が許す限りのベストの見学出来たと思います。機会があれば、もう一度ゆっくり見学したいと思いつつバスに乗り込みました。