高根城は静岡県浜松市天竜区水窪町にあります。 15世紀中頃までに地元国人領主奥山氏によって築かれたと伝わります。
後に今川氏の配下となり北遠江一帯を支配したが武田氏の南下、徳川氏の遠州侵入などあり奥山家の内部分裂を経て武田氏の配下となり武田氏北遠の拠点として整備された。この時期には水窪城下流約2kmの若子城も武田の支配下に入ったとされます。
天正4年、武田氏の勢力が徳川家康によって遠江から駆逐されると高根城はその役割を終えました。
2001年に遺構の発掘調査に基づいて堀、土塁だけでなく建物の復原も行われて戦国の山城を眼前に見ることができる様になり、一躍脚光を浴びました。
高根城と水窪周辺地図 国土地理院地図をカシミール3Dで加工・加筆
水窪川が高根城の北側から西側に流れ、東側は急峻な斜面を要害としている。南側は尾根続きで侵入されるのを防ぐために巨大な二重堀切、堀切で尾根を断ち切っていました。
高根城 南尾根を断ち切る二重堀切 と間の土塁 左手奥は城外
高根城の弱点は南尾根にあると思われるので、この方面の防禦が厳重に行われている。右手の三の曲輪を巻き込むように薬研堀の堀が取り巻いている。
高根城 二の曲輪ー三の曲輪間の箱堀と土橋 西から
二の曲輪と三の曲輪間の深い堀切の堀底は箱堀であることが発掘調査で確認された。さらに堀の東側には土橋が有ったことも確認された。写真奥の人物が立っているのが土橋です。
高根城 本曲輪付近に残る石積 石積は土留程度で、基本は土の城
少量の石積が見られたが、土留程度で石垣の城とは言えないと思いました。
復原された高根城 戦国の姿が蘇った・・・カッコ良すぎ!
建物跡も礎石や柱穴が発見されたことから、推定される建物が復元されていました。柵なども復元され、まるで戦国時代の映画のセットのようですね。ここまで徹底すると若干の「やり過ぎ感」が漂います。
高根城からの北向きの眺望 水窪川沿いの集落と信州に連なる山々が一望できる
高根城は城郭遺構だけでなく、眺望も素晴らしいです。武田時代には甲斐に通じる狼煙の道があり、高根城もその重要拠点だったとされますが、この眺望を見ると納得できました。
戦国時代の土の山城のジオラマを見るような高根城でしたが、発掘調査に基づいた復原だけにリアル感が抜群で、他では見られない満足感がありました。
後に今川氏の配下となり北遠江一帯を支配したが武田氏の南下、徳川氏の遠州侵入などあり奥山家の内部分裂を経て武田氏の配下となり武田氏北遠の拠点として整備された。この時期には水窪城下流約2kmの若子城も武田の支配下に入ったとされます。
天正4年、武田氏の勢力が徳川家康によって遠江から駆逐されると高根城はその役割を終えました。
2001年に遺構の発掘調査に基づいて堀、土塁だけでなく建物の復原も行われて戦国の山城を眼前に見ることができる様になり、一躍脚光を浴びました。
高根城と水窪周辺地図 国土地理院地図をカシミール3Dで加工・加筆
水窪川が高根城の北側から西側に流れ、東側は急峻な斜面を要害としている。南側は尾根続きで侵入されるのを防ぐために巨大な二重堀切、堀切で尾根を断ち切っていました。
高根城 南尾根を断ち切る二重堀切 と間の土塁 左手奥は城外
高根城の弱点は南尾根にあると思われるので、この方面の防禦が厳重に行われている。右手の三の曲輪を巻き込むように薬研堀の堀が取り巻いている。
高根城 二の曲輪ー三の曲輪間の箱堀と土橋 西から
二の曲輪と三の曲輪間の深い堀切の堀底は箱堀であることが発掘調査で確認された。さらに堀の東側には土橋が有ったことも確認された。写真奥の人物が立っているのが土橋です。
高根城 本曲輪付近に残る石積 石積は土留程度で、基本は土の城
少量の石積が見られたが、土留程度で石垣の城とは言えないと思いました。
復原された高根城 戦国の姿が蘇った・・・カッコ良すぎ!
建物跡も礎石や柱穴が発見されたことから、推定される建物が復元されていました。柵なども復元され、まるで戦国時代の映画のセットのようですね。ここまで徹底すると若干の「やり過ぎ感」が漂います。
高根城からの北向きの眺望 水窪川沿いの集落と信州に連なる山々が一望できる
高根城は城郭遺構だけでなく、眺望も素晴らしいです。武田時代には甲斐に通じる狼煙の道があり、高根城もその重要拠点だったとされますが、この眺望を見ると納得できました。
戦国時代の土の山城のジオラマを見るような高根城でしたが、発掘調査に基づいた復原だけにリアル感が抜群で、他では見られない満足感がありました。