城と歴史歩きを楽しむ

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信濃・原ノ城 下伊那の雄、松岡氏領の北端の堅城  堀切、竪堀がすごい! 

2019-06-17 | 歴史
原ノ城は長野県下伊那郡高森町山吹地内にあります。下伊那の雄・松岡氏領の北端の大沢川の右岸の守りを固める城として瀧口氏によって築かれたと伝わります。なお現地案内板によれば原城とされ「はらんじょう」と呼ばれているようです。
 大沢川をはさんだ対岸には、大沢川左岸を領した名子氏の出城である南方の城と南方の城山城が目と鼻の先にあります。


原ノ城 現地曲輪1入口に立つ案内板 宮坂武夫氏作成の縄張図、鳥観図が掲載されている。
現地には行き届いた内容の説明と縄張図、鳥観図が掲載された案内板がありました。信濃の城巡りには宮坂武夫氏の縄張図をかかせないので自分でも持参していましたが、現地案内板も参考にして見学しました。


原ノ城 曲輪1 中城とも言われるようですが、見学時には草刈りがされた原っぱになっていました。
ここは耕作地(果樹園かも)になっていたようで、遺構は見当たりませんでした。曲輪1を襟巻状に堀切1が取り巻いています。南東から南にかけては道路が通って、改変を受けていました。


原ノ城 曲輪2 曲輪1の北西には堀切1を挟んで曲輪2があります。
曲輪2は道路で分断される前には、曲輪3と一体の曲輪だった可能性を感じました。曲輪2の外側には堀切2が掘られていますが、宅地化などで一部が埋め立てられていました。


原ノ城 堀切2 曲輪2を囲うように横堀が掘られ大沢川に竪堀として落ちている
曲輪2を守る堀切2は大沢川の法面を敵が南側に回り込むのを防ぐ規模の大きな竪堀を持つ堀切です。西端部は宅地化で埋められましたが、原ノ城の見どころのひとつでした。この切も道路で分断される前は、堀切3と一体だった可能性を感じました。


原ノ城 堀切2 宅地化で埋まられた西端を北東から見る。
堀2は一部が埋められたので断面がはっきり見えるようになっていました。


原ノ城 複数の堀切が集合した見どころになっています
堀切1は竪堀エに落ちる地点で横堀クと大きな段差があり竪堀ウ、横堀キとこの地点で一緒になっていました。何本もの堀切、竪堀の集合体はあまり見かけないものだと思います。


原ノ城 曲輪3を南から見る。道路は堀切3の一部だったようです。
曲輪3は本城ともいわれるようですが、この城の主郭は曲輪1だと思われますから、本城は主郭の意味ではないのでしょうね。
 前述のように曲輪2と曲輪3は一体だった可能性がありますが、現在の県道山吹停車場線の辺りが堀切られていたことも考えられます。


原ノ城 南端の二重堀切 途中から二重の竪堀になって落ちている
ここも原ノ城の見どころの碑膣です。二重の堀切とその間の土塁が明確に残っていました。

原ノ城は、宅地化と道路工事で遺構の一部が失われていますが、大沢川に落ちる何本もの竪堀なども見ることが出来、充実した城址見学になりました。