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遠江・上野砦 南朝方 井伊氏一族の上野氏が築いた三岳城の砦群の一つ

2020-03-09 | 歴史

上野砦は静岡県浜松市北区引佐町にあります。
 資料によれば、上野砦は井伊氏一族の上野氏の築城とされます。三岳城を守る砦群の一つとされ、上野砦の南西約600mの谷津砦が十分機能しないために築城され、北朝方の三岳城攻略と前後して落城したと考えられています。
 今回は『静岡県の中世城館跡』静岡県教育委員会 1978 を資料として出かけました。


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上野砦と周辺地図(図1)
 上野砦の東側には三嶽街道が通り直線距離で北に約3kmの三岳(三嶽)状があります。上野砦の南西約500mには谷津砦がありますが、街道には接していないため交通の要路を抑えるために上野砦が築かれたと思われます。


上野城 往時は四周を土塁で囲まれていたようだ 
 上野砦は図1のように段丘崖の舌状大地に築かれています。現在は西辺と北辺に土塁が残されていますが、図2の昭和21年の段階では四周に土塁が残っていたように見えます。耕作地や建物などによる改変があり、南側と西側の土塁は失われたようです。


上野砦 曲輪内は耕作地となり、道にはアスファルト  奥に西辺土塁
 後世の土地利用の変遷は把握していませんが、現況は耕作地と建物になっていました。写真の奥に見えるのは西辺の土塁でその先は法面を覆う森になっていました。


上野砦 西辺土塁上から曲輪内を見下ろす。左手に北辺土塁がそびえているのが見える
 西辺土塁の上から郭内を見下ろした写真です。先ほどの写真とは反対方向からになります。左側に見える北辺の土塁の高さに驚きます。資料では遺構の残りに期待できない記述になっていましたが、これだけでも十分に見ごたえがありました。


上野砦 北辺法面を削平した平坦地 図1のA地点
 城址北斜面には腰曲輪状の平坦地がありました。削平地を利用するというよりも、法面を削ることによって急角度の切岸を作り出す目的が有ったのではないかと想像しました。


上野砦 南辺の斜面の腰曲輪地形 図1のB地点
 A地点と同様に、切岸を削りだす目的が大きかったように見えますが、南斜面なので、後世の耕作地利用で改変があるかもしれません。耕作地としてBを利用するための道があるかと思いましたが、道は見つけられませんでした。


上野砦 B地点の削平地の隅には多数の礫が見られる
 上野砦のある場所は、井伊谷の段丘が井伊谷川に削られた左岸にあたる場所で、元々礫混じりの台地であったと思われますが、この礫は削平地に有った不要な礫を集めたのではないでしょうか。この点からも後世の耕作地化の可能性をうかがわせるように思いました。


上野砦 西側の竪堀地形。崩落地形か?竪堀か?
 西辺の土塁から一段下がった場所の大きな竪堀地形です。一見すると、斜面が崩落した地形のようにも見えましたが、この竪堀地形の下部を見ると人手によって掘られた竪堀のように見えました。


上野砦 西側の竪堀地形を下から見上げる。これなら竪堀で間違いなさそう!
 上端部は崩落地形かもと思いましたが、下へ降りて見上げると規模の大きい竪堀であることは間違いなさそうでした。ここも上野砦の見どころの一つですね。
 付近には北西側の山下に通じる細い道がありましたが、往時からの城道かどうかは確認できませんでした。

資料では、改変が著しいとされていましたが、現地で見ると、かなりの遺構が残っていましたので、楽しめました。