宮山1号城は三重県伊賀市阿山町馬場にあります。陽夫多(やぶた)神社の裏、西側の宮山に築かれた三ヶ所の山城の西端部に所在し規模が最大です。城の来歴、城主等は不詳のようですが、遺構の残りは良好でした。
今回の資料は「三重の中世城城館」三重県教育委員会1976です。宮山の尾根上には他に宮山2号城と宮山3号城がありました。城の名称は近年になってのものと思われます。
宮山1号城 宮山には古墳もあり、案内看板が立てられ散策道が整備されている
公民館の駐車場に車を止めさせていただいて、宮山3号城へ直登しましたが尾根に出ると整備された散策道がありました。3号城、2号城、1号城と見学して金臺寺側へ降りると、散策路の案内板が立っていました。
3つの城が独立して機能していたのか、同時期ではあるが別々の城主が居たのかなどは明らかでないようです。
宮山1号城 付近には古墳が残り、南西尾根は堀切で分割されている
Ⅰ郭の堀①の西辺部分は南側に延び下って山道になっていました。南西尾根の平場abCdはそれぞれ堀切で尾根を断ち切っていました。⑤は崩落地形かもしれないとみましたが資料では遺構と評価していました。
宮山1号城 Ⅰ郭内部 南北約20m 東西約25mの平面 右手上に北辺土塁 東から
尾根を大きく削り込んでⅠ郭の平面を造っていますので、北側の法面から土塁に至る斜面は大規模になっていました。Ⅰ郭の東西は尾根が削り残されⅠ郭をコの字型に土塁で囲んでいました。南辺は角度と高低差のある切岸での防御態勢になっていました。
宮山1号城 Ⅰ郭 北辺の堀と土塁 尾根からの侵入阻止の構造 西から 右手に北辺土塁
Ⅰ郭の三方を取り巻く堀①と土塁②の遺構はよく残っていました。北辺は北側尾根からの侵入を防ぐ要の場所ですので、堀と土塁で構えていました。
宮山1号城 北辺土塁内側のテラス状の平坦面③ 東から
宮山1号城の見どころの一つは、このテラス状の遺構③ではないかと思います。いわゆる「武者走り」と言われるような遺構で、北側の尾根からの侵入に対する防御施設の要にみえましたがどうでしょう。
宮山1号城 Ⅰ郭北東隅 堀①と土塁② 東から
写真で堀①と土塁②及び北側尾根との位置関係がわかりますが、尾根の地山を掘って堀を掘り、その土で土塁②に積み上げているように見えました。尾根の地山と土塁の天端の高低差が少ないように見えますので、土塁内側の武者走りが必要だったのかもと想像しました。
宮山1号城 Ⅰ郭西辺部 南から 左手に堀③の西辺、中央部に土塁②西辺 左手にⅠ郭平面と奥上に北辺土塁
堀③の西辺は南へ下る山道になっていましたので、この部分は切通道としても使われていたようにみえました。
宮山1号城 南西尾根の堀切⑧ 南から 右手に平場C、左手に平場d
南西尾根には四ヵ所の平場と三ヶ所の堀切が有りました。金臺寺側の尾根を断ち切り南西側からの侵入への備えとなっていたと思われます。金臺寺の創建の時期がわかりませんが、往時は金臺寺はなくて、 尾根がもう少し伸びていたかもしれないと想像しました。
宮山3号墳 宮山1号城付近の古墳 宮山の尾根上には複数の古墳がある
宮山の散策道に古墳の案内板が有りましたので見学しました。石室の残りが良い古墳でした。ここが3号墳ですので他にも古墳があると思いますが今回は確認していません。
宮山1号城 城域北側尾根の山道沿いの土坑 古墳跡?
資料では円形の土坑の図が描かれていましたが、現況は円形を保っていませんでした。山道沿いにあるので、ヒョットすると古墳の石室の石を後世に取り去ったのではないかと考えてみましたがどうでしょう。
今回は宮山1号城の記事としましたが、2号城、3号城も見学しましたので機会があれば記事にしたいと思います。