城と歴史歩きを楽しむ

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近江・西出城 甲賀伊賀、境目の城 馬杉氏に関係する谷出城、小池城に接する山城

2021-01-17 | 歴史

西出城は甲賀市甲南町下馬杉にあります。隣接した尾根続きに谷出城が、谷を隔てて小池城が築かれていました。資料によれば城主や城の来歴などは伝わっていないようですが、地名と位置関係などから3城は南東約1kmの馬杉地区を領した馬杉氏の支城だったと考えられるようです。 資料は「甲賀市史 第七巻 甲賀の城」です。馬杉本城は→こちら
 ※駐車は下馬杉集会所の駐車場を利用させていただきました。


西出城 谷出城から北西に伸びる尾根を堀切と土塁で遮断して曲輪を形成
 東側の南北に伸びる尾根上には谷出城が存在し、両城を結ぶ尾根にはいくつもの平場が有りましたが、現状は墓地などが有り、城郭遺構とは断定が難しそうでした。

両城の尾根の中間点には害獣フェンスが張り巡らされていましたので行き来は難しい状態でした。フェンスの末端は確かめていませんが、両城を見学する際には、別々の登り口からの出入りが無難かと思います。


西出城 土塁①、②と堀切③、④で尾根を遮断しⅠ、Ⅱの曲輪を削平している
 ①、②の土塁は尾根の削り残しと見えました。Ⅰ、Ⅱともに削平は丁寧でした。Ⅲ郭の西端部には土塁bと土壇Cで挟まれた虎口と見えるaがありました。北側法面には山道⑤があり、所々が広くなって帯郭のようにも見えました。多少変形しているかもしれませんが、往時の遺構のようにも見えました。
 城郭遺構としては堀切④から堀切③までの地形と見え、堀切③の北側アは城域外と思われます。


西出城 堀切③ 東から  現在は山道として使われている
 入口から山道を登りⅣ郭に入ると大きな堀切③が見えてきました。現在は山道の切通になっていますが往時は堀切だったと思われます。写真は堀切③を東から見ていますが手前には曖昧な地形の平坦面が有りました。


西出城 Ⅰ郭 30m×40mほどの曲輪 右側の曲輪の肩部分に土塁の痕跡?
 Ⅰ郭は尾根を削り出した平坦面の曲輪のように見えました。写真の右肩(南辺)部分にやや盛り上がったような地形が見えますが、後世の畑地として使われていた可能性もありそうなので土塁の痕跡と言うには無理があるかもしれませんね。資料の縄張り図にも土塁は描かれていませんでした。


西出城 Ⅰ郭南辺の切岸 法面の途中に道がある
 西出城の南側には民家が迫っていますので、往時の地形がどこまで保たれているかは注意深く見る必要がありそうでした。 尾根上に墓地があること、曲輪が畑地だった可能性があることなどを考えると、法面途中の道は一概には犬走とは言えないように思いました。


西出城 Ⅰ郭  南東隅の虎口地形a 南から
 Ⅰ郭の南東隅の地形は、細い土塁bと土壇Cの間が虎口aになっていたように見えました。風化が進み明確では有りませんが他に虎口らしい地形が見当たりませんでした。資料の縄張り図では、この部分は単なる段差として描かれていました。


西出城 土塁②からⅡ郭、Ⅲ郭を見下ろす。奥に土塁①
 尾根の削り残しと思われる土塁①と②の間にⅡ郭とⅢ郭が有りました。Ⅱ郭、Ⅲ郭への虎口は資料でも明確に描かれていませんでしたが、現地でもそれらしい地形は確認できませんでした。


西出城 Ⅱ郭、Ⅲ郭  奥に土塁② 東から  
 土塁②は尾根の原地形のためか、南側(写真では左側)が一段下がった形をしていました。Ⅱ郭、Ⅲ郭の段差も原地形を反映しているように思いました。左右に土塁はなかったようですが「見ごたえあり」の景色でした。


西出城 東端部 土塁①と道の分岐 東から
 東側の谷出城方面からの道は土塁①にぶつかって分岐していました。左へゆくと堀切④、右へ行くと道⑤でした。この土塁①と堀切④が西出城の東端部でこの先の東側の尾根には墓地等のある平場がいくつか有り、害獣フェンスに至りました。

西出城は集落が近いので、後世の道などで改変があるように思いましたが、概ね往時の遺構・地形は残っているようで、見ごたえがある景色も有り、楽しく見学できました。