槙本城は愛知県豊田市槙本町にあります。城は介木川の左岸の山上に築かれ足助、武節、美濃に通じる主要な街道の接点を見下ろす位置にありました。城の来歴・城主等は明確では有りませんが、資料(1)によれば武田軍が西三河に侵入した際には武節(稲武)から日下部峠を越して槙本城を攻撃したと伝えられているようです。今見る槙本城は戦国期に改修を重ねた姿とされます。
今回の資料は (1)「愛知県中世城館跡調査報告2」愛知県教育委員会1994 と (2)「愛知の山城ベスト50を歩く」愛知中世城郭研究会・中井 均編2010 です。
※槙本城の規模はさほど大きくは有りませんが遺構の数が多く、複雑に入り組んで見どころが多いので今回と次回の二回に分けて紹介します。 興味深い遺構が多く、ひと通り見学するのに3時間ほどかかりました。
※槙本城 その2は→こちら
槙本城 図1 城と街道の位置関係 明治の旧地図の街道を重ね合わせる
明治の旧地図で見る旧街道を国土地図に重ね合わせてみると、現在の道路とはかなり異なるルートを通っています。資料(2)によると往時のルートは、図2の尾根の鞍部を通る旧道の可能性を指摘していましたが旧地図には載っていませんでした。
旧街道か?旧道か?現地で確認してみました。旧街道は一部改修され、車が通れる道が残っていました。
旧道は図2で示しましたが、現在は使われていない歩く道で南端部は耕作地化があったと思われる地形で消滅してその先は不明でした。
槙本城 図2 見学は あ の道が便利 城道と神社参道が重なっている
い のルートで登り狼煙台の可能性があるとされる⑥方面からも見学できます。い の道は墓地の参道になっているようで、道は墓地までは整備されていましたが、途中からうっすらした踏跡を辿る道になりました。通常は あ のルートが見学に適しています。
槙本城 神社参道からのルート あ 右手は個人宅 左の細い道が参道
山麓部では往時の城道は確認できませんが主郭にある神社の参道になっている あ のルートで登れます。道は整備されていますが、途中個人宅に入り込まないように注意が必要でした。
槙本城 虎口① 神社参道で改変があり旧状がはっきりしない 南西から
資料(2)によると①には食い違い虎口があったとされます。参道はⅡ郭に直線的に入るコンクリートの道になっています。食違い虎口だとすると往時の城道は右側から一度曲がって、参道でもう一度曲がって直接Ⅱ郭へ登る形になっていたことになります。もう一つの見方として堀切Aの堀底道へ進むルートの可能性も述べられています。
槙本城 堀切Aと堀底道 堀底道はⅦ郭方向へ曲がって進む
虎口①から大きな堀切Aの堀底道を進むと道は堀切を離れてⅧ郭方面へ向かいます。
槙本城 Ⅷ郭からⅡ郭へ登る虎口が残る 図2参照
道はⅧ郭に入り180°折り返すとⅡ郭への虎口がありました。風化により少し崩れていましたが確認できました。Ⅱ郭北端部からは図2で示したように中段の小平場の虎口を通り折れ曲がりながらⅠ郭(主郭)に登る道が確認できました。①から参道を通ってⅡ郭へ登る道と、複雑に折れ曲がりながら進むこの道が、同時に存在したのか?、時期が違って利用されたのか?、①からの参道は構成のもので城道ではなかったのか?。色々考えられますが、複雑に折れ曲がる堀切Aを通る道が一番興味深いですね。
槙本城 Ⅷ郭からⅢ郭への細い道 往時からあった道か疑問
この道は非常に細い道ですが、資料(1)、(2)ともに描かれていました。あまりに細いので見落としてしまいそうでした。城道というよりも城内の通路といった感じでした。Ⅷ郭の北部には土壇⑨や複数の小さな切り欠き⑩などの遺構もありました。
槙本城 旧道と堀切⑤ 堀切は切通道?
資料(2)で述べられている尾根の鞍部を通る旧道は後世まで峠道として使われていたからでしょうか、案外明確に残っているところが多かったです。⑤の堀切は旧道の切通道とも言えそうな地形でした。ここから西(写真手前)に進むと図2のⅦ郭があります。
槙本城 切通道⑤から西に進むとⅦ郭(馬出曲輪)に至る
写真奥に馬出曲輪Ⅶがあります。旧道からの城道は、堀切と土塁で構成された虎口を通りⅦ郭に入るようになっていました。
槙本城 旧道の北端部 新しい農道との接点
堀切⑤から北に下る旧道はよく残っていました。旧道の北端部は図2の農耕地b方面へ向かう車が通れる農道と合流して終わっていました。図2のbからaにかけては農耕地の跡のような段々になった平場が続いていて最奥部のaは城郭に関連する場所だったように見えました。
槙本城 旧道の南端部 改変が著しく、旧道はここで消滅
図2の旧道の南端部は、このまま先に伸びていたのではないかと想像しましたが、改変が著しくて、ここで消滅していました。この旧道は明治の旧地図には載っていませんでしたので、その頃にはすでに使われなくなっていたのかもしれません。
槙本城は、築城後に複数の勢力によって改修が重ねられた可能性があるようで、複雑な遺構が多数残されています。今回は道を中心に紹介しましたが、次回は主郭を中心に堀切、竪堀、曲輪等の遺構を紹介したいと思います。