砂坂城は滋賀県甲賀市甲賀町隠岐小字砂坂にあります。
隠岐支城群は隠岐城を中核とし砂坂城、打越城、隠岐支城群Ⅰ~Ⅳで構成されています。隠岐城は隠岐氏本家の城で砂坂城以降が一族・家臣の城館だったとされます。隠岐氏は隠岐国から近江に戻った佐々木氏の一族であったと伝承されているようです。
今回の資料は「甲賀市史 第七巻 甲賀の城」と現地で近在の方にお聞きした伝承等です。
砂坂城 図1砂坂城と周辺 隠岐支城群の一角にある
砂坂城は隠岐支城群のほぼ中心に所在し、城域の一部が住宅開発によって改変を受けていました。
砂坂城 図2概略図 城郭の曲輪部分は後世、茶畑となっていたが、近年は竹ヤブとなった
見学時にご近所の方に伺ったところによると、曲輪の平面は以前は茶畑だったが、近年は竹ヤブとなってしまったと言う事でした。Ⅲ郭と思われる場所は住宅のため削り取られていました。
図2の①には以前はため池があったそうですが、伊勢湾台風の時に堰堤②が決壊して下部の住宅アに土砂が流れ込んだとのことでした。
砂坂城 道AとBは城道か? 農道か?
道路から遺構へ登る道はAとBが在りました。後世には茶畑などの農業用の道だったと思われますが、往時の城道かどうかは確認できませんでした。Bは写真のように伐採した竹で塞がれて通れませんでした。
砂坂城 土塁④ 北端部 北側の道Cから
道BはⅡ郭へ入りますが、Ⅱ郭からⅠ郭への道Cが在りました。Ⅱ郭の西端部の土塁がⅠ郭との間にありⅡ郭平面がⅠ郭平面よりも高くなっていました。東側のⅢ郭だったと思われる平面もⅡ角よりも低かったと思われますので、最高所であるⅡ郭が主郭だったのかもしれませんね。
砂坂城 Ⅰ郭西辺の土塁③ 北から
砂坂城には明確な堀切は見当たりませんでしたが、土塁は2条残っていました。土塁③は西側の法面と合わせて城域の西側を守る設備となっていました。Ⅰ郭の南北辺には土塁がなかったようで、切岸が守りの要となっていました。
砂坂城 Ⅰ郭南西隅のため池跡 今は水はない 北から
写真の②は決壊する前のため池の堰堤を想定してみました。ため池は大きな面積ではありませんが、南側の法面と堰堤の土砂が一気に土石流となって流されて、住宅Aに流れ込んだようです。土砂は子供の頃の胸まであったそうです。
砂坂城 Ⅰ郭北辺の平場⑤ 東から 右上にⅠ郭
Ⅰ郭の北辺から一段下がって細長い平場⑤がありました。具体的な用途は不明ですが、Ⅰ郭に関連する納屋などの建物があったのではないかと想像してみましたがどうでしょう。
砂坂城 Ⅱ郭南東隅の道(虎口?)
Ⅱ郭へは、現在道Bで入っていましたが、⑥の道もありました。⑥を下ると住宅の裏に出ますが、往時からの城道かどうかは確認できませんでした。往時からの道ならば⑥は虎口と言えそうですね。
砂坂城 Ⅱ郭から東辺下の住宅を見下ろす。 西から
Ⅲ郭が想定できる場所は大きく削られて住宅が建っていました。付近の地形などから判断すると、Ⅲ郭はⅡ郭よりも低かったと思われました。
砂坂城 平場⑦ 右手上に道A 西から
城域北東隅には平場⑦がありました。削平された平場ですので資料では曲輪のひとつとしていました。
砂坂城 道Aの東端部 住宅の庭先に下る
道Aの東端部は住宅の庭先に下っていました。Ⅰ郭、Ⅱ郭への南からの農道だったかもしれませんね。
砂坂城は小規模な城郭でしたが、農地として使われていた割には遺構の残りがよく、近所の方のお話を聞くこともでき、楽しく有意義な見学となりました。