大洞城は愛知県豊田市東渡合町にあります。大洞はオオボラ、渡合はドアイと読みます。城の来歴、城主等は詳らかではないようです。 城址付近を旧道が通り、地図上にも一部が示されていますので確認したいと思い見学先に加えました。
今回の資料は(1)「愛知県中世城館跡調査報告3」愛知県教育委員会1997 と (2)「足助の中世城館」足助町教育委員会2001 です。両資料を比較すると描かれた遺構の範囲が異なっていて興味深いです。
大洞城 城主は渡合集落の小領主で阿摺衆の一員だったか
城の北側を流れる阿摺川沿いには小領主が割拠し阿摺衆と呼ばれる集団をなしていたようです。隣接して円山城、石飛城があり阿摺川が三河の大河・矢作川に合流するここから3㎞ほどの間に橋向城、月原城山城、月原本城山城なども所在します。
※円山城1は→こちら 円山城2は→こちら 石飛城は→こちら 橋向城は→こちら
大洞城 旧道と城道を探る
現在の国土地図に城域を通る旧道が一部示されていて資料(2)にも旧道が何本もあったとされていました。地図には林道も描かれていて、以前訪れた際には林道を辿り城域の西側から見学しました。今回は旧道の確認とⅠ郭の虎口に至る城道を探して北側から登りました。
旧道は近年利用されていないようで、図2の荒廃地とした部分は耕作放棄地となり、猛烈なブッシュと荒れた道で進むこと途中で諦めました。城道は林道からの登り口は明確ではありませんでしたが、尾根筋を登れば踏跡はありませんでしたがスムーズに登れ、Ⅰ郭虎口に達しましたので往時の「城道」もこのあたりだったのではないかと想像しました。
大洞城 資料(1)には南尾根の地形は描かれていない (2)では堀切Cなどが描かれている
今回の見学の関心事は城道と旧道の存在と、資料(2)では描かれていますが資料(1)では描かれていない南尾根の遺構と地形の確認でした。
大洞城 山下の林道から尾根に登る入口は明確ではない
林道工事や耕作地の開墾などで山下の地形は改変を受けていますので、城道の明確な登り口は不明でした。林道の入口付近の適当な場所からエィヤッ!と尾根を登りました。
大洞城 尾根道は一部に緩やかな上りもあるが、急な登りと高温で「こんきい!」
35℃を超えるような気温の中での城道探しとなり、この地方の言葉で、とても「こんきい」(息が切れる・しんどい)見学となりました。部分的に写真のような尾根道があると生き返る思いでした。尾根道には踏跡はありませんが歩きやすい地形でした。
大洞城 尾根道(城道)を登り切るとⅠ郭の虎口①に至る
図2のようにⅠ郭北側から登ってきた道は図2のように二度折れてⅠ郭の虎口①に向かっていました。三河地域は花崗岩の産地で山城の城域にも大きな岩が良く見られますが、大洞城も大岩が尾根筋のあちこちに見られました。虎口付近にも大岩が有りましたが、自然地形の大岩を利用して虎口を設けたように見えました。
大洞城 Ⅰ郭 曲輪面には低い段差があるが土塁などは見当たらず
Ⅰ郭の曲輪面には中央部が高い高低差の少ない段差が有りました。Ⅰ郭の西側には堀切Aが設けられていましたが、南・東・北の面は切岸が防御の要になっていたようです。
大洞城 左手に堀切A、奥上にⅠ郭 南西から
Ⅰ郭西辺には堀切Aが設けられて西側尾根を遮断していて大洞城でもっとも城郭遺構らしい見どころの地形でした。
大洞城 Ⅱ郭 南西の浅い堀切B 東から
Ⅱ郭の南西尾根には堀切B が設けられ、南西尾根を遮断していました。とは言うものの写真のような浅い堀切で、尾根を断ち切る効果があったのか?でした。長年の風化で多少は埋まったでしょうが、もともと浅かったのではないかと思いました。
大洞城 旧道の踏跡が部分的に残る 資料(2)には表記されている
図3の「旧道」とした部分は踏跡が確認できました。その先は残念ながら失われて確認ができませんでした。図2の地図上の旧道ともつながるようですので、ここに旧道が通っていたのだろうと思いました。
図3の尾根③から南西の谷に旧道は下っているようですが、今は踏跡が短い間に残っているだけでその先は確認できませんでした。
大洞城 南尾根の堀切C 南西から 資料(2)にはあるが資料(1)には描かれていない
図3の南尾根には堀切Cが見られました。旧道の通る尾根③、尾根の最高所②はほぼ自然地形のようでしたが堀切Cは人工のものでした。堀切Cの左右に山道らしき地形は有りませんでしたので、切通道でもなさそうで、堀切とした資料(2)もうなずけました。資料(1)が南尾根の地形を描いていない理由はわかりませんが、Ⅰ・Ⅱ郭から離れて孤立しているために大洞城の城郭遺構とは見なかったのかも知れないと想像しましたがどうでしょう。
大洞城 南尾根の巨石群⑥に残るワイヤーロープ?
巨石群⑥には大岩が集められたような状況が見られました。もともと自然の大岩群だったのかも知れませんがこのワイヤーロープを見ると近年に岩を動かしたのかも知れないと想像しました。山林では材木を運搬するためにワイヤーロープを貼る場合がありますが、南尾根付近は雑木林なのでその可能性も薄そうでした。
大洞城の尾根にはところどころに、意味不明の凹みが有りました。三河山間部では花崗岩の適当な大きさの岩を販売目的で運び出した跡の凹みを見ることが有りここでもその関連の事業が行われていたかもしれません。
大洞城は旧道と城道を部分的ながら探すことが出来ました。また、資料による遺構図の相違を理由は不明ながら現地で確かめられました。高温のため「楽しく」とはいきませんでしたが有意義な見学となりました。