城と歴史歩きを楽しむ

専門的でも学術的でもなく、気楽に
山城中心に城巡りと歴史歩きを楽しみましょう!

飯高城 美濃 その1 新発見! 遺構は良く残るが見極めが難しい山城 

2022-06-12 | 歴史

飯高城は岐阜県恵那市山岡町馬場山田にあります。東海古城研究会の会員向けメール情報で、報告書『恵那市の新発見城館跡』が恵那市教育委員会から発行され、ホームページから見ることができると有りましたので早速、恵那市のホームページからダウンロードしました。報告書には7か所の城館跡が新発見として掲載されていました。今回はその中で 飯高城の見学をしました。
 一連の新発見の契機は、以前紹介したCS立体図を活用し釜屋大洞城を新発見した高田 徹さんの論文を嚆矢として城址地形を岐阜県のCS立体図で探査する手法で発見したようです。高田 徹さんの論文の時点では釜屋大洞城に(仮)が付いていましたが今回の報告書では(仮)が取れて「釜屋大洞城跡」として掲載されていました。
※『恵那市の新発見城館跡』はこちら→恵那市の城館跡|ようこそ恵那市へ|恵那市公式ウェブサイト
※ ブログ (仮)釜屋大洞城は→こちら


飯高城 山岡地区の東の守りと旧峠道の監視が役割か
 山岡地区は東方から武田軍の侵入を受け、一時は支配下に置かれたとされます。飯高城は山岡地区の東に位置し、東向きに構えた城郭だった可能性がありそうでした。同時に東側を通る主要な峠道を見下ろす位置にあるので、いわゆる峠道を扼する城郭であったとも思われます。


飯高城 飯高観音の東側の東屋から白山神社の参道を使って見学に向かう
 飯高観音の路肩の駐車スペースに車を止め、飯高観音に参拝して、安全を祈願して城址に向かいました。この白山神社の参道は飯高観音に隣接する道路が開発されてからの参道のようで、古くは城址東側の主要な街道の峠附近からの参道があったのかもしれません。


飯高城 明確な城郭遺構はⅠ郭とⅡ郭のみ
 Ⅰ郭には白山神社などが祀られ、その参道が飯高観音方面から整備されていました。Ⅱ郭は東に向かって構えた小曲輪ですがⅠ郭とは別の時期に稼働した可能性もありそうでした。
 Ⅰ郭から延びる尾根筋にはことごとく堀切が設けられ、尾根からの侵入を厳重に防いでいたようですがⅠ郭とその周辺の平場には土塁が見当たらず、武田軍の侵入後に改修を受けずに廃城になったのかもしれませんね。  ※国土地図院地図の川がⅠ郭付近を乗り越えている様に描かれていますが、誤りではないかと問い合わせをしたところ、現在は地図が修正されています。


飯高城 飯高観音から白山神社への参道(薬研道)
 東屋から続く参道はよく整備されていました。往時の城道かどうかは不明のようです。現在の参道が整備される前の古い参道は東側の峠道方面からだったかもしれませんが、今は山仕事の道(山道)も複数通っていますので、古い道の判断は難しくなっていました。


飯高城 尾根a、b、c、d、e、f それぞれに堀切を設けている
 掘り切った尾根の外側は、掘り残した尾根が土壇状に残されていました(1、2、3、4、5)が、城郭遺構というよりも自然地形のようにみえました。尾根aの先端6と北に下る小尾根には平場がいくつかありましたが、ヒョットすると、こちら側に山岡方面からの城道があったのかもしれないと想像をしましたがどうでしょう。


飯高城 堀切⑮と白山神社参道の鳥居  南東から
 尾根eを断ち切る堀切⑮から参道は鳥居を潜ってⅠ郭へ登ります。登り切ると折れを伴った虎口地形でⅠ郭の南端部に入ります。この参道が往時の城道だった可能性もありそうでした。


飯高城 尾根eを断ち切る堀切⑮ 北西から 右手に土壇2 左に白山神社の鳥居
 堀切⑮の東端部は法面の崩落で断絶していました。往時は図3の道3があり道1-2に続いていたのではないかと想像しました。


飯高城 擁壁1 堀切⑮東下 奥上に堀切⑮の東端部が見える
 堀切⑮の東側の斜面は崩落したのでコンクリートブロック積の擁壁で保護されていました。付近の状況を見ると相当量の土砂が流失したようでした。今は擁壁の上を土壇2を大きく巻く山道(道2)が通り踏跡をかろうじて確認できました。


飯高城 道1-2    東から 往時の道か?
 道1-2は、今は山道ですが往時の城道の可能性もありそうで、北上の城郭部分の切岸が削り出されている様に見える部分もありました。


飯高城 三条並ぶ竪堀群① 写真は中央の竪堀を下から 
 尾根eの付け根部分には三条の竪堀遺構が残っていました。 南側から尾根eを北に回り込むのに対処した竪堀群だったのではないかと想像しました。


飯高城 尾根fを断ち切る堀切②  北から  右に土壇1
 土壇1にはL字型の土塁状地形がありましたが、堀切②と参道の造成時に削り残された自然地形のように見えました。


飯高城 Ⅰ郭 段差のある平面  左から白山神社、秋葉神社、風神
 Ⅰ郭は、北側がわずかに高い平面になっていましたが土塁は見当たりませんでした。神社の造営で改変があったと思われますが土塁は元々なかったのではないでしょうか。神社は石造で新しいものでしたが付近にそれまで祀られていた木造の祠が打ち捨てられていました。お墓は性根抜きをすれば、只の石ころと言われますが祠も性根抜きで、只の木材に戻ったのでしょうか。


飯高城 平場⑫ 伐採された樹木で地形の確認が難しい
 Ⅰ郭周辺の平場⑫⑬⑭周辺は伐採された樹木で覆われているのと、もともと曖昧な地形だったこともあり、原地形が確認しにくかったですが、帯曲輪又は犬走状の地形が平場⑫を取り巻くように段々に設けられていた可能性がありそうでした。

飯高城は複雑な地形をしている城郭のようですが、城郭遺構として見ることができる部分はⅠ郭とⅡ郭ではないかと思いました。今回はⅠ郭と南側を中心に見学しましたが、その2では東側と北側を見学します。