飯高城は岐阜県恵那市山岡町馬場山田にあります。その1ではⅠ郭とその南側の遺構、道などを中心に見学しましたが、その2ではⅠ郭の東側、北側とⅡ郭周辺を見学したいと思います。飯高城のⅠ郭から延びる尾根筋には尾根を断ち切り堀切がそれぞれ設けられていますがⅡ郭に通じる尾根には堀切だけではなく半円形の土塁地形を見ることが出来ました。
今回の参考資料も、その1と同じく 報告書「恵那市の新発見城館跡」です。
飯高城 Ⅱ郭は尾根bにⅠ郭から離れて築かれ東側の小尾根に堀切⑤が設けられている
Ⅱ郭の東側の小尾根には堀切⑤が設けられていました。Ⅱ郭はⅠ郭から離れているので、稼働時期の異なる城郭かもしれないと想像しましたがどうでしょう。※国土地図院地図の川アがⅠ郭付近を乗り越えている様に描かれていました。誤りではないかと問い合わせをしたところ、現在は地図が修正されています。
飯高城 竪堀⑪ 奥上にⅠ郭 西下から 付近に水場があったかも
Ⅰ郭西下の法面には深い竪堀が残っていました。ヒョットするとこの辺りに水場があったかもしれないと思われる地形でした。
飯高城 尾根aを断ち切る堀切③ 明確に残っている 南から
堀切③は尾根aを断ち切って設けられていました。風化も少なく明確に残る遺構でした。堀切③の西側の尾根aには平場5がありましたが、人工がほとんど加わっていない自然地形に近いように思いました。
飯高城 平場6 東から 北辺に低土塁?
平場6の北辺には低い土塁状の盛り上がりがありましたが、人工の土塁と断定は難しそうで、自然地形かもしれません。平場6から北に下る小尾根には削平されたように見える地形が何か所もありましたのでヒョットするとこちら側に山岡方面に通じる城道があったかもしれないと想像してみました。
飯高城 堀切⑥ 左手に土壇③ 北東から
近年まで道1-2は山仕事の道(山道)としても使われていたと思われますので、尾根dを断ち切る堀切⑥も明確に残っていました。
飯高城 堀切⑦ 右手に土壇4 西から
東側の古い峠道方向に延びる尾根C方向の堀切⑦も明瞭に残っていました。尾根C、尾根dは古い峠道に面しているので堀切⑥、⑦と竪堀⑧で厳重に守られていたようでした。
飯高城 堀切④ 右手に土塁⑨ 東から
堀切④は半円形に尾根bを断ち切る興味深い堀切遺構でした。土塁⑨は、中央部に開口部がありますが、後世の山道による改変かも知れません。土塁⑨との組み合わせでⅡ郭に関連した設備だった可能性もありそうでした。
飯高城 平場⑩ 北から 奥上に土塁⑨ 平場⑩の用途がわからない
平場⑩は図3のように、半円形の土塁⑨で囲まれた平場でした。Ⅰ郭の備えとすれば土塁⑨と用途不明の平場⑩は自然地形かもしれません。時々見かける樹木の根に土砂が溜まって出来た自然地形の平場の可能性もありそうですがどうでしょう。
飯高城 堀切⑤ 左手上にⅡ郭 南から
Ⅱ郭から東に延びる尾根には堀切⑤が設けられていました。東側の明知と岩村を結ぶ主要な街道を監視するには最適の場所だったように見えました。
飯高城 堀切⑤越しにⅡ郭を見上げる 東下から
Ⅱ郭の東側の小尾根は堀切⑤で掘り切られていました。堀切⑤とⅡ郭の間は不明瞭な段差地形のある法面でした。
飯高城 Ⅱ郭 東辺の虎口地形
Ⅱ郭の東辺には虎口地形の窪んだ道が設けられていました。Ⅱ郭の削平面にはそれ以外には城郭遺構らしい地形は見当たりませんでした。
飯高城 井戸地形⑯ 北西から
Ⅱ郭から北西に延びる小尾根には井戸地形がありました。谷側を土橋状の堤でふさいで水を貯める形式のよく見かける井戸地形でした。Ⅰ郭からは離れているのでⅡ郭用の水場だった可能性がありそうに思いました。
飯高城は、城郭遺構と自然地形が入り混じった複雑な地形の山城でしたが、あれこれ勝手な想像をしながら楽しく見学出来て良かったです。
岐阜県ではCS立体図を基に熱心に探索が行われているようですので今後も続々と城郭の新発見があるのではないかと期待しています。