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吹ケ洞砦 美濃 大森城の支城か、森 長可の大森城攻めの詰城か 遺構の残りは良いが難解

2022-08-07 | 歴史

吹ケ洞砦は岐阜県可児市大森にあります。吹ケ洞砦の城主や城歴の詳細は不明のようですが、西600mには奥村氏の大森城があり、その支城とも天正十年(1582) 金山城の森 長可が大森城を攻めた時の詰城ともいわれますが全体的に普請の完成度が低く、遺構が鮮明でないとされることから臨時又は未完成の城郭であったといわれています。今回の参考資料は (1)岐阜県中世城館趾総合調査報告書第3集 加茂地区・東濃地区  (2)大森城(大森神社)に立つ案内板 などです。 ※大森城は→こちら  東海古城研究会の大森城見学会は→こちら


吹ケ洞砦 北西に延びる川に挟まれた尾根の先端部に築かれている
 大森川を挟んで吹ケ洞砦は大森城と向き合って築かれていました。大森城攻めの詰城だとすれば「川を挟んで対峙した」ということになりますね。


吹ケ洞砦 大森神社に立つ案内板の縄張図と3D地図を重ね合わせ
 通常の見学路はAですが、今回は二野大森トンネル付近の余白に駐車して、Bのルートで見学しました。往時の登城路は、吹ケ洞砦が支城か詰城かによってさまざま考えられA、C、D、E、Fなどが候補として考えられそうでした。帰路は畑地跡と思われる平場⑮を通ってCで下りました。


吹ケ洞砦 南東尾根の虎口① 両サイドに土塁が設けられている
 Ⅲ郭の南東には尾根からの侵入を防ぐために土塁と虎口がありました。少し風化がありましたが原形が想像できる遺構でした。Ⅲ郭は複雑な地形が残されていますが、城郭遺構としての地形かどうかの判断が困難な場合が多かったです。このため吹ケ洞砦は造りかけの城郭とも言われるようです。


吹ケ洞砦 Ⅰ郭から大森城を見る
 Ⅰ郭からは大森城の全体がよく見えました。大森城攻めの詰城説がうなずける眺望ですね。


吹ケ洞砦 Ⅱ郭の坂虎口⑥ 東下から
 Ⅰ郭とⅡ郭は段差がありⅠ郭が最高所でした。Ⅱ郭の東端部には坂虎口状の地形⑥がありました。坂の両サイドに堀切⑤と⑦が設けられていますので、虎口と考えてよさそうでした。


吹ケ洞砦 堀⑤  南西から   左手上にⅠ郭とⅡ郭
 Ⅰ郭とⅡ郭は段差があるものの、一体の曲輪だったようで周囲を堀で囲まれていました。堀⑤はⅢ郭方面の尾根を断ち切る堀切の役割も兼ねているようでした。


吹ケ洞砦 堀⑦と土塁 右手上にⅡ郭 西から
 Ⅱ郭の北辺にも堀⑦が設けられていました。土塁は堀⑦の土を積み上げたように見え、堀⑦はⅡ郭の切岸を造り出すのが主たる目的だったのではないかと思いました。堀⑦の西端部には大きな竪堀⑱が設けられ、北西からの侵入を防いでいるようでした。


吹ケ洞砦 竪堀⑨ Ⅰ、Ⅱ郭への東からの侵入に備えた竪堀  上から
 堀⑤と合わせて東からⅠ、Ⅱ郭への侵入を防ぐ意味合いがありそうでした。東の方向を強く意識しているとすれば、大森城の支城説も考えられますね。


吹ケ洞砦 Ⅰ郭南西部の堀⑩と土塁⑯ 南東から 右手上にⅠ郭  見どころです!
 南西の小尾根には堀⑤から続く堀⑩が設けられ小尾根の掘り残しと見える土塁⑯がありました。この堀はⅠ郭西辺の腰曲輪⑫へと続いていました。


吹ケ洞砦 Ⅰ郭西辺下の腰曲輪⑫ 堀⑩から続く堀地形だった可能性がある
 腰曲輪⑫は後世の改変があったようで、往時は堀⑩から続く堀と土塁がⅠ郭を巻いていた可能性がありそうでした。その場合は腰曲輪とは言えないですね。


吹ケ洞砦 道Aの土橋⑬と道Eの下り口  南西から
 道Aを登って来ると土橋地形⑬に出ます。この辺りは後世の耕作地などによる改変があるようで、堀⑩はここまで連続していた可能性がありそうでした。土橋から降りる道Eが往時の登城ルートの一つだったかも知れないと想像しました。 


吹ケ洞砦 平場⑰ 地形の確認が難しい
 南西の小尾根には平場⑰がありましたが、高密度の笹が生い茂っていましたので地形を明確にとらえることが難しく、城郭遺構かどうかの確認は出来ませんでした。


吹ケ洞砦 畑地跡⑮  南西から
 山下の谷間には大きな平場がありました。現在は植林がされていましたが、木の太さからすると案外近年まで畑地として利用されていたように見えました。

吹ケ洞砦は来歴などが不詳で、遺構も一時的に使用された不完全なものと言われ、一部の遺構は改変を受けていましたが、よく見ると意外に多くの遺構が残っていて、遺構の利用形態などを想像しながら楽しく見学ができて良かったです。