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伊勢 四日市の古城と史跡を訪ねて 東海古城研究会の見学会が行われました

2025-02-04 | 歴史

1月19日(日)に東海古城研究会の四日市の古城と史跡をめぐる見学会が、あすなろう鉄道の1DAYフリー切符を利用して行われました。近鉄四日市駅に集合し、特殊狭軌線・ナローゲージのあすなろう鉄道を利用して采女城→日永の追分→赤堀城→浜田城を巡りました。

まずは、あすなろう鉄道で四日市駅から終点の内部駅に向かいます。

采女城 見学路入口に立つ案内板の案内図   赤線が見学路
 采女城は規模の大きな平山城で、すべての城郭遺構をジックリ見学するためには半日必要と思われますが、見学会では案内板の見学ルートで見学しました。

采女城 見学路入口には冠木門が新設された
 入口には近年新設された冠木門がありました。往時にあったかどうか?ですが、城郭見学に対する演出ということでしょうね。案内板には地方豪族の後藤氏の城となっていましたが、この規模は後の大規模な戦いのときに拡大・改修されたのではないかと参加者からの意見がありました。

采女城 八の郭  ※曲輪の数字は案内板に表示されたものです
 采女城は三つの尾根を削平した沢山の郭がありました。八の郭は南東尾根の先端部を削平した郭で、本丸との間を大きな堀切で遮断していました。

采女城 五の郭 
 五の郭の東辺には折れを伴った虎口があり本丸との間には幅広の堀が設けられ、規模の大きな竪堀と併せて本丸の防御を固めていたようです。

采女城 本丸東辺の土塁  右奥に井戸
 采女城の本丸は、土塁、堀切、切岸、桝形虎口 などの防御施設がてんこ盛りでした。中央部には深い井戸があり、定石通り落城時に奥方やお姫様が身を投げたとの伝承が案内板にありました。

采女城 二の郭
 南側の本丸との間には幅広の堀が設けられ周囲を土塁が囲む厳重な守りの形でした。

采女城 三の郭 土塁囲みと堀で守られた北端部の郭
 采女城は面積の広い郭がほとんどですが、三の郭も面積が広く、三方を土塁で囲まれ南辺は二の郭との間の幅広の堀がありました。

采女城 三の郭と四の郭間の地形
 采女城は面積の広い郭に目を奪われがちですが、周囲には興味深い遺構が沢山ありました。

采女城 四の郭 西側尾根に築かれた郭
 四の郭は西側に下る尾根を大きく掘り切って守りを固め、三方を土塁で囲み南辺は急な切岸で侵入を阻む形でした。見学コースから外れてⅨの郭付近まで降りてみましたが、不明瞭な地形が多く九の郭は寺院跡地の可能性もありそうで、周囲には五輪塔などがありました。

日永の追分 道標と鳥居が追分の雰囲気を盛り上げている
 次は、再び あすなろう鉄道を追分駅まで乗ります。日永の追分は東海道と伊勢街道の分岐点にあたり、むかしの伊勢街道は鳥居をくぐっていました。たくさんの伊勢参りの旅人が潜り抜けた鳥居です。今は東海道も新たな国道一号が敷設されましたが、追分の雰囲気は十分に残っていました。

赤堀城 遺構は都市化で消滅し記念碑が設けられた
 再びあすなろう鉄道に乗り赤堀駅で下車します。見学会の資料によると赤堀城は土塁と堀に囲まれた、かなり大きな平城だったようですが、今は都市化で遺構は消滅し、道路脇に「赤堀城跡 記念碑」が見られるのみでした。

浜田城 今は鵜森神社が祀られ鵜の森公園となった
 浜田城は公園と神社となったということでしたが、鵜森神社の周りにはかなりの土塁が残存していました。

浜田城 神社裏の残存土塁
 赤堀城からは徒歩で浜田城に向かいました。鵜森神社周りの三方には土塁が残り、城郭遺構としての見学が出来ました。

今回の見学会はあすなろう鉄道沿線の城と史跡を見学しましたが、采女城は時間が足りず「もう一度訪れたい城」になりました。再び訪れた際には当ブログで改めて紹介したいと思います。ナローゲージのあすなろう鉄道に、はじめて乗りましたが、片側に一列ずつしか座席のない幅の狭い電車は新鮮な面白さがありました。


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