城と歴史歩きを楽しむ

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播磨・姫路城 姫路城を内堀の外から見学 思わぬ景観に出会う

2019-07-24 | 歴史
姫路城は兵庫県姫路市にあります。
今回はこれまで見たことがなかった内堀の外側を巡るコースを見学しました。

姫路城 内堀越しに ワの櫓(百間廊下入口)と石垣の折れを見る
白亜に輝く大天守が姫路城のシンボルですが、内堀越しに高石垣や櫓を見上げるのも姫路城見学の楽しみ方の一つではないでしょうか。


姫路城 内堀越しに姫山原生林と百間廊下、ワの櫓を見る
西ノ丸は後に鷺山に築かれましたが当初の姫路城の本体部分は姫山に築かれました。姫山の原生林の一部が城の法面となって現在まで残されており、内堀越しにみることができました。
 城の前面は近世城郭として石垣の城となりましたが、背面には地山が残されたということですね。


姫路城 北西隠門跡  内堀を囲む帯曲輪からはこの門を通って清水門経由で城外とつながる
後世の改変を受けているようですが、立派な石垣が残されていました。往時は内枡形となっていて、左手の石垣の上には櫓があったようです。


姫路城 清水門跡 石垣の間に清水門があったとされます。
門跡だけが残ります。現在の道路や北西隠門跡などとの関連、往時の姿などが気になったので帰宅してから、ネットで古絵図などの資料を捜してみました。
 門の復元イラストもありましたが、複数の復元図がありました。絵図も複数あり時代によって多少構造に変化があったのかもしれません。
 僕の調べた狭い範囲で清水門と北勢隠門を想像してみました。

姫路城 清水門と北勢隠門  想像図   GoogleMAPに加筆 ※白線は塀があったと思われる部分

                 門、櫓門、塀、木橋、櫓は およそ上の写真のようなものと想像しました
清水門、北勢隠門ともに櫓門だったようです。内枡形を構成する外側の門は一般的な城門だったと思われます。塀も石垣の上に造作されたもの、土台石積の上に造作されたものがあったと想像しました。  ※写真は近世小田原城 他
 清水門の内枡形の内部に清水門の名の由来となった「鷺の清水」という名水井戸がありました。現在も保存されていますが、町民は門内に入れないので城外で水を汲んだとされます。どんな仕組みだったのでしょう?    
 絵図を調べていると、戦前の姫路城の地図もあり、城は軍隊の基地になっており姫路は巨大な軍事都市だったようだとわかりました。姫路城の空襲で姫路城が焼けなかった話はTVなどで何度も見聞きしましたが、軍事都市として爆撃を受けたのかなと思いました。


姫路城 清水門跡の石垣上から見える大天守
清水門の石垣の上に登ってみると大天守が姫山原生林の上に上層階だけですが見えました。  
 今回の見学コースのどこかで大天守が見えるかなと思っていましたが、案外カッコよく見えてラッキー!

姫路城 東側からの景観
清水門、北勢隠門と戻り姫山公園(帯曲輪?)を進むと姫路神社を通り天守の東側に出ました。ここからは裏側から大天守と周辺の櫓を見ることができました。

姫路城 黒田官兵衛普請?の石垣 中世の石垣で2段積となっている
さらに進むと「官兵衛普請の石垣」の矢印看板があり、それに従って進みます。
 官兵衛普請の石垣と名付けられていますが、大河ドラマの時にあやかって命名したのでしょうか? 中世の石垣でこれだけの高さを一気に積むのは無理だったので二段積みにしたのでしょうね。
 官兵衛が積んだかどうかはさておいても実に見事な野面積みの石垣で、見どころだと思いますが、近世姫路城を見に来た人にとっては関心のない場所かもしれません。

今回は、改修工事で真っ白になった姫路城の白がくすんでしまわないうちに一度見ておこうという目的もありましたが、外周巡りが思ったよりも面白くて、大満足の見学でした。


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