岡崎城は愛知県岡崎市にあります。岡崎城は徳川家康生誕の城として有名ですが、江戸時代を通じて有力な大名が居城し、西に向かっての備えが堅固な城郭でした。
近年、岡崎城の整備に向けての調査活動が活発で、発掘調査も継続的に行われています。
今回の発掘調査は、本丸の西側にあたる坂谷曲輪でありました。坂谷曲輪は家康生誕の屋敷があったとされ、産湯の井戸が残されています。
発掘結果の情報は 岡崎市ホームページ内の「岡崎城跡の発掘調査」ページで紹介されていますので御覧ください。 コロナ禍で現地説明会は行われませんでしたが3月6,7日に現場が開放され、現場資料の配布が行われました。 現場には係員の方が居られ、質問には親切丁寧に答えていただけました。感謝!
※「岡崎城跡の発掘調査」ページは→こちら
岡崎城 総構の西の出入口である松葉総門を東海道は通っていた
東海道は西から松葉総門で総構に入り、二十七曲りと称する城下の折れ曲がった道を通り籠田総門で東に抜けていました。松葉総門の西側には八丁味噌で有名な八丁の家並みがあり、その西側には矢作川が東西に流れています。矢作川には矢作橋が架かっていましたので、橋を渡って松葉総門、総構と進む旅人や参勤交代の西国大名には正面に岡崎城の天守がそびえ立って見えたのではないでしょうか。
岡崎城 東海道を西から進むと白山曲輪越しに天守がそびえて見えた・・・と想像
岡崎城の古絵図などを参考に、写真を貼り合わせて想像図を造ってみました。今回の発掘調査で外門と内門は筋違いに配置されていたことが判明しました。
岡崎城 坂谷曲輪の発掘調査 土橋と丸馬出付近は大正時代の河川改修で失われました 現場配布資料より
坂谷曲輪は南北に細長い曲輪で、北部に産湯の井戸があります。曲輪内では部分的な遺構の検出が有りましたが、表面から見えていた石列から推測できる範囲だったようでした。
今回の目玉は、なんと言っても枡形周辺の遺構の検出でした。絵図に描かれたように坂谷門の枡形の外門と内門の存在が確認できる礎石が発見されました。
※大正期の河川改修は坂谷曲輪の西側に伊賀川を移動するもので、伊賀川は今も南北に流れています。
岡崎城 坂谷曲輪の発掘調査 外門と内門は筋違に配置されている 現場配布資料より
古絵図が正確であれば、門は折れを伴った通路で通るようになっているのですが、今回 外門と内門の礎石が検出されたことで絵図の正確さが確認出来ました。
岡崎城 坂谷曲輪の発掘調査 現場配布資料より
古絵図や古写真によれば外門は簡素な高麗門、内門は重厚な櫓門となっていたようですが、今回の礎石発見で、それぞれの門の規模が写真や絵図の通りであると確認できました。
詳しくは「岡崎城跡の発掘調査」ページでご覧ください。