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三河・岡崎城 総堀発見! 発掘調査現地説明会

2019-01-24 | 歴史
岡崎城は愛知県岡崎市にあります。
徳川家康生誕の城として有名ですが、現在の岡崎城と城下町は、家康の関東移封後に豊臣秀吉の命で入部した田中吉政の時代にその基礎が大半築かれました。
 岡崎城の城下町は総堀がめぐり、概ね東西1.5km南北1kmの範囲で総堀の総延長は約4.7kmとされる長大なものです。
 近年その総堀の発掘調査が各所で行われていますが、今回は1月19日に総堀北側での発掘調査現地説明会がありました。


岡崎城総堀発掘調査現地説明会資料の抜粋・加筆
今回行われた発掘調査では、残されている複数の岡崎城の絵図に描かれている、北側の総堀を確認する事ができました。


発掘調査はトレンチ1とトレンチ2で行われた
トレンチ2は説明会当日には埋め戻されていました。この付近は昭和20年の岡崎大空襲で焼野原になり、その残骸を埋めたので、地盤がもろくて危険なので、すぐに埋め戻したと説明がありました。岡崎大空襲では280名もの尊い命が失われました。


発掘調査現場 トレンチ1 断面
一見すると溝1が総堀かと思いましたが、総堀の土塁を掘り込んで溝が掘られていると説明がありました。溝を掘ったのは土塁が築かれてさほど時間が建っていない時期の可能性があるそうで、その目的は現時点では不明とのことでした。


総堀法面は北に続いていて、堀底はもっと深い
今回の発掘調査の最大の成果は、堀の位置が古絵図とほぼ一致していることが確認できたことでした。しかしトレンチ2で掘った範囲でも堀底に到達できなかったので、総堀の形までは判明しませんでした。トレンチ2は戦災の残骸で土質が脆く危険なので土塁の頂部から2.4m下までしか掘ることが出来ませんでした。総堀はもっと深いということです。


溝1からの出土遺物 鉄滓
当日は現場に出土遺物の展示と説明パネルの掲示が行われていました。なかでも興味深かったのが溝1で発見された大きな「鉄滓」です。この辺りが城下町の頃には職人町だったので鍛冶屋さんがありそこに関連したものかもしれないということでした。


田中吉政時代に付け替えられたとされる岡崎の城下町を通る東海道は、二十七曲りとして今も残り、たどることが出来ます。道の角ごとに道標が立てられていますので城下街歩きを楽しむ多くの人が訪れています。

※総堀は惣堀と書く場合も多いと思いますが、今回は資料の記述に従って総堀としました。



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