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美濃・下手向城 密度の濃い、状態の良い遺構を堪能できる山城

2020-12-27 | 歴史

下手向城は岐阜県恵那市山岡町下手向にあります。 下手向はしもとうげと読みます。
 初期の下手向城は在地の領主によって築かれたと伝わりますが、今見る姿は武田氏がこの地を領有したときに強化された可能性があるようです。
 下手向城は以前にも訪れたことがありましたが、今回は岐阜県CS立体図でみえる地形と資料を参照しながら見学しました。資料は(1)「岐阜県中世城館跡総合調査報告書」 (2)「信濃をめぐる境目の山城と館」 です。


下手向城 東1.5㎞に上手向城など周辺に城(館)跡は多い
 南南東2.3㎞に釜屋城、南2.5㎞に釜屋大洞城、西3㎞に高町城、東2.4㎞に和田城、2.7㎞に山田城などがひしめいていますが、すべてが同時期に稼働していたわけではなさそうです。城の南側を流れる小里川流域は当時としては収穫の多い場所だったように思います。     ※釜屋大洞城は→こちら


岐阜県CS立体図を見ると、下手向城の城道はA、Bの2本があったようで、資料(2)ではAルートが大手道とされていました。資料(1)ではBルートからの虎口地形①周辺の土塁・堀切の遺構が描かれていませんが(2)では描かれていました。Aルートは山道としても使われてきたようなので、多少の改変があるのではないかと思いました。Bルートは踏跡はありませんでしたが道状のそれらしい地形をたどると①の虎口地形に出ました。
 山下の住宅の裏には水を湛えた池がありました。池の上部の谷地形にはいかにも「水の手」という地形がありました。


下手向城 虎口地形①付近の土塁と堀切 立体図にも表れている
 図1の虎口地形①を登ると右斜め上に道が伸びていたように見えました。①の東側の土塁と堀切は①を防御する備えのように見えました。資料(1)ではこの部分が描かれていません。


下手向城 Ⅰ郭  西隅下の横堀の角と土塁 南から 遺構の残りが良好
 Ⅰ郭の南西側と北西側の下には横堀と土塁が続いていました。図1の立体図で見るとよくわかります。
南東側の下は複雑な地形となっているのもわかります。北東側は堀切で尾根を断ち切っているのがわかりますね。


下手向城 Ⅰ郭南東側の虎口②は虎口受けから坂虎口でⅠ郭に登る  坂虎口下から 奥に開口部
 城道は井戸跡のある曲輪④から坂虎口②下の虎口受けの平場に入ります。虎口受けからは土塁状の坂虎口を登ってⅠ郭に入ります。④へ登る城道はあまり明確ではなく、資料(1)、(2)で異なって描かれていました。


下手向城 Ⅰ郭 虎口② 郭内から。 枡形があるように見える
 Ⅰ郭の虎口②の坂虎口を登ってⅠ郭に出たところに枡形のように見える地形が有りました。資料(1)では枡形が描かれていませんが(2)では描かれていました。


下手向城 Ⅰ郭 北東辺の土塁 
 下手向城は北東から伸びる尾根筋の先端部に位置していますので、Ⅰ郭の北東側は堀とⅠ郭の土塁で形作られる高い切岸で防御していました。立体図でも北東辺から左右に折れている土塁が確認できます。


下手向城 1郭 北東辺の切岸  見ごたえあり!
 Ⅰ郭の土塁+地山の斜面+堀切の合計で高さ10mを超すような見事な切岸が残っていました。角度・高さが見ごたえあり!の切岸でした。立体図ではこのあたりの迫力は残念ながら把握できませんね。


下手向城 Ⅰ郭 西隅の虎口③と虎口受けのテラス状地形 Ⅰ郭上から
 Ⅰ郭には虎口②と③が有りました。虎口③は、いわゆる搦手でしょうか、小規模な虎口で北西側の横堀から虎口受けに登る道がありました。テラス状の虎口受けは立体図でも確認が出来ます。


下手向城 Ⅰ郭 北西隅『謎の石積』 一辺1m近い立方体の大きな石が積まれているように見える
 Ⅰ郭の北西隅の法面には、石積と思われるものが見られました。一辺が1m近い立方体の大きな石が積まれているように見え、一部は下の堀切に転落していました。資料(1)、(2)ともにこの石積には触れられていませんが、自然地形ではないように見えますし、後世に積む必要性もないように思いますので往時のものではないでしょうか。とりあえずは「謎の石積」としておきたいと思います。

下手向城は城パーツが勢ぞろいしていますがホンの一部しか紹介できませんでした。興味深い遺構が良好に多数残っており資料(1)、(2)と岐阜県CS立体図とを照合しながら見学すると、よりわかりやすくて楽しく見学ができ大満足でした。



 

 


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