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三春城 陸奥 歴史は古いが現況の城郭遺構は近世城郭 東海古城研究会の特別見学会で訪れた

2023-08-12 | 歴史

三春城は福島県田村郡三春町にあります。今回は東海古城研究会の二泊三日の特別見学会で訪れました。三春城は永正元年(1504)戦国大名の田村義顕が築き、14Km南西の守山地区から移ったとされますが、遺跡の状況から南北朝期には城として機能していたようです。その後江戸時代に至る間に数多くの城主が入れ替わり、正保二年(1645)秋田氏が入部して最終形の今見る近世城郭の三春城となったようです。今回の参考資料は (1)見学会当日資料  (2)パンフレット「三春城跡」三春町教育委員会・三春町歴史民俗資料館編 などです。


三春城 山下の城下町から見上げる山上の三春城三階櫓は存在感抜群だった
 大志多山に築かれた三春城は、天守に相当する三階櫓が西端部に位置し、当時の西側山下の城下町から良く見えて、お城としての存在感は抜群だったのではないかと思いました。


三春城 国土地理院地図に資料(2)の江戸時代の姿を重ね合わせる
 資料(1)と⑵に掲載された各種の図や絵図によって、時代とともに変遷した三春城のかつての姿が確認でき、地区に書き入れてみました。残っていた建物や石垣は明治に入ってほとんどが売り払われたようで現地には建物遺構はありませんでした。


三春城 重臣屋敷の石積がある土塁 南西から 奥上に竪堀
 城坂の左右には重臣屋敷とされる平場が在りました。城坂上部の東側の屋敷地西辺には往時のものと思われる石積の土塁が在りました。土塁の上には土塀が在ったのではないでしょうか。城道は竪堀下部に突き当たってから左に折れて二の門へ向かって登っていました。


三春城 二の門  標柱が立つ 南から
 追手門から大手道を登って来ると二の門に出ます。こちら側が三春城のメイン通路のようです。


三春城 揚土門 奥に平場  東下から 標柱が立つ
 二の門からは折れを伴う城道を登り本丸下段の表門に至ります。その間に揚土門と三の門が設けられていました。揚土門を入ると枡形状の平場が設けられていました。絵図を見ると門の建物は描かれていないようですが、平場に建物が在ったようです。


三春城 三の門 西から  奥に広い平場 西から
 三の門は絵図にも描かれており櫓門だったかも知れません。門の東側の枡形状の平場は石垣造りで広く、軍事的な意味があったかもしれません。 


三春城 本丸下段 奥上に上段 右に表門の礎石?  西から
 何度か折れて登ってきて本丸下段に出ました。写真の右に門の扉の礎石風の石が見えまが、三春城は明治になってほとんどの建物や石垣の石などが売り払われたようですので、門の礎石かどうか未確認です。絵図によると本丸下段には三階櫓以外に表門、長屋などが描かれていました。


三春城は 三階櫓跡地から城下を見下ろす 東から
 本丸下段の西端部には天守相当の立派な三階櫓が建っていたようです。ここからは城下が眼下に見下ろせます。逆に城下からはお城の三階櫓の存在感が目立っていたのではないかと想像しました。


三春城 搦手門 北下から 標柱が立つ
 絵図によると三春城の城域を取り巻くように通路が設けられ、搦手道はその通路を大きく北に回り込んだ位置から本丸下段に通じていて、搦手門はその途中に設けられていたようです。


三春城 広間 全国的に見ても珍しい規模の大広間が在った
 本丸下段から一段上がった本丸上段には、御座の間・台所・広間がありました。広間は中世城郭の中でも類例を見ないような広さと高さの広間空間の建物が在ったとされます。


三春城 御座の間 領主の居住空間とされる
 御座の間は石垣造りの比較的狭い場所のように思いました。別の御殿で日常生活をしていて公務の場合に渡るというような使い方だったかもしれないと想像しましたがどうでしょう。


三春城 珍しい風呂屋があった
 風呂屋と言っても「お風呂屋さん」ではなく城主又は賓客が利用する「蒸し風呂」が在ったようです。この時代に蒸し風呂は珍しく、三春城を代表するものだったと思われます。風呂屋から御座の間へは屋外を歩くしかなかった様で、冬季でも使ったのか?でした。


春城 竪堀 北上の橋から 付近に標柱が立つ
 城坂を上りつめたところにある竪堀は雑草に覆われていてはっきり見えませんでしたが、城域の南側の周回通路を分断していた可能性があり、現況は竪堀上端部に橋が架かっていました。絵図にはこの竪堀は描かれていませんでした。


三春城 周回通路 南東部の堀切 西から
 本丸南東下の尾根上には三の丸がありますが周回通路の切通が堀切状の地形になっていました。いわゆる尾根を断ち切る堀切というよりも、周回通路の切通のウエイトが高かったのではないかと思いました。


三春城 三の丸 (東館) 北から 東館跡の標柱が立つ
 三の丸はきれいに削平された広い曲輪でした。周囲の状況からヒョットすると耕作地として利用された時期が有ったかもしれないと思いました。現況は公園化による整備がなされているようでした。


三春城 三の丸  南下から
 写真の様に、三の丸の南側は山城風の切岸がありGoodでした。現状は公園整備の階段が付けられており南に尾根を下ると田村大元神社がありました。


三春城 田村大元神社 
 田村大元神社の旧名は大元帥明王社といい、郡山市田村町の守山地区にありました。田村氏の三春入城に伴い、三春へ遷座された神社で三春藩領の総鎮守でしたが、現在は新町地区の鎮守様として祀られています。

三春城は城郭関連の建物は無く、絵図を見ながら往時を想像しながらの見学でしたが、最終形の城郭遺構の地形は良く残っていましたので楽しく見学ができ良かったです。


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