滝山城は愛知県岡崎市妙見町・宮崎町大字亀穴にあります。
滝山城の名称は、所在する岩山を流れ下る沢に見事な滝がみられることから、山の名を滝山と呼んだところから来ています。
滝山城は戦国期に作手から四方に勢力を拡大し、ここ明見の地にも田代屋敷等の拠点を置いた三河奥平氏の一族が詰の城として築いたと伝わります。
滝山城は尾根上に1km以上に亘って遺構が残るとされ、比高250mの堅城ですが、今回は滝山城の名前の由来となった滝山の滝を訪ねましたので滝についての記事です。
滝山は非常に険しい岩山で、岩盤上を薄く表土が覆っている状態ですので、雨が降っても短期間で沢の水が干上がってしまいます。そのため降雨直後にしか滝が現れないので「幻の滝」となっています。
滝山城の滝 滝山の南斜面を流れ下る沢に大小20もの滝が現れる
男川を挟んだ南側には、長篠合戦を前にして武田に反旗を翻し、徳川に寝返って作手から明見に退いた奥平氏を追って武田軍5000が布陣したとされる万足平があります(滝山合戦)。
※田代屋敷、宮崎神社が有るのが明見です。
滝山の滝・・地元の伝承
「大字亀穴に在り、夏時瀧山城跡を弔はんとして行けば山中多くの瀧有りて趣味多けれども険阻なれば人の訪ふ少なきは遺憾なり。昔奥平貞能甲州軍に包囲の折水に窮し此の瀧に白布を漂してその上より米を流して敵に水ある様を示して以て囲を解き去れりといふ」 ※「額田村誌」 昭和7年 宮崎尋常高等小学校職員編に収録
往時から、滝の水が干上がることでピンチに陥っていたことがわかる伝承だと思います。
滝山城の滝 滝山の沢には雨が降ると大小20もの滝が現れる ※城址碑には「龜穴城址」と刻まれている
これまで滝山城は何度も訪れましたが、降雨後は足場が悪いので訪れたことがありませんでした。今回は滝を見るのが目的でしたので、雨が上がって間もなくの足場コンディションが悪い中での見学でした。道はありませんので、急な岩盤や滑りやすい斜面を這って登る危険な見学でした。
滝山城の滝 最下段の滝1 左上に城址碑が建つ。 普段は写真左のようにほとんど水は無い。目測落差7m
滝山城は険しい山城ですので、県道から見える城址碑と水がほとんどない滝を見て帰る人も多いようです。沢に水がないときでも滝1は、上にある堰堤のおかげで少し水が流れています。
今回の見学では、 滝1も滝らしい水の流れで、この先の見学に期待が膨らみました。
※滝山城へは県道沿いの城址碑付近から登る道は無く、危険です。宮崎神社付近から登るのが一般的です。
滝山城の滝 滝6 普段は全く水がないが、降雨後には見事な滝が見られる。 目測落差6m
滝1からここまでにも落差2m~4mの滝を見ることが出来ました。道はありませんので、沢を迂回しながら這って登ってきました。
滝山城の滝 滝7 左右の平滑な岩盤に注目、ほぼ直角。入隅を滝が折れて流れる。目視落差4m
左の普段の状態では、岩盤上に緑色のコケが目立ちます。大雨が降っているときなら、岩盤を覆いつくすように水が流れるのかもしれないと想像しました。
滝山城の滝 滝11 流れが途中から分岐。目視落差8m 滝山城の滝で最大級!
奥行きがあり、途中で流れが二つに分岐していました。普段は水の流れを想像しにくい滝ですが、滝山城の滝では最大級だと思いました。
滝山城の滝 滝15 四段の滝 目視合計落差7m
沢をかなり登ってきました。岩盤が幅が広くむきだしになっている上を水が流れています。緑のコケが目立ちます。
滝山城の滝 滝18 左右の沢の合流点の滝 目視落差2m
滝1から比高150m程を登ってきました。沢はここから二つに分かれています。両側の沢から流れてきた水で低い滝になっていました。水がなければ何でもない岩場でしょうね。
ここから先には左右一つずつの小さな滝がありましたが、その先は浅い沢で滝らしきものはありませんでした。
伝承にもあるように、降雨から時間がたつと枯滝になる滝山城の滝ですが、雨が降ると現れる幻の滝を見学できて大満足の滝見でした。
◆降雨後は特に危険を伴うので皆さんにお勧めすることが出来ないのが残念です。まさに「遺憾なり」です。