長山城は岐阜県岐阜市芥見(あくたみ)にあります。
古くから長良川の舟運と街道の要衝として栄えた芥見には、長山城が機能しのたと同時期の屋敷地が山下にあり、城は詰の城だったようです。「岐阜の山城 ベスト50を歩く」を片手に、訪れました。「岐阜の山城」に高天ヶ原ニュータウン(現地看板は高天ヶ原団地)からの道があるとなっていたので、団地内の駐車スペースから沢筋を城址に向けて登りました。
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長山城 直登すれども急な崖に阻まれて進めず。 国土地理院空中写真をカシミール3Dで加工・加筆
ブッシュを掻き分け、城址方向に向かって登りましたが、途中から崖に阻まれて「あ」地点からトラバースして登山道のある尾根道を目指しました。下山は「い」でしたが、道はなく急斜面のブッシュ漕ぎでした。
下山してからリフレ芥見からの登り口を探して見つけました。ここから登れば良かった! 近くの道路脇に駐車スペースが少しありました。リフレ芥見には「登山者の駐車禁止」の看板がありました。
長山城 リフレ芥見付近の登り口。夏草の季節だと見つけにくそう。ここから尾根道までは登山道あり。
リフレ芥見付近に長山城への登山道の登り口がありました。ここから登ればブッシュ漕ぎはしなくても良かったようです。
長山城 急斜面のブッシュ漕ぎで、やっと登山道の尾根筋へ出た。やれやれ・・・
リフレ芥見からの登山道へたどり着いたときにはグッタリでした。久々にGPSとコンパスを頼りの急な登りでした。ここからの眺望は素晴らしく、足元の芥見の街、長良川、岐阜城まで見通すことが出来、疲れも和らぎました。登山道の道標があり「ここからの下りはきついので足元に注意」となっていました。
長山城 緩やかな尾根道を東進すると西尾根の城域西端部の堀切と土橋、土塁を目にする
尾根を断ち切る堀切と土塁があり、中央部に土橋があります。城道としての機能を考えると、写真の①は後世の登山道で往時の城道は②だったのではないかと思いました。②が城道でもおかしくない地形もありました。
長山城 主郭の平坦面には芳野神社の祠があり、寄進された灯籠が立っている。
主郭は広い平坦面がありました。芳野神社の祠と、神社地としての石積の平坦地などがあるので、往時の地形はわかりませんが、周辺部の遺構はよく残っていました。山上の神社は、荒廃している場合が多いのですが、ここはよく手入れされ、現役感がいっぱいでした。
長山城 芳野神社の灯籠 天和四年(1684)の寄進 と刻まれている
芳野神社の灯籠を見ると、1684年の寄進と刻まれていました。ずいぶん古くから芳野神社が鎮座し、現在に至るまでお祀りされているとすると、登山道は古くからの参道の可能性があるように思いました。南尾根の尾根を断ち切る堀切も登山道が貫いて土橋状になっていましたが、古くからの参道だった可能性も考慮する必要があるのかもしれないと思いまし。
長山城 主郭東側の腰曲輪と井戸 井戸は今も水を湛えている
主郭の東下には帯曲輪があり、北端部には井戸があり、覆いがしてありました。ソっと覗いてみると、澄んだ水が湛えられていました。
長山城 南尾根を断ち切る堀切と土塁、中央部の土橋
往時の遺構とも、登山道(参道)とも見える土橋の両サイドには堀切がありました。ここから主郭の間にもう一つの曲輪があり、桝形虎口状の遺構を見ることが出来ました。
長山城は神社の参道、最近の登山道で往時の地形がどの程度改変されているかわかりませんでしたが、コンパクトながら山城としての基本的なパーツが残っていて構造はハッキリと見て取れました。
古くから長良川の舟運と街道の要衝として栄えた芥見には、長山城が機能しのたと同時期の屋敷地が山下にあり、城は詰の城だったようです。「岐阜の山城 ベスト50を歩く」を片手に、訪れました。「岐阜の山城」に高天ヶ原ニュータウン(現地看板は高天ヶ原団地)からの道があるとなっていたので、団地内の駐車スペースから沢筋を城址に向けて登りました。
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長山城 直登すれども急な崖に阻まれて進めず。 国土地理院空中写真をカシミール3Dで加工・加筆
ブッシュを掻き分け、城址方向に向かって登りましたが、途中から崖に阻まれて「あ」地点からトラバースして登山道のある尾根道を目指しました。下山は「い」でしたが、道はなく急斜面のブッシュ漕ぎでした。
下山してからリフレ芥見からの登り口を探して見つけました。ここから登れば良かった! 近くの道路脇に駐車スペースが少しありました。リフレ芥見には「登山者の駐車禁止」の看板がありました。
長山城 リフレ芥見付近の登り口。夏草の季節だと見つけにくそう。ここから尾根道までは登山道あり。
リフレ芥見付近に長山城への登山道の登り口がありました。ここから登ればブッシュ漕ぎはしなくても良かったようです。
長山城 急斜面のブッシュ漕ぎで、やっと登山道の尾根筋へ出た。やれやれ・・・
リフレ芥見からの登山道へたどり着いたときにはグッタリでした。久々にGPSとコンパスを頼りの急な登りでした。ここからの眺望は素晴らしく、足元の芥見の街、長良川、岐阜城まで見通すことが出来、疲れも和らぎました。登山道の道標があり「ここからの下りはきついので足元に注意」となっていました。
長山城 緩やかな尾根道を東進すると西尾根の城域西端部の堀切と土橋、土塁を目にする
尾根を断ち切る堀切と土塁があり、中央部に土橋があります。城道としての機能を考えると、写真の①は後世の登山道で往時の城道は②だったのではないかと思いました。②が城道でもおかしくない地形もありました。
長山城 主郭の平坦面には芳野神社の祠があり、寄進された灯籠が立っている。
主郭は広い平坦面がありました。芳野神社の祠と、神社地としての石積の平坦地などがあるので、往時の地形はわかりませんが、周辺部の遺構はよく残っていました。山上の神社は、荒廃している場合が多いのですが、ここはよく手入れされ、現役感がいっぱいでした。
長山城 芳野神社の灯籠 天和四年(1684)の寄進 と刻まれている
芳野神社の灯籠を見ると、1684年の寄進と刻まれていました。ずいぶん古くから芳野神社が鎮座し、現在に至るまでお祀りされているとすると、登山道は古くからの参道の可能性があるように思いました。南尾根の尾根を断ち切る堀切も登山道が貫いて土橋状になっていましたが、古くからの参道だった可能性も考慮する必要があるのかもしれないと思いまし。
長山城 主郭東側の腰曲輪と井戸 井戸は今も水を湛えている
主郭の東下には帯曲輪があり、北端部には井戸があり、覆いがしてありました。ソっと覗いてみると、澄んだ水が湛えられていました。
長山城 南尾根を断ち切る堀切と土塁、中央部の土橋
往時の遺構とも、登山道(参道)とも見える土橋の両サイドには堀切がありました。ここから主郭の間にもう一つの曲輪があり、桝形虎口状の遺構を見ることが出来ました。
長山城は神社の参道、最近の登山道で往時の地形がどの程度改変されているかわかりませんでしたが、コンパクトながら山城としての基本的なパーツが残っていて構造はハッキリと見て取れました。