けふはラグビー大学選手権の決勝戦。
昔は、成人の日の1.15.に開催されていたのではなかったか?
休みを増やしたがる昨今の零落した国民性に伴って、連休にするための変動制に切り替わる前は、成人の日と言えば1.15.、体育の日は10.10.と決められていた。
そも、祝日を何故変動制にするのか、かつては世界一勤勉だと言われた我が国民気質は、そういうところにも綻びが滲み出る。
ま、それは置いといて、この決勝戦に纏わる記憶を少々。
私が明治に在学した頃の記録を紐解いてみれば、以下の通り。
第16回 (S54) 明治 6 - 3 同志社
第15回 (S53) 日体大 22 - 3 明治
第14回 (S52) 明治 7 - 5 慶応
第13回 (S51) 早稲田 34 - 6 明治
この頃の明治は、決勝に残る常連校だった。
確か、我が明治が優勝した年と記憶しているから、1977年か1979年。
大学2年か、4年、となれば、恐らくは1979年の決勝戦だったのだろう。
その日私は、学友と連れ立って国立競技場へ、母校の応援に出向いた。
雪の降る過酷な条件だった。
雪と言えば、後の雪の明早戦が著名だが、その日も確かに雪が舞っていた光景が脳裏に浮かぶ。
因みに、世間的には【雪の早明戦】と呼ばれるが、明大生のバヤイは、明早戦となる。
その帰途、確か新宿の雀荘で、私は我が人生において、後にも先にも唯一、緑一色(リューイーソー)を上がった。
ん?テンパった?どっちだったかなぁ。
事程左様に古い記憶。
2024-1979=45
もう45年前のこと。
いつの間に?
ま、録画予約してあるので、今夜、酒でも呑みながら観よう。
もしかすると、目はそいつを追ってても、脳内は、あの雪景色の中に遊ぶのかも知れないな・・・
追記
『ん?1.15.は日本選手権試合だったか?』
ふと思い出したので、調べてみた。
やはり、1.15.に開催されるのはそっちだった。
対戦相手は、絶頂の新日鉄釜石。
明治出身の森重隆と松尾雄治が作り上げたチーム。
なので、新旧明治の対決。
後に、それは神戸製鋼へと移り、そこの中心選手は同志社出身のそれが多かった。
そして、ヒーローも明治の松尾から同志社の平尾へと引き継がれていった。
日本ラグビー界の潮流として、門外漢ながら、なんとなく覚えている。
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