宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

高校野球の決勝戦 その1

2006-08-20 18:30:49 | 徒然
チラシ配りで大汗をかいたので着替えに自室に戻る。

扇風機の風に当たりながら水を1L飲む。
ちょこっとTVを点ける。

あれ?
まだ高校野球をやってる。
13時から始まった決勝戦。
遅い昼食時に浅い回を少し見てからチラシ配りに出た。

16時までやってると思わないから意外な喜びが。
結局延長15回引き分けにつき、翌日再試合となった。

夏の決勝戦引き分け再試合と言えば、忘れもしない昭和44年、私が中学1年のときか、我が愛媛代表の松山商業と、青森代表の三沢高の試合。
一色監督率いる松山商業は甲子園の常連校。
対する三沢高は太田というエースピッチャーで勝ち上がってきた新鋭。




手に汗握る試合展開は、三沢の太田一人と、松商の継投策によるピッチャー二人との戦いの様な図式になった。
松商は、エースの他に控え投手がライトの守備に入って、要所要所で交代をするといういかにも伝統あるマンモスチームのイメージだった。

それが余計に太田の凄さを際だたせた。
おまけに太田はロシア系のハーフで、絵に描いたような美男子。

勝負については松商を応援しているのだが、気持ちは段々太田向きになってくる。
後日太田の特集雑誌を買ったのはいうまでもない。

松商といえば、さらに遡って昭和41年、中京商業との決勝戦。
先取点を上げたのは松商だったのだが、逆転負けしてしまった。
そのときの中京商業の投手が、後に巨人で活躍した加藤である。
そう、あの伊東四朗にちょっと似たあの加藤。
その加藤はもうとっくに引退しているのだから古い話だ。



因みに、私の記憶に間違いがなければ、加藤と同時期に巨人で活躍したやはり投手の西本は、松商の西本3兄弟の次男で、くだんの決勝戦では長男が投手で出ていた。
次男は甲子園に出られなかったと聞いている。
三男は確かファーストで甲子園に出場したのではなかったか。

閑話休題
当時小学4年生だった私は、TV放送終了後はラジオで聴いて、負けが決まったときは、大いに落胆したものである。
今では信じられないことだが、当時は時間が過ぎるとTV中継は簡単に切られた。
勿論、教育放送との掛け持ちなんてなかったのである。

悔しくて、悲しくて、すぐに近所の同級生をかき集めて「三角ベース」で名残を惜しんだものである。



あの頃は、高校野球の選手は頼りがいのあるお兄ちゃんで、後に後輩となり、今では息子より年下なのだから、いかに自分がロートルになったかがよくわかる・・・


追記
いけない!
松商のことばかりに終始して、肝心の我が町新居浜商業のことを忘れていた。
これは明日・・・



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