宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

高校野球の決勝戦 その2

2006-08-21 08:48:10 | 徒然
昭和50年夏。
私はその年、大学に入学して、新居浜から東京に出ていた。
朝日新聞の奨学生制度に応募して、練馬区中村橋の販売店の住み込み店員として、学校に通っていた。

それまで甲子園にはとんと縁が無かった新居浜の高校が甲子園に出たのもこの年だ。
母校ではないが、同郷の高校ということで、自ずと応援にも力が入る。
それがトントン拍子に決勝まで駒を進めたのである。

当時その新聞販売店には、北海道、秋田、鹿児島、と、全国各地から集まった先輩方が居た。
私が新居浜出身だということで、話が盛り上がったし、一緒に応援してくれた。

相手は千葉の名門、習志野高校だ。
序盤は快調に点を上げて、もしかするかもと思いかけた頃に徐々に追い上げられて、最後は9回裏のサヨナラヒットで負けてしまった。

確かサードにランナーがいて、ライト前に痛打されたのだ。
ライトはヒゲの竹場(だったと思う)、ジンクスを担いで、勝ち上がるにつれヒゲ面になったのだ。
だから印象に残っている。

あの場面については今でも、言う人に言わせれば、ツーアウトだったし、浅くて強い打球だったから、ライトゴロでスリーアウトに出来る可能性はあったということになる。
確かにあのとき竹場は自分の前に落球した段階で崩れ落ちた。
そのシーンは今でも目に焼き付いている。

でも、それは僅かな可能性の話であるし、彼を責められない。


兎に角、見事に負けたのである。
残念だが、楽しませてくれた。

その夜、当時拓殖大学4年のS藤さんという先輩が残念会と称して近くの焼鳥屋に飲みに連れて行ってくれた。
その気遣いがとても嬉しかった。

もう31年前の話である。



その後新居浜にUターンした私は、ソフトボールでショートのK藤くんと、早朝野球でピッチャーのM上くんと対戦している。
やはり、別格だった。

あの頃は本当に地元の生徒でチームが作られていた。
監督も地元。(その親戚にあたる女子と高校で同じクラスだった。)
後に高校野球の解説者となっても、バリバリの新居浜弁で喋るところに好感を覚えたものだ。

そういう意味では、あの頃は本当に都道府県対抗だったが、果たして現在はどうなのだろう。
例えば、北海道のあの高校の選手達はみんな北海道の出身なのだろうか。
強いチームを作ることは大切なことなのだろうが、高校野球までもが商業主義に浸食されているとしたら、寂しいことではないだろうか・・・





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3 コメント

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Unknown (nya-5)
2006-08-21 15:40:04
新商と習志野のあの優勝戦私も覚えています。本当に感動的でしたね。

もしかして今度東高にスポーツ科ができて我らが母校が甲子園に行けたとしてもスポーツ予\備校みたいな、ほうぼうからの寄せ集めなら、新商が準優勝したあの夏の感動はないと思います。



だけど今日の優勝戦はすごかったですね。ハンカチ王子、超かっこよかった。完全に惚れました!!









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八重山商工! (ドンファン)
2006-08-21 17:23:11
今回の甲子園で純粋な地元の選手ばかりといえば、沖縄代表の八重山商工でしょうね。

小学生からずっと同じメンバーで野球をしてきたらしいですね。

負けても充実した笑顔で去っていったエースが印象的でした。



そしてハンカチ王子は確かにかっこよかった。

クールさの中に秘めた熱い闘志!!

すばらしい!!
返信する
最近は (チュー太郎)
2006-08-22 07:26:39
ほとんど高校野球を観ることはなくなったのですが、

浪商のドカベンこと香川の息子がどこかのチームにいましたね。

そっくりな体型に笑ってしまいました。

これもどうやら越境入学のようですが。



ハンカチ王子は群馬から国分寺に出てきたようですね。
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