四国山脈が衝立
定休日の昨日、すべき事務仕事を14時過ぎに終えて、図書館へ出かける。
その日が貸し出し期限の3冊の本を返し、あてもなく開架棚に並ぶ本を物色。
そこで、チュー太郎のお客さんとして知り合った近所の飲み友達とばったり。
あそこで知り合いに会ったのは初めて。
(まあ、司書さんは宝島のお客さんではあるが。)
場所が場所なので、少し会話をして別れる。
ゆっくり物色して4冊の本を新たに借りる。
そしてパナスへ向かう。
結構車が混んでいて、信号待ちの時間が長いから、さっきの中から1冊取りだして読む。
小池真理子の最近の作品。
私は女流作家の作品にはあまり馴染みのないクチなのだが、以前何気なく買った
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でもって、少し道が開けたようである。
図書館から回るからいつもと違うルートを辿る。
そのお陰で思いついたのがちょっと遅い花見である。
パナスの近くに広瀬公園という新居浜屈指の花見スポットがある。
まるで雪が降るように絶え間なく花が散る。
桜の醍醐味の一つではないだろうか。
散る桜 残る桜も散る桜
これまで多く、桜は、その散り際を人生に例えられてきた。
自殺者が急増するのも、この桜の時期だと聞く。
桜には綺麗、楽しい、ほのぼの・・・といったイメージの対局に、儚い、怪しい、寂しい、といった思いを抱く向きも少なからずいるのではないだろうか。
石段にも植木にも一面に花びらが覆う。
まるで雪景色だ。
適度な大きさの池を囲むように桜の木があって、池には島がある。
そして、その池をぐるっと回れるようなレイアウトになっている。
その樹齢は知る由もないが、旧住友別子銅山華やかなりし頃からのものであろう。
こうした散策コースが池を一周する。
すると、こうした景色が楽しめる。
鴨や白鳥がいる。
渡ってきた?
これが池の中の島。
もう40年くらい前になるだろうか。
私がまだ小学校の低学年だった頃、父の仕事仲間の花見に私も連れていってくれて、確かこの島で宴会をした。
狭いスペースに数グループが気勢をあげていた。
事のいきさつは判らなかったのだが、突然、私たちのグループと、隣のグループが喧嘩になった。
それはグループ同士の多人数のそれに発展して、誰かが
「池ん中にほうりこんだれ!」などと叫んでいる。
そこから先はどう収拾をつけたのか覚えてないのだが、父親に連れられて帰ってしばらくすると、父の友人が訪ねてきて、鼻血を流していた光景だけは覚えている。(笑)
あの頃、父は若かった。(当たり前だ)
この公園は山際、私の自宅は海際、ほぼ市の対角に位置するので、結構遠い。
だから、こういうことでもなければ滅多に訪れることはないのだが、たまにこうしてやってくると、必ずその花見喧嘩事件を、というよりも、若かった頃の父を思い出す・・・
家が川西なので、どうも上部には馴染みがなくて、恥ずかしながら広瀬公園にはこの年になるまで行ったことがありませんでした。
滝の宮もきれいですが、広瀬はもっと密集してるのでしょうか?
まるで別世界に迷いこんだような気になりました。
お弁当を広げて食べてる人達がいなかったら、怖いくらいだと思いました。
来年もまたここに来ようと、心癒され帰る途中
広瀬ノラちゃんがいて、いつものようにチチチと舌を鳴らしながら近づくと、少し間をおいて、がぶりとやられました。あ~ん(涙)
多分、こじんまりとした池と桜のバランスからくるんでしょうが。
それとは別に、何故だか判らないけどそういう波長が流れているような気もします。