天気が良いので、海岸沿いに造られている遊歩道を歩きながら、写真を撮りに行きました。
出発はカマビーチです。この浜辺は7月頃になると、EEと言われている小鯵が沢山入ってきます。チャムロの方は投網で一網打尽に捕獲していますが、資源確保の観点から投網は禁止するとよいのにと白爺は思って眺めています。
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Emiiの釣りは、チャムロの人から「№1フィシャー・ウーメン」と言われる程テニアン島では有名です。80歳を越しているのですから、「フィシャー・グランマー」の方が合っているのでしょうが、釣果は白爺より確かに多いので、今ではシャッポを脱いでいます。
昔、白爺が釣りに行く時はホテルで留守番をし、ブツブツ言っていました。白爺は一考して、釣りに連れて行くことにしました。すると、初めて竿を持ったのに大きなキ . . . 本文を読む
マルポ神社の神殿ですが、天照大神に変わって今はキリスト様が鎮座しています。 マルポ小学校は牧場の中にありました。校舎はブルトーザーで整地されて、ジャングルの一角に積み上げられていましたが、苦労して探索し小学校の門柱を発見することができました。
Emiiは、小学校から見えたサイパン島を基準にして、昔の校舎跡を探索していましたが、母校の廊下を牧草の下に探し当て . . . 本文を読む
フレミングストアーが閉店しました。
テニアン島最北端 牛岬からサイパン島を眺める
2012年1月11日から2月8日までテニアン島に滞在しました。
滞在中に撮った写真のデジブックです。
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タガビーチです。
日本時代には灯台が建っていました。
潮吹き海岸の磯です。
遠くにサイパン島が見えます。
沖縄基地がグアムに移転すると、この磯は米軍基地内になるので、見ることが出来なくなるようです。
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日本海軍第1航空艦隊司令部跡です。
テニアンの航空基地は、ラバウルへの中継基地にもなっていて、沢山の艦上戦闘機・艦上爆撃機や1式陸上攻撃機が飛んでいました。
玉砕後はB29の日本攻撃基地になりました。
原子爆弾は、この穴にB29を跨がせて積み込まれました。
広島と長崎は搭載場所が違います。
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テニアン島でフィリピンのお祭りに参加してきました。
教会でお祈りの後、雛人形のような神様を美人が掲げて街中を巡礼します。
お神輿風の担ぎ物の上には、男の神様が鎮座 否 起立していました。
白爺たちは一緒に街中を巡礼してきました。
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1932年発行の南洋興発テニアン島開拓記念アルバム ↑
テニアン島開拓の記録です。
Emiiの両親も、野豚や野鶏が沢山いるマルポの原野を開拓して、大きな砂糖キビ畑をつくったと話しています。
白爺とEmiiが生まれた頃のテニアン島です。
アルバムで見てください。
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ペペニグルの小川砲台から眺めたテニアンの海 ↑
透明度が高いので、海中を泳いでいる魚や亀も見えます。
テニアンのビーチにも地球環境の変化が現れているのか?
乱獲で魚が減ったのか?
原因はわかりませんが、最近 釣果が少ないのでガッカリしています。
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(チューロビーチ) 68年前の玉砕戦にこの浜に上陸してきた米軍兵士と遭遇 ↑
元の海兵隊さんは、当時玉砕戦の中を逃げ回っていたEmiiに対して「ゴメンナサイ」と謝りました。
謝られたEmiiも「米軍収用所内で高校生の勉強を教えてくれて有難う!」とお礼を言いました。
68年ぶりに、敵と味方が手を取り合って写した写真です。
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「テニアン親善大使」を任命された ↑
テニアンの市議会議員など著名人居並ぶ前で、テニアン市長から「親善大使」を任命されました。
光栄ですが今後は「立ちション」が出来ないので不便ですねー。
2011.06テニアン散策
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ドンニーのマリア様⇒タッポーチョー⇒ハイアット・マイクロ・ビーチ⇒コーラルオーシャンポイントビーチを友達の車で観光しました。
タッポーチョー山上では、スコールが襲来しました。
白爺はいち早くスコール襲来を予見。
「すぐ駐車場に撤退!」と号令を掛けました。
そして白爺はビビちゃんを背中に背負い急な石段を駆け下りました。
車に入ったらザーザー! 危機一髪で ずぶ濡れを回避できました。
4歳の女の子を . . . 本文を読む